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(回答先: 大豆、ひっ迫感強まる/米国の期末在庫、27年ぶり低水準 【食糧危機第一弾】 投稿者 小耳 日時 2003 年 11 月 14 日 19:45:02)
大豆ショックについて(出所不明)
自給率が低く、海外からの輸入農産物に頼っている日本の食生活が、いかに不安
定なものであるかを思い知らされたのが、1973年に起きた「大豆ショック」だっ
た。この年の6月22日、当時のニクソン米大統領は突然「大豆輸出を禁止する」
と声明した。
日本で消費する大豆の96%は輸入に依存し、その90パーセントはアメリカから買
っていたのだから、ショックは甚大だった。大豆の国内価格が高騰したのはもち
ろん、あらゆる大豆製品に影響が及び、豆腐の値段が2〜3倍にハネ上がるとい
う騒ぎになった。
あとで振り返ってみると、この騒動の背景には、次のような事情があった。72、
3年は世界の各地が異常気象に見舞われたため、世界の食糧事情はひっ迫気味だ
った。とくにソ連(当時)は大凶作、農業生産は平年作を20%も下回るという状
態になった。
そこでソ連の穀物公団が極秘のうちにアメリカの穀物メジャーに接触し、小麦や
大豆を大量に買い付けたのである。その量は6週間のうちに10億ドルにもなる荒
っぼい取引だったという。
このため、穀物の国際相場は急騰した。とくに大豆は暴騰した。72年7月に1ブ
ツセル(約36リットル)当たり3.3ドルだったものが、73年6月には一時期、10ド
ルを超える大暴騰となってしまったのである。アメリカ国内でも大騒動となり、
大豆だけでなく大豆粕を飼料にしている牛肉までが値上がりした。 ニクソン大
統領は、食料品価格上昇によって爆発する国内の消費者の不満を抑えるために、
輸出をストップして大豆を国内に回そうとした。これが「大豆輸出禁止声明」な
のだ。
この影響は日本を直撃した。各商社はアメリカ以外の農産物輸出国へも買い付け
に走り回った。しかし、輸入価格は大豆が前年の1.7倍、小麦が2倍、トウモロ
コシが1.9倍と跳ね上がり、豆腐をはじめパン、うどん、肉など食料品は軒並み
値上がりし、折からの石油ショックと重なって家計を圧迫した。
ところが、日本国内だけの事情としては、それほど穀物が不足したということで
はなかった。 73年の輸入実績をみると、小麦は前年の1%増だったが、トウモ
ロコシを含む粗粒穀物は同20.5%増、問題の大豆も6.9%増となっていた。もち
ろん札束を振りかざして、世界中からかき集めたからこそ前年を上回る輸入量を
確保できたのではあるが、結果的には、いささか騒ぎ過ぎたきらいがあったこと
になる。
アメリカは、この時の騒ぎを教訓として、いくつかの対策をたてた。ソ連と穀物
協定を結んで安定的な輸出先としてソ連を取り込むと同時に、穀物商社に輸出の
届出義務を負わせたり、ランドサット衛星による世界の穀物地帯の作柄予測シス
テムを確立させている。 それに比べて日本は・・・といわざるを得ない状態な
のだ