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天則経済研究所理事長 茅于軾
国力の基礎は一体、何であろうか。
土地、鉱物は自然に対して与えられた天然の潜在的財産であるが、それが現実的な財産になるとは限らない。一部のアフリカの国々では、土地が肥沃で、資源も豊富であるが、その国力は極めて貧弱である。これに対して、日本は資源に乏しいが、しかし世界最強の国力を持つ国の一つである。この二つの例は、天然資源と国力との間に、直接的な関係がないことを物語っている。人口も国力に直接には関係していない。現在の世界で最も人口の多い中国とインドは、依然として発展途上国である。国民の資質も国力に直接には関係していない。ソ連は科学と教育を非常に重視する国家であり、その教育水準は非常に高く、科学技術も世界でトップレベルを誇る。しかし、ソ連の解体後、国民資質が高いという優位に変化はないが、社会全体は混迷していた。腐敗が蔓延し、マフィアが横行したため、生産は落ち込み、国力は明らかに衰退した。資本が豊富であるかどうかは、確かに国家の実力を反映しているが、資本の豊富さは国力が増大した結果であり、原因ではない。仮に資本だけで強国が作り上げられるなら、貧しい国々は資本を導入することで強くなれるはずである。しかし現実では、一部の貧しい国々では、輸入された先進設備が粗末に扱われている。このため、先進設備があっても、良い製品を作り高い値段をつけて販売できるという保証がなければ、仮に高値で取引されたとしても、それによって得られた利潤が再生産に投入されるとは限らない。つまり、資本だけでは、国が豊かになる十分条件とはならない。
では、国を豊かにする条件とは一体何であろうか。私の答えは「市場制度」である。いわゆる市場制度とは、所有権が保護され、その交換が自由に行われる制度のことである。現在、世界の豊かな国々は、例外なく市場制度を実行している国々である。市場制度があれば、社会のあらゆる資源が最適に利用され、生産における浪費も最低限に抑えられる。経済運営の効率が高いことから、同じ労働から得られる報酬は、非市場制度でのそれをはるかに上回っている。従って、非市場制度下の貧しい国々の人々が、同じ労働から数倍も高い報酬を得るために、レストランの皿洗いでも、実験室での研究助手であったとしても、あらゆる手段を駆使して市場制度が実行された豊かな国々への移民を望むことになる。このように、市場制度は財産の最も重要な源泉である。あらゆるハイテク技術より、市場制度によって生み出される財産は、その十倍、百倍も高い価値を持っている。市場制度が財産を生み出す不思議な力は、中国の経験によっても裏付けられている。計画経済の時代、人々は市場での選択の自由を失い、数十年にわたって、一生懸命に働けば、その代わりに幸せで富かな社会を手に入れることができると思い込んでいた。しかし結果的に、中国の国民経済は崩壊の寸前に至った。これに対して、自由に選択を行える市場制度を導入してからは、中国何千年の歴史でも見られなかった空前の繁栄と豊かさを実現したのである。
市場制度の原則は非常に簡単であるが、実際に実行するのは難しい。多くの国の指導者達は市場制度の優位性を知り、それを実行しなかった国々も市場制度の導入に踏み切ろうとしている。しかし、所有権保護と自由交換の実現は簡単にはできない。中国の場合、所有権の保護に多くの問題を抱えている。国家財産が非合法的に分割、侵害、蚕食され、国有資産が大量に流失する事件が幾度となく発生し、毎年、国家財産を着服する汚職事件が数万件も発生している。国有企業の一部は、ボーナスを必要以上に支給し、また大幅に赤字経営をしている国有企業が粉飾決算を行い、儲かっているかのように見せかけている。さらに、多くの企業の経営が銀行からの借金を頼りにし、経営が悪化した結果、預金者の利益を損害している。私有財産の所有権に対する保護も不十分である。治安の悪化、「強盗、脅迫、詐欺」といった事件が多発する一方、各レベルの政府が様々な名目で費用を無理に徴収したり、罰金を課したりすることで、普通の人々の財産所有権を侵害している。農民に課せられた負担は一向に下げられることがない。まして、かつて土地、住宅、企業、工場が没収され、債務あるいは債権が無効になった影響は、現在の財産関係に影を落としている。それが多くの企業家が投資を控えている原因でもあり、彼らは少しでも儲けを出すと、すぐに事業から撤退したり、財産を大量に外国に送金したりしている。このような現象は、決して中国特有のものではなく、程度の差はあるが、所有権の保護が確立されていない多くの国家に共通している。こうした問題が深刻な国では、例え市場制度が名目上実行されたとしても、依然として貧困から抜け出すことができない。
自由交換の達成は、さらに難しい。かつて取引を制限していた配給制の多くは廃止されたが、すべてがなくなったわけではない。農産物の売買は政府によっていまだに厳しく制限されている。輸出入貿易の中で、割当額、認可証といった非市場的な手段はいまだに多くの割合を占めている。電力市場、石油と天然ガス市場、土地市場の取引市場には、金を持ってくれば、だれでも参加できるというわけではなく、実際はコネが非常に重要な働きをしている。もっとはっきりといえば、金だけではなく、権力も欠かせないのである。言い換えれば、金があっても、権力がなければ、より高い価格を支払わなければならない。従って、権力には価値がつきものであり、権力のない人は競争力を欠くことになる。このような特権が交換に関与する環境の中では、市場の自由交換原則が特権によって破壊されている。人々は公平競争の市場においてコストの削減や効率の向上を頼りにするのではなく、むしろコネを頼りに、賄賂を払うことによって、利潤を獲得しようとしている。結果的に、人々は、権力者に迎合し、懸命に官僚になろうとした末に、権力争いに巻き込まれ、力と精力を非生産的な闘争に費やしている。このような社会は、効率のよい、豊かな社会にはなかなか変身することができないのである。
市場制度では、個人が自己利益を追求する権利が承認されており、これもまた市場制度が無限の活力を持つ源泉となっている。市場制度が実行されて以来、三、四百年間で、人類社会の物質はこれまでにないほど豊富となり、教育が普及し、寿命が伸び、人々が多くの科学技術と発明を享受している。このすべては、決して人々がある理想に献身した結果ではなく、むしろ物質財産を追求した結果である。現在の社会では、人々がひたすら働くことも、自己利益のためであり、これは中国でも外国でも例外ではない。本来、人は私利を求める動物であり、人に教わらなくとも自らの利益を求めて行動する。しかもこのような私利を求める動機は、すでに市場制度が形成される前の人類社会に存在していた。しかし、かつて、人の私利は混乱の根源であると見なされ、人々は絶えず私利を求めてはいけないと教えられ、「存天理、滅人欲」(天理を存して人欲を去る)が強要されたのである。
では、どのような新しい要素が付け加えられたことによって、私利を求めるという動機が社会の発展を前進させる原動力へと変えられたのであろうか。その答えが市場の法律規則にあると言う人がいるが、この観点は確かに間違ったものではない。財産所有権と自由交換には法律の保護が欠かせず、しかもその保護の傘がすべての人に対して平等に行き渡っていることが必要である。人には利益を追求する権利が与えられたが、しかしその権利は特権ではなく、誰もが同様な権利を持っている。従って、人が自らの利益を追求する時に、他人の利益を侵害することはできないし、他人が同様な権利も持っていることを尊重しなければならない。これこそ、市場制度での私利とその他の制度での私利との間に存在する根本的な違いである。
しかし、法律を頼りに市場秩序を維持することは、実際には、非常にコストの高い方法である。裁判を行うには、時間と費用だけではなく、大量の精力も欠かせない。しかも相手側も同様、時間と精力を費やして付き合わなければならない。一旦、裁判に負けると、その損失はさらに大きくなる。同時に、国家は法廷、警察署、刑務所を設けなければならない。しかも、こうしたあらゆる活動は、非生産的であり、社会内部を消耗させることになる。従って、本当に効率的な市場経済は、決して裁判ではなく、むしろ市場経済の道徳によってのみ維持されたのである。良好な道徳によって維持された市場制度は、豊富な物質条件を提供するだけではなく、しかも幸せな生活の基本保障でもある。
ここで、われわれは本文の最初の問題に戻ることにしよう。国力の基礎は一体、何であろうか。私はその答えが道徳によって維持された市場制度にあると思う。この答えには一見、多くの欠陥があるように見えるが、実際には、大きな意義がある。現在、あらゆる人々や各レベルの政府が最も関心を払っている問題は、国家の経済発展にある。そのため、多くの政策提案が提示されたが、その中で道徳を提唱するものは殆どない。私が中国経済を順調に発展させるために、道徳の問題が取り上げられる時がすでに到来したと考えるのは、これ故のことである。
(出所)中評網
2001年10月8日 「中国経済学」欄掲載 「私欲を破壊力から進歩力へ転換させるカギ」
:http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/011008gakusya.htmも併せてご覧下さい。
茅于軾 Mao Yu Shi
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1929年南京に生まれる。祖父茅以昇、父茅以新は中国で最も有名な橋梁と鉄道の専門家である。1950年上海交通大学機械学科卒業後、機関車の運転手、技術員、エンジニアなど経験を重ね、1955年助理研究員として北京鉄道研究所に赴任。その後、文化大革命に巻き込まれ、工場での労働を強いられたが、ミクロ経済学を独学で学び、1979年『最適配分の理論』を発表。1985年より、中国社会科学院アメリカ研究所に赴任。翌年、客員フェローとしてハーバード大学を訪れる。1990年よりオーストラリアのQueensland大学経済学部に客員教授として迎えられ、ミクロ経済学を教える。1993年、社会科学院を退職後、ほかの四人の経済学者とともに、民間経済研究機関である北京天則経済研究所を設立させ、今は研究所の理事長を務めている。制度経済学の視点から、従来の公有制経済と訣別し、市場経済体制への移行を主張する。また、中国における市場経済の展開に伴った道徳の低下現象に特に注目し、『中国人の道徳前景』(1997年)を出版、市場経済における道徳の再構築を主張してきた。なお、温厚な人柄が評判で、中国経済学界の魯迅とさえ言われている。現在、七十歳を超えても、絶えず新しい文章を発表するなど、その健在ぶりには注目すべきものがある。
2003年11月17日掲載
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/031117gakusya.htm