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(回答先: Re「医療とは」より 投稿者 寅蔵 日時 2003 年 11 月 23 日 14:48:54)
追記です。
どんな職業でも完全無事故はありません。
しかし医学という「迷信」に従うと・・・・
完全無事故を常に心がけても、意に反して出てしまうのでしょう。
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☆ 医者は果して無責任か
(前略) 中にはお医者の無責任という事を言われているが、之を見る
毎に私はどうも気に添わないものを感じる。というのは実際からいって人の尊
い命を預っているお医者様としたら、そんな無責任など絶対あり得る管はない
からである。
事実上どんなお医者さんでも早く治そう助けてやり度いと一生懸命心を砕き
手を尽すのは当然である。こういう訳で偶々患者の思うように病気が快くなら
なかったり、呼んでも来て呉れなかったり、診察に来ても余りハッキリ言わな
かったりすると、何だか無由責任のように思うのである。
右のような訳だからお医者さんこそいい面の皮というべきで、又よく聞く事
だがお医者さんが 之は軽い病気だから直き治りますよ″などと曰われるの
で患者も其家族もその気持ちで安心していると、予期に反して仲々治らないで
重くなったり不幸の結果になる事も往々あるので、悲欺の余り恨んだり非難を
浴せたりする事も尠なくない様である。
文中には大した病気でもないのに注射をするや間もなく死ぬ事や、生まれて間
もない赤ん坊に注射や手術をするので痛がり泣き喚き親としては見ていられな
い程だが、治したい一心で堪えていると散々苦しんだ揚句死ぬというような事
もあるので、その親たる人は どうせ命のないものならあんな余計な苦しみ
などさせてくれない方がよかったのに″ とお医者を恨む事さえある。
まだ外に色々あるであろうが、要するにお医者さんは真面目に一生懸命骨折
りながら治らないので、事実患者から喜ばれるよりも喜ばれない方が多いよう
であるから、全くやり切れまいと吾々もお察しするのである。
以上の例によってみても判る如く、いろいろな職業中今日のお医者さん位割
に合わない職業はあるまい。処がそこに誰も気のつかない点に重大原因がある
ので、某原因こそ吾々が常に日う如く、現代医学というものは治りそうに見え
て実際治らないものであるから、然し今日迄其点に気が附かなかったため医学
は進歩していると思い込み之で病気は段々治るようになると教育されて来たの
で、お医者さんもそれを信じ切っているのである。
私はいつか「医学に騙されている医師」という論文をかいた事があるが、今も此
説の間違ってない事は事実がよく証明している。つまりお医者さんは医学に迷
信しているといってもよいので、而も当局もー般も悉く同様であり、其本元で
ある学者さえもやはり既成医学の理論を信奉し、之を進歩させさえすれば病気
は治るものと思っているのである。
此医学迷信こそ世界中一番大きな迷信であって、之を打破しない限り病なき
世界などは痴人の夢でしかないのである。処がこういう吾々の方を迷信呼ばわ
りをするのであるから、全く主客転倒も甚だしいと言わねばならない。
(後略)
(昭和二十六年七月二十五日)
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ということで、半世紀過ぎてしまいました。
そして、こんな古い論文がまだ活きているとは。
今の若い医師ほど現代医学を勉強して真面目に吸収しているのだから、一生懸
命やればやるほど結果が医学に忠実に出る訳です。
ちょっと昔の医師だったら、その長い体験によって、「実は医学に忠実にやれ
ば結果が思わしくない」と経験的智慧でうまく対処していたでしょうが。
しかしいずれにしても、医学そのものの土台を考える時が来たのでしょう。
しかし、今の現場の医師にはそんな余裕は無いかも知れません。それこそ矛盾
に気づかされるまでやり続けるしかないのでしょう。
実に気の毒な立場なのです。
ですから感情的な攻撃は止めましょう。
患者を診ないで死亡すれば告訴され、医学に忠実にやったとしても死亡すれば
告訴され、人間ならどんな環境であってもミスをしますが、医師がミスをすれ
ば重大ミスになり告訴され。
そして、「私は医学に忠実にやっているのに・・・」という自己矛盾を内面に
持ちながら行くも退くも出来ず。
医師たちに全責任を課すのは残酷というものです。
むしろ、当事者でない立場の吾々が彼らを本当に活かす道を見つけてあげるこ
とでしょう。
そんな中で、安保 徹氏の「免疫革命」はヒントになる本のひとつです。
(私は白血球と細菌の関係については逆に見ていますが・・・・・外から害が
来るのではなく、内にあるからその添加剤役みたいなものがウイルスや細菌だ
という意味)