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(回答先: はなはだしい勘違いなのか無理解なのか 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 13 日 00:17:01)
>>生存維持に必要な“必需財”・より楽に生活するための“利便財”・快楽や見栄を満たすための“奢侈財”と大まかに区分できる。
>>そして、サービスは、“利便財”や“奢侈財”に相当するものである。
>機械制大工業の固定資本比率の高さとデフレの関連を説明しただけで、サービスが無用で、財が有用だと説明したわけではない。
2つの文章の意味していることの整合性がとれていない。
>必需サービスだと叫んでも、タダではなくお金の支出が伴うものである。
サービスも市場から購入する。当たり前のことを説明している。
ものとサービスを分ける必要など何の意味もない。
>親の一方に就労機会がなく、就労しているほうの可処分所得が少なくても、保育園は利用できない(利用しない)。
>その家族に余裕の可処分所得がなければ介護サービスを受けられないから、身内が面倒を見るか、ほっとくことになる。
>だから、可処分所得が減少すれば、自分の手でできることは自分でやるようになると説明した。
生活水準の低下だね。
自分手で出来ることであっても市場からサービスを調達することによって、自分の働く時間を確保し、収入を得たり、増やしたりすることは経済学の教科書に載っている「機会費用」のこと。インフォーシークの国語辞書にすら、載っている。
↓ここに機会費用と入れると解る
http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?pg=jiten_ktop.html&col=KO
財をある目的に用いたために放棄された他の利用方法から得られるであろう利得のうち最大のもの。
ものもサービスも市場から購入すると言うこととにおいて何の違いも存在しない。
特定の財の価格が下がることは、消費者がなんらかの別の財(物&サービス)を購入する機会が増えることを意味するだけだ。
全体の物価水準が下がる(相対価格)と一般物価の違いについて考えて見ようね。