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(回答先: 仲間はずれの痛みと体の痛み、脳では同じ反応 米で研究(朝日新聞) 投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 12 日 21:44:27)
人の心の在りようには、個人差があり、多様性がある。
何故か、嫌がらせの典型的なパターンとして「仲間はずれ」という行為が世界的に流通しているらしい。特に日本社会においてそれは顕著である。
一方、生活のため、意に染まぬ集団行動に耐えてはいるものの、集団から開放されて一人になると俄然、元気になる人もいる。芸術家タイプや詩人タイプにはよく見られる。
従来型の日本の農村が、地球環境の保全にとって極めて大切な役割を占めるにも拘わらず、過疎化していく理由の一つに、封建的な家族制度の中での集団主義がある。
それは、個人主義的な文化の洗礼を受けた者にとっては、耐え難い強制に映る。
ところが、農村を嫌って都会で就職した者を待ち受けているのも、企業や官庁が構築した階級制の中での全体主義である。個人主義者達にとって、それでも都会の方がまだましなのは、都会では、組織の強要する全体主義に順応する仮面をつけ易いというだけに過ぎない。
ここで一般的に誤解が生じ易いのは、良心的な個人主義と利己主義の分別である。
良心的な個人主義は、他人の「個人としての尊厳」を尊重することで、自分の「個人としての尊厳」を保全する。利己主義は、他人の「個人としての尊厳」を蹂躪することで、自分の「個人としての尊厳」を蹂躪するばかりか、新たな全体主義の普及を助長する。
日本は、15年戦争後、封建的な家族制度の破壊には成功したが、合衆国によって与えられたポツダム民主主義の憲法の特長を活かした良心的な個人主義の教育ができないまま、新たな全体主義勢力の攻撃に有効な対抗手段を講じることができずに、社会全体の混乱を招いている。
日本が独立するためには、自らの能力で武装するのは当然のことである。
そのことと、封建的な身分制度に先祖還りするような教育基本法の改定は別物である。
第二次大戦で欧米軍が強かった理由の一つに、近代が作り出した良心的な個人主義があると言われている。但し、9.11後の合衆国で、合衆国憲法を停止したパトリオット法下にあっては、もはや良心的な個人主義は失われつつある模様だが。
日本に蔓延する利己主義と封建的な家族制度は、コインの裏表に過ぎない。
徒らに西欧近代を否定して復古主義に陥り、利他的な個人主義を理解しないまま、組織論抜きに日本の軍隊が増強された先には、いくらハイテクで武装しようとも、新たな敗北があるような気がしてならない。