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【HP まほろば:宇佐神宮、田染荘(宇佐神宮の中世荘園)】
http://www.oct-net.ne.jp/~mhrb/tasibu/tasibu-L.htm
大分県北部・豊後高田市に、中世からの田園風景が残る村落「田染荘(たしぶのしょう)」がある。20haあまりの水田と52世帯の集落からなるこの地区は、宇佐神宮の荘園として平安末期に開かれ、当時の荘園の姿を今に伝える全国的にも貴重な地域であることが知られるようになった。
しかし、古ぼけた水路や不揃いの水田で行う農作業の負担は大きい。田染荘では高齢化が進み、現在の住居の平均年齢は60代後半で後継者もいない。周辺の集落は農作業を効率よくするために圃場整備で姿をかえていった。そうした状況の中で、田染荘の住民は農道や用排水路の整備を景観に配慮した最小限のものに留めて、貴重な環境を活用していく道を選んだ。
番組では、中世の農村がそのまま残る田染荘の田植えから稲刈りまでの暮らしを追い、1000年続いてきた田園を守ろうと模索する住民の取り組みを伝える。
[11月15日(土)】午前11:20〜11:50]
http://www.nhk.or.jp/oita/topics/osusume/
今を去ること千数百年の昔、国東半島には、六つの郷がおかれていました。
田染荘小崎地区(当時は小崎という地名も定かでない)は、一面鬱蒼たる原野で、山々より集めた水を蓄え、小崎川がゆっくりと流れていました。
当時は、律令制度の中で田染郷の平坦部は公地公民として農耕が行われていましたが、743年墾田永年私財法の成立によって、開墾した水田の私有が認められるようになって以来、この地を豊かな水田地帯にしようと雨引神社周辺(赤迫)より、幾多の人々や宇佐神宮の力によって、この土地の地形を利用して様々な曲線を描きながら不揃いな形をした水田が開発されていきました。
やがて開墾された水田は、宇佐八幡宮が支配する(中央に領主がいる一般の荘園とはやや異なった)荘園となり、ここに田染荘が誕生しました。
田染荘は、宇佐八幡宮の「本御荘十八箇所」と呼ばれる根本荘園の一つで、最も重要視された荘園でした。
その後、田染荘は時代の流れとともに大きく移り変わっていきますが、ここ小崎地区だけは、水田や周囲の景観を昔のままの姿で守り、受け継いできました。
荘園の里では、このすばらしい遺産を後世に残すことを決定し、新しい歴史の1ページを開こうとしています。人と自然と歴史が融合するこの荘園の里は、田園空間博物館として人々に「やすらぎ」と「いやし」を与え、都市と農村を結ぶ架け橋となるでしょう。
http://bungotakada.com/osaki/yurai.htm