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(回答先: 死ぬまで活きる 投稿者 うぃる 日時 2004 年 2 月 13 日 23:39:00)
ごもっともです。
腹の底からそうなれればもう怖いということがなくなるでしょう。
しかし、そうは行かないという私のようなものでも、真実の情報を多く集めること
で段々とそういう境地に向かうことができると思います。
何と言っても病気が怖い、ウイルスが怖いというのは結局「死が怖い」というのが
奥底にあるからでしょう。
で、独り言として書いてみました。
死とは形を変えた生となるから、本当は旅立つのでなく、旅先から故郷へ帰ること
それを物の科学では物以外は無いものとしているから、死は悪。死は失敗、死はいけ
ない。死こそ恐怖、死は消滅、生の反対は死・・・などを植え付けてしまった。
もし、死とは肉体だけの状態であって、人は本当は死ぬことが出来ないと知れば、
終末論も陰謀論も何だか陳腐になって、ゲームセットとなってしまうだろう。
ゲーム遂行上、どうしても死を恐れて貰わなくてはならない。
死が本当は無いと解ってしまうと「恐怖の館」が崩壊してしまう。
現代医学が唯物科学一辺倒だからこそ、生命を知らず、現象しか追いかけることが
できない。その不完全さこそ、人類がいままで躍起になって幸せを求め物質文明の
発展に貢献できたのだ。
それもそろそろここらで良いだろうという段階まで上がってきたので、いよいよ
物質科学と精神科学が交わるところへ一挙に上昇できそうだ。
すると今までの医学が半分の科学であったから、生命の世界には未熟であったと
気づかされるシカケがおかれていたようだ。
そんなとこで見ていると、今の家畜などの感染症が兆しとなっているのかも知れない。
人が家畜と同じような事をしていなかったのか?
何と言っても自然はやさしい。人には必ず理解できるように予めその見本を見せて
それから、もうイイカイ・・・という具合に
独りよがりの文だから、自分だけ納得しているこの頃。
結論は死に対して過剰な恐怖を抱かないことかな。
すると、いろんな感染症にも過激な反応はしなくなるから、その対処法も冷静になって
しなくてもよい治療を施して悪化する割合が少なくなるだろう。
クドイが感染ウイルスや細菌より恐ろしいのが自然に反した治療法であり、使われる
薬剤であろう。その証拠でもないが、治療した詳細を大きく発表してきただろうか?
死亡した数だけを情報として流すのは戦争時の戦果発表と似ているようだ。