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(回答先: 掲示板のURLです 投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 30 日 22:34:13)
エンセンさん、こんばんわ。
被害者の父親などへ手紙を中心に掲示板の内容を読みました。
隠れた証拠や明示されていない推論があるのかもしれませんが、掲示板を読む限り、被害者の父親を犯人と決め付けているのは思い込みの結果のように感じました。
(主宰者が、捜査権がないのでA君が犯人ではないという物証は集められないといったことを書いていますから、父親犯人説も明確な証拠がないかもしれません)
ざっと読んだ範囲ですが、彼らが父親を犯人と考えたのは、
1)A君は犯人ではないという確証をもった
↓
2)A君を救うために被害者の親にA君以外に犯人がいることを数度にわたって訴えた
↓
3)被害者の父親は反応を示さず、弁護士を通じて警告を寄こした
↓
4)そのような被害者の父親の態度に不審感を抱いた
↓
5)それをあれこれ考えたら、被害者の父親が真犯人だと腑に落ちる
↓
6)そのような考えを被害者の父親にぶつけても反応もなければ法的対抗手段も講じない
↓
7)それでますます被害者の父親が犯人だと確信を持つようになった
このような経緯ではなかったかと推測しました。
もちろん、被害者の父親が犯人ではないという根拠は何も持っていませんので彼らの推理が誤りだと断定する気はありませんが、上述のような経緯で被害者父親犯行説を信じているとしたら杜撰で、それに基づく糾弾行動は暴挙です。
ポイントは5)の部分になりますが、彼らは、
送った手紙と添付した資料からA君が犯人でないことはわかるはずなのに、我が子が惨殺された事件の真相を明らかにしようともせず、無実の罪で収監されている顔見知りのA君を助けようともしないのはおかしい。
被害者の親であれば、あのような無残な殺され方をした我が子の無念を晴らすために立ち上がるはずだ。
普通の良心を持った人であれば、顔見知りの子が冤罪で閉じ込められていること知れば動くのが当然だ。
と考え、
被害者の父親が犯人だったらどうだろうと仮説を立て、身内の犯行ではないように見せかけるためにあのように残忍な結末にしたとすれば腑に落ちる。
被害者の父親の手記などに見られるおかしな言い分は、彼が犯人だったらおかしくない。(本でA君から謝罪がないと書いているが、A君が犯人ではないことはわかっているのだからおかしい。A君の両親に損害賠償を請求したのも自分が犯人ではないことを強調するためだなど)
事件当時から父親が犯人という噂があったともいう。父親の患者に対する対応にもおかしな点があったという。
医者ならあのような首の切断方法はわかっているはずだ。
という推論を行ったのではないかと妄想しています。
被害者の父親宛手紙の内容がある時点で一気に飛躍しているのも、物証というより、思考の産物という気にさせます。
しかし、被害者の父親が犯人ではなくとも、
愛すべき子供が無残に殺され、どうあがいても子供が甦るわけではないのだから、今さら、我が子の事件をあれこれ騒ぎ立てて欲しくない。
警察もメディアも揃ってA君が犯人だと認め、裁判所もあのような判断を下している。
A君が犯人ではない可能性もあるかもしれないが、警察の捜査も裁判所の判断も終わっているのだから、私が異議を申し立ててもどうなるものではないだろう。
全国のほとんどの人はA君が犯人だと信じ、多くの人から同情と激励もいただいている。私がA君は犯人ではないと叫んでも、私のほうがおかしいと見られることになるだろう。ほんとうにA君が犯人ではないのなら、マスコミが騒いでいるはずだ。
という思いで、彼らの働きかけを忌避した可能性もあります。
掲示板をざっと読んだ印象に基づく推論ですが、善悪の基準を強く持った理念主義者がゆえに踏み越えてしまった被害者父親説言動のように思っています。
そのような仮説を立てるのはかまいませんが、それを被害者の父親にぶつけ、さらには周辺の人たちにも宣伝するという動きは完全にとち狂っています。
(この例がほんとうに当てはまるかどうかはわかりませんが、理念主義者の恐さはこのようなものだと思っています。“正しいこと”に同意しなかったりそれを信じない人はまともではないという発想が、様々な暴虐につながります)
明日(日付が変わっているので今日かな)にでも、手紙を吸い上げてアップしたいと思っています。
場所は、事件版よりも雑談版のほうがよさそうですね。