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(回答先: 東北には青い目をした日本人が多いと日本語起源本で読みました。東北にお住まいの方、これは本当でしょうか? 投稿者 やめて 日時 2003 年 12 月 24 日 14:29:56)
やめてさん、おはようございます。
雑談として聴いてください。
だいぶ前ですがNHKがこういう内容の放送をしてました。
縄文時代の日本列島は狩猟・採集を主体とするアイヌ民族が主流だったのでは?
そのご(といっても何千年もの時間がかかっていますが)日本へは南方系の流入が始まり、農耕と稲作をもたらした。言語的には現在の日本語で、その起源はインド半島タミール地方のタミール語といわれています。日本語(国語)学者の大野晋氏の「日本語をさかのぼる」(岩波文庫)を読めば納得できるでしょう。生活に関連する基礎語が約300、日本語と共通すること、および主語から述語へいたる文の構成を中心として文法が共通していること(これは朝鮮語も同じです)などです。神話(もともとは日本は水平神)についても研究がされていると思いますが、こういうことはもう30年も前に知ったことだから、すでに結論は出ていると思います。
南方説は柳田国(旧字体。今ワードでは出てこない)男に始まるもので説得力があります。
ゆえに、狩猟採集の生活をしていた縄文人は徐々に北方に押しやられたと見ています。
南方からの日本への北上は沖縄に立ち寄った人びとはそこへ定住し、さらに北上して日本本土へ定着。もたらされた言語は、平安時代前期あたりに沖縄語(琉球方言)と日本語とに分化していったが、民族的にも言語的にも本土と沖縄は同一である。日本語が沖縄において独特の発達を遂げたわけです。
また北方騎馬民族論も江上波夫氏が述べていましたけど、これはあんまり勉強しませんでした。
そのご大陸との交流がはじまり混血がより深まり現在の日本があるのだと思います。
卑近な話でもうしわけありませんが、私は南九州の出身で、家内もそうですが、私自身は父の転勤で山形に5年ほど居ました。家は鹿児島弁、私の言語形成期は小学生だったために公式にはズーズー弁です。兄弟みなそうです。千歳山、馬見が崎川、芋煮会(昔は皆徒歩でした)、月山が見え水光る町、そして山形駅、もっともっと出てきます。霞城公園、五小の木造校舎、笹谷峠の遠足、雪の深さ、深い雪を長靴にスキーをつけて滑って行ってました。みな昭和30年代の光景でなつかしいです。今、昔の山形駅も取り壊されてしまっては、いいものが全て破壊されてゆくようで、身を削られる思いがしています。喪失感は筆舌に尽くせず。
自分も父の傾向を持っていたのか、日本列島で人生を2週した感じがしてます。言語や民族に関心を持ったのも当然かも知れません。