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神戸新聞12月4日
新聞でみたけどウェッブではないようです。
誤変換、誤字脱字ご容赦願います
21世紀の針路 客員論説委員 内橋克人
マグニチュード7.0から8.0の大地震が相次いでいる。
今年5月と7月、宮城県北部を、9月には北海道十勝沖を、大地震が襲った。おおくの地震研究者が「日本列島のほぼ絵に着が新たな大地震活動期に入りつつある」と警告している。
「大地動乱の時代」(岩波新書)などで知られる石橋克彦・神戸大学都市安全センター教授は「今世紀は日本列島全体が地震の活動期に入るという認識が、これからの日本を考えるうえで根本的に重要だ」と私との対談で警鐘を鳴らした(「世界」03年12月)
いま、阪神・淡路大震災の被災者は・・・(中略)・・・「国家と災害」を裸の姿で思い知らされた被災者の多くが、あれからまもなく9年、やがて震災10年の区切りを前に深い記憶を呼び覚まし、集まり、語り、悲しみ、「国と社会のありかた」に糾弾の声を上げようとしている。
(中略)
11月3日、神戸市西区の神戸商大で開かれた「もうひとつの日本は可能だ−−−被災地からの発信」と題された集まりに一般市民を中心に1千人超の人びとがい(むしへんに胃−−−転載者竹中)集した。
(中略)
人々は雨の会場に足を運んだ。震災救援活動を続けてきた同大教授たちによるシンポジウムが始まり、私は「被災地の全日本化する現実」を語りかけた。
いまを生きる街のただなかで何が起こり、何が続いているのか---あまりに深い「消尽の記憶」だったのではあるまいか。
いま、被災地のなかでも兵庫、長田、灘の3区で自殺者が突出して高い。生活基盤が破壊された地域である。被災中小企業が大将の緊急災害復旧資金融資を受けたものの、52パーセントが、それでは到底足りず、他から資金を借りてこざるを得ず、多くが多重債務者となった。システム金融などと呼ばれる悪質な貸金業者はまず被災地を「お狩り場」として全国に膨張した。県内の就業者数は16万人減り沖縄県に継ぐ全国ワースト2位を続けている(96年比)。
かつてその被災地を覆ったブルーテントはいまや日本全国に拡散し、いっせい工場閉鎖が続くその地方で自殺者が絶えない。「被災地の全日本化」が始まっているのだ。
石橋氏はかねて戦後日本の都市膨張はたまたま地震活動の静穏期と重なってなされたと指摘し、「地震は自然現象ですが、震災は社会現象です。地震を止めることはできなくても、震災を軽減することは可能です」(前出「世界」対談)と警告した。
いま、静穏期は過ぎ、かつて経験したこのない新しいタイプの巨大地震が日本列島を狙う。にもかかわらず、阪神・淡路大震災後の長い時間、私たちの国と政府は「震災」をいっそう無残なものとなす方向へ、と社会構造を「改革」してきたのではないのか。
(後略)
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内橋克人氏は私も震災のショックでトラウマに陥った人間ですが、NHKラジオをい通じて終始励ましてくれた一人です。
我が家の半壊した瓦礫を片付け真冬の寒風を突いて震災後3日目に大阪まで単車で通勤を始めたけれど道など倒壊した家屋や瓦礫で埋まっており単車でも進みようがなかった。国道2号線も海岸どおり(43号線)も178号線も、阪神高速も倒壊し寸断、また六甲山超えの道も、そして宝塚方面と通じる178号線もすべて、動かない。小さな路地などの抜け道を氏っている限り探すも完全に瓦礫で封鎖されている。
朝6時に出てもはじめは5時間ほどかかった。神戸はさながら戦場だった。一撃のもとに10万戸が破壊された。途中瓦礫に向かっておいおいと鳴きつづける家族も見た。そばには花が添えてあった。何10キロもこういう光景だ。原爆でも落ちたのか思うほどだった。今のアフガンやイラクの破壊と同様だ。
到着すれば社員は白い目で「被災者」と見る。特別扱いされたくないからますます早く家を出る。社員の一部は倒壊してゆくビルを面白そうに、救援活動などそっちのけで歓声を上げてテレビにかじりついていたと同僚から聞いた。「死者200人だってよ」なんて段階だったと思う。
そんなこと胃ってられないことはすぐにわかった。出勤してこない社員がほかにいる。連絡も取れない。トップなど得意先見舞いと言いながら高見の見物にでかけていたそうだ。「何しに行ってたんだ」とドタマにきたからきいたら、「ボランティアしにいってきました」などと上下関係が逆転した。同行した同僚は、「あいつ(トップ)カメラでぱちぱちやってただけだ」と非難。
会社からは被災したものもしなかったもの(多くは大阪在住)も一律会社から震災見舞金を貰った。
大阪も豊中など大被害をこうむった。とにかく断層に添って走るしかないのですべて動かない。水道管が破裂したところで路面が凍結していて単車は何度もころんだが、それでもけが一つしなかった。寒いので小便が近くなる。はじめはあちこちの駅のトイレに入ったが、水が出ないので大便が何10センチもうず高く盛り上がっている。被災地の避難所のトイレを借りる。これもグランドに穴を掘って仮説トイレにカーテン張っただけで、女性には気の毒だった。
食い物もろくに回らず、救援物資のパンの奪い合いだったそうだ。
夜は電気が通らず真っ暗闇だ。「日本人は規律正しい」などと世界に評価されたらしいが、暗がりでは多数のレイプ事件が発生していたが、これは当地しかわからないこと。
生活のすべてが破壊され、職を奪われ、住居を破壊され、肉親を失った人の気持ちがなんともやりきれなかった。
この記憶を捨てるわけにはゆかない。