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(回答先: 補足 「タイガーマスク」&「デビルマン」 投稿者 baka 日時 2003 年 12 月 22 日 10:11:19)
bakaさん、今晩は。
ちょっと上のほうでちゃめ爺♪をしてきました。相変わらず脳天気なマルハナバチです。
タイガーマスクかデビルマンか…という選択肢の他は無いのでしょうか。
bakaさんの懊悩を聞いてますと、bakaさんが生かされ、知的執事が生きている「法身/彼ら」性が、「悟りの化け物」のように感じます。
何をやっても負け、お見通しと?
悟りの化け物の物語では、意図しない事が突然に起きて化け物は逃げましたね。
これを象徴的に読み替えると、定型化せず意識化していない生命性を、自らの命から発揮するという事になるかと想います。
直感、直観もそのうちだと想うんですよ。しかも子供のような状態で身体いっぱいに直感で生きているとき子供のあり方はまったく
予測できないことが有り、しかもそこに歓喜がある。
これもひとつのヒントじゃないかな、私はこれも手掛かりにしています。
>結果的に、ユートピアへの相転移が起きたとしても、それまでに生じる夥しい悲惨を甘受しなければならないのが人間なの
>だろうか? (「デビルマン」チックなbakaの懊悩)
マルハナバチは、完全に絶望寸前の世界観を、かっては持っていましたから、上の文を、逆にこのように受容しています。
<もしかすると夥しい悲惨を甘受しなければならないかもしれないが、それでもユートピアへの相転移が起きる可能性が人間
<には存在するんだ!
<悲惨に至る前に、それを近づける事を悲観的に考え、楽観的に求めよう。
真っ暗の絶望の海に漂うような経験をした者にとって、これは一本のろうそくの光よりも強い。闇の水平線から月が昇ったような
ものです。私はこれを喜べますし、この儚き幻やも知れぬ事であろうと、自分が生き抜くために使います。
ほかにもささやかなれど命に響く事象を、花束のようにくくって、生き行く自分の命のために奉げます。
人間は絶望的な状況からも生き抜くために知を使ってきた。逆は愚かだ。
生きたいのなら生き抜くために知を使う事を、この実存を宇宙・地球にさらしながら頭ではなく身をもって欣求するだけじゃないの
かなと想います。実際そうしました。師も何もなく。
知は生きるための道具。
知なんて、便利だけど、命がこの宇宙/地球に存在して感応している時の無意識に至るまでの広大さに比べると、貧しいものだ。
bakaさん、子供みたいに遊べる魂と命を取り返す奴が、密かに道を知るのかも知れないですよ。