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(回答先: ひょっとしたら 鳥インフルエンザより怖いインフルエンザワクチン − なぜか日本のメディアが黙殺の謎 −[日刊ゲンダイ] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 27 日 19:13:39)
ちょっと割り込み失礼します。
何度も紹介していますがあまりにも大本営側の情報が多い中で光る情報だと思いまして。
これはもうだいぶ前からある情報を繰り返しているのですが、一向にワカラン珍が多いようで異端珍もしょっちゅう顔を出さないと間に合わない。
「ひょっとして」どころではないようです。
まるで日本が戦争終結の間際まで大本営発表を信じて日本の勝利を疑わなかったかのように、いや、そんな中で「ひょっとして日本は負けてしまうんじゃ?」などと言っただけでも当局どころか、周りの住民の方が目をむいて怒って否定したとか、しないとか?
原爆落とされてもまだ気が付かない、いや、知らされない。
そしてついにお上からの突然の放送で愕然としたという。 こういう状況にならなければいいが・・・
以下引用ーーーーーーーーーーー
証拠もないひとりよがりの主張を継続的、組織的に繰り返す。
手始めは子供のときから。信じようとしない者にはおどしをかける。やがて、信仰は深く根付いた確信、言いかえれば冷静な思考を一切受けつけない盲信となる。ものを理性的に考えないということが、いかなる信仰にとっても必要な条件である。
信仰がひとたび理性の助けなしに植え込まれたならば、それを理性的論拠によって消し去ることは至難のわざである。それは一種の迷信となったのである。
『ブリタニカ』百科事典は、(迷信)を次のように定義している。
「非理性的な感情、とりわけ恐怖、感情に基づく信念で、容易に信じられやすいという特徴をもつ。
また、そうした信条に基づいて行なわれる儀式あるいは慣習。特に(宴以外の人々によって)合理的根拠に欠けると見なされる宗教的体系への信念。神秘的あるいは超自然的なものに関する容易な信じ込み、またはそうしたものに対する崇敬」。
この〈迷信〉の定義は、宗教そのものと同じく、〈近代医学〉はすぐれているという信仰にも同じように適用できる。〈近代医学〉という宗教を語ることは、〈近代医学〉という迷信を語ることでもある。そして、この医学が演じる様々な儀式は、白衣の司祭たちの財政的収益および権力と密接に結びついている。さらに言えば、これらの収益のライオンの分け前にあずかるのは、実際の権力を構成する医薬産業の大物たちなのである(『世界医薬産業の犯罪』参照)。
ワクチン神話は、近代医学が巧みに人々に押しつけた最も広範囲にわたる迷信であるが、同じ理由で、最も利益をあげているのもこのワクチンである。このワクチン神話は、それを支える科学的論拠など何一つないにもかかわらず、最もしぶとく生き延びる神話の一つでありつづけるだろう。
種々の伝染病はすべての国で、ワクチンやその他の療法が導入されたかどうかに関係なく、蔓延したかと思うと下火になり、やがて事実1消滅していった、といっても今や過言ではない。その結果として唯一明らかになったのは、種々のワクチンによって引き起こされた広範な薬害である。イタリアやフランスで我々が知っている医師の多くは、医師業を続ける組合免許を保持したいと思ったら、子供の患者に予防接種をすることを拒絶するわけにはいかない。
しかし彼らは、自分の子供にはワクチンを接種しない。
医療の犯罪より
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その他、
「危ないぞ予防接種」にもワクチンの無効性と有害性が出ている。