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(回答先: 東海村、増え続ける「核のゴミ」[常用新聞] 2003年9月17日【ドラム缶35万4千本分】 投稿者 なるほど 日時 2004 年 1 月 25 日 20:00:36)
東海村「臨界」事故【立ち読みコーナー】
著者JCO臨界事故調査市民の会
代表は槌田敦名城大学教授。
1999年9月30日のJCO臨界事故のあと、市民の立場から事故を調査研究しようと発足。以降、毎月1回の定例会を足かけ5年続けている。本書はその活動の集大成ともいえる。今後は、原子力の焦点を〈原発事故と日本の核武装問題にある〉と判断して、2003年秋より「原発事故と核問題研究会」に改組する計画をたてている。
事務局(連絡先)は下記「たんぽぽ舎」気付で。
〒101-0061 東京都千代田区三崎町2−6−2 ダイナミックビル5F
TEL03-3238-9035 FAX03-3238-0797
「たんぽぽ舎」ホームページ
http://www.jcan.net/tanpoposya/hyoushi.htm
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■はじめに(全文紹介)
●JCO臨界事故はなぜ起こったか
國學院大學教授 菅井 益郎
日本の原子力開発の発祥の地にして、今日なおその開発拠点となっている、茨城県東海村にあるJCO(旧称:日本核燃料コンバーション株式会社)東海事業所で臨界事故が起こったのは、1999年9月30日。それから4年近くが過ぎ去ろうとしている。
2人の従業員が強烈な中性子線の被曝によって亡くなり、1人が重大な被曝、また多くの付近住民が放射性ヨウ素や中性子線で被曝して、今も深刻な健康被害を訴えている。
東海村特産の干しいも生産農家は価格の低迷に苦しみ、付近の商店や工場でも売上げが激減した。金銭的な損害の幾分かは原子力損害賠償法によって補償されたが、住民の被曝とストレスによる健康被害に対しては、何らの医療保障も損害賠償も行なわれていない。
JCOに隣接して事業を営んでいた大泉昭一さん夫妻は健康を害して事業閉鎖に追い込まれ、交渉に応ぜぬJCOと親会社の住友金属鉱山を相手取って、2002年9月、水戸地方裁判所に損害賠償請求訴訟を起こした。
2003年3月3日には、水戸地方裁判所でJCO臨界事故の刑事責任を問う裁判の判決が下されたが、それは事故の真の原因を隠ぺいし、原因をひたすら現場の作業工程に限定して刑罰を科すという、事故の矮小化と本質のもみ消しともいうべき内容であった。被害を受けた住民やこの裁判を傍聴してきた人たちにとって、判決はまったく納得のいかないものであったと思う。
JCOには罰金100万円、各被告にはすべて執行猶予付という刑の軽さもさることながら、事故の真の原因をつくった発注者である動力炉・核燃料開発事業団(略称は動燃:現在は核燃料サイクル開発機構)の責任と国の原子力安全審査体制の問題にはまったく言及しない判決に対して、誰しも「これでは日本の原子力安全体制など確保されるはずがない」と思ったに違いない。
それほど、原子力推進行政に加担した裁判所の判断であった。
JCO臨界事故はなぜ起こったのか、いったい誰に責任があるのか。事故後わずか3か月足らず、調査分析を十分行なったとはいえないまま、原子力安全委員会(佐藤一男委員長)は「事故調査報告書」を出したが、それは「責められるべきは作業者の逸脱行為である」と、亡くなった作業員のミスに原因があるかのように印象づける事故調査委員会委員長(吉川弘之日本学術会議会長)の所感で締めくくられ、安全審査を行なった安全委員会自らの責任にはまったく触れようともしない、おそまつきわまりない内容であった。
本書は、発注者の動燃及び安全審査を行なった原子力安全委員会、受注者JCOの問題点を分析し、それぞれの責任を明らかにするとともに、臨界事故などという「時代錯誤的」とも言うべき、起こりえぬはずの事故がなぜ発生したかをわかりやすく解き明かしたものである。
結果として一般に流布している「裏マニュアルとバケツ」作業に罪をかぶせる説を根底からくつがえし、逆にそれこそが競争激化の環境下でコスト削減を強いられた現場において「ある種の必然性」をもっていたと推定している。
JCO臨界事故の後、プルトニウム混合燃料を既設の原発で使用するプルサーマル問題が緊急課題となった。
また2002年8月には東京電力ほか、電力各社の原発の事故・トラブル隠しが発覚して社会問題化したことから、東京電力の全原発17基が運転停止に追込まれ、現在は政府と電力会社が巨費を投じて「電力供給の危機」「首都圏大停電」キャンペーンを展開している。
こうした事態が続いているために、日本の原子力安全体制の根本的な欠陥を暴露したJCO臨界事故の影が薄くなり、その記憶の風化が急速に進みつつあるように思われる。私たちは日本の原子力開発のメッカである東海村で想定外の臨界事故が発生したこと、また迅速な事故対策ができなかったということを重く受け止め、この事故の真の原因を究明することが、きわめて重要だと思う。
日本の原子力開発推進体制を根底から批判・解体するために、本書を大いに活用していただきたい。
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■あとがき
原発推進は「日本の国策」だといいます。それならJCO臨界事故は「死者2人、被曝者667人余、避難者31万人」を生んだ日本原子力史上の大事故なのですから、国策推進者(国と原子力関係者)は大事故の再発を防ぐため、もっと真剣に努力すべきです。
しかしながら、国は事故の本当の原因に触れない、まったくおざなりの報告書でお茶を濁し、そして刑事裁判では、国の責任に触れず(免罪して)死者に責任をかぶせる結論=2003年3月3日水戸地方裁判所、判決=で幕引きとしてしまいました。
原発推進の人々はよほどこの事故に触れたくないようです。早く国民の関心からそらしてしまおうとしています。逆に私たちは、この大事故の意味の大きさを思います。事故の本当の原因は何か。それは核燃機構(旧動燃)の無理な注文と、ずさんな国の安全審査と、JCOの責任にあります。事故の責任を追及し、責任逃れをはかる人々の責任を問い、簡単に忘れさせない=風化させない活動を続けてきました。
大事故の教訓をまとめ、今後の事故再発を防ぐヒントを得るために、その中身をより多くの人々に知ってもらい原子力の大事故を防ぎたい、願わくば大惨事の起きる前に原子力から撤退してほしい、そういう目的で本書は作成されました。
本書が発行できた原動力は2つあります。1つは〈JCO臨界事故調査市民の会〉の3年余の研究会活動と刑事裁判傍聴活動です。槌田敦さん(名城大教授)を中心に毎月一回の定例会を延べ50回続けたこと、また遠く茨城県水戸地方裁判所へ傍聴(計23回)に通った渡辺寿子さん、望月彰さんを中心にした活動の蓄積が、この本の中心的な中身です。
2つ目は、東京圏の心ある皆さんの大衆的活動です。JCO臨界事故に怒り、風化させない〈9.30臨界被爆事故○周年実行委員会〉は、2000年から毎年6月に実行委員会を立ち上げ、9月30日を頂点として、多彩な活動で臨界被爆事故を大衆的に追及し、盛り上げてきました。
2つの会の3年余の活動の蓄積で、本書がやっと出版の運びとなり、うれしい気持ちです。研究会の途中では、深刻な「意見の違い」もあり、どうしたらよいか悩みもしましたが、一泊合宿等でじっくり長い時間討議した結果、契約書の分析等を通して一致することができ、それに加えて旧動燃の裏金作りと推測される秘密も発見できました。集団(グループ)で本を出す喜びと苦しみを味わった、「楽しくもあり忙しくもありの半年間」でした。
本書の出版には、写真を提供いただいた小林晃さん、金瀬胖さんをはじめ、〈市民エネルギー研究所〉の小泉好延さん、福島瑞穂参議院議員秘書の竹村英明さん、高文研の山本邦彦さんにたくさんの助力をいただきました。また、〈たんぽぽ舎〉の有形無形の協力を得ました。記して感謝します。
さらに、きびしい出版状況の中、出版を引き受けてくださった高文研のみなさんにお礼を申し上げます。
なお、本書の感想などをお寄せいただければ幸いです。
2003年8月
JCO臨界事故調査市民の会 柳田 真
http://www.koubunken.co.jp/0325/0312sr.html