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(回答先: あっしらさんへ質問したい事があります。 投稿者 三四郎 日時 2003 年 12 月 03 日 17:24:57)
[三四郎さん]
あっしらさん説2
「ロスチャイルド・ロックフェラー家は近代以降の新参者であり、さほどの力はない。
紀元前から連綿と続く金融家こそが最強のファミリーである。」
根拠として複利の計算を挙げておられましたが、理論的にはそうかもしれないが
現実的にそうなるだろうか?という気が致します。
なぜなら、銀行は常に貸し倒れ等による破産・倒産の危険が付きまといます。
動乱期、変動期をうまく乗り切れないこともあるでしょう。
同じファミリーであれば、2000年もの間に衰退・断絶する可能性もありますし、
その間ずっと資産を増やし続けるには歴代の当主に相当な手腕が必要でしょう。
暗愚な人物が当主の座につけば、資産をすべてスッてしまう危険もある。
時代の波に乗った威勢のいい新興勢力に乗っ取られる可能性も考えられます。
特に近代以降のヨーロッパは以前のローカルな勢力に限定されていた時代と違い、
動かすカネの桁が段違いであった筈なので、近代以降に出現したファミリーが
旧勢力を押さえつけて国際金融家としての覇権を確立できる可能性も考えられない訳ではない。
広瀬隆氏によれば、『赤い楯』から最新の『アメリカの保守本流』に到るまで、一貫して
「ロスチャイルド家こそが世界を牛耳る最強の国際金融家である」という主張であり、
例の複雑な系図を随所に用いて説明されてありますが、
このような近年の広瀬氏の著作についてはどのようにお考えでしょうか?
またあっしらさんの説にある、古代カルタゴの「マゴ家」をルーツとする金融家が
現在の何家、何銀行にあたるのか、何かしら見通しがおありでしょうか?
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紀元前6世紀頃から金融取引のメリットもデメリットも肌身で覚えてきたのが国際金融家だと思っています。
「暗愚な人物が当主の座につけば、資産をすべてスッてしまう危険もある。時代の波に乗った威勢のいい新興勢力に乗っ取られる可能性」も、そのような現実をそばで見聞きしたり、他の人たちをすってんてんにしたり乗っ取ったりして生き残ったのが、フェニキアやユダヤなどセム系の国際金融家です。
そういう“彼ら”は、貸し出しのリスク管理や当主の暗愚を避ける手立ても熟知していると考えています。
(今でも、“彼ら”は、自分の手でやっているわけではなく、“知的執事”を利用しています)
また、潰し合いではなく「有力同業者連合」のほうが利益という判断はすぐにできます。
(近代産業においても、トラストやカルテルそして談合は付き物です)
「特に近代以降のヨーロッパは以前のローカルな勢力に限定されていた時代と違い、動かすカネの桁が段違いであった筈なので、近代以降に出現したファミリーが旧勢力を押さえつけて国際金融家としての覇権を確立できる可能性も考えられない訳ではない」というご指摘ですが、「近代」は、国際金融家(国際商人)と国家が一体となって築き上げたシステムであり、アウトサイダーがほいほいなりあがっていけるわけではありません。
自由競争という観念は建前やお題目でしかなく、国家機構を動かせるインサイダーかどうかが雌雄を決する最大の要因です。
アクセスできる貨幣的富が格段に増大したことで、「有力同業者連合」の枠も少しは広がる余裕ができたわけですから、使える新参者は連合に加わることができたはずです。
(今後は、新参者を増やす余裕はなく、逆に、アウトサイダーで生き残っている同業者が潰されることになります)
>このような近年の広瀬氏の著作についてはどのようにお考えでしょうか?
広瀬氏の著作は、閨閥を解き明かしたということで高く評価しています。
ただし、奥の院の閨閥までは到達していないのではと思っています。
>またあっしらさんの説にある、古代カルタゴの「マゴ家」をルーツとする金融家が
>現在の何家、何銀行にあたるのか、何かしら見通しがおありでしょうか?
残念ながらありません。
何銀行ということはないと思っています。
法人形態こそが“彼ら”の最大の隠れ蓑です。法人が法人の株式を所有している複雑な所有形態ですから、看板を掲げている銀行から“彼ら”に迫っていくのは天文学的な時間が掛かり、やっと到達したと思ったときには違う実態になっているはずです。
“彼ら”は、自分が矢面に立つことを極端に恐れています。
それはカルタゴ滅亡から得た教訓でもあるのでしょうが、国家機構・“知的執事”・ユダヤ人などを矢面に立てて、自分たちは後ろに隠れているのでなかなか到達しないと思っています。
ご近所の人が「立派な邸宅に住んでいるけれど、気さくで穏やかないい人ね」と思うような存在ではないかと思っています。
また、誰が国際金融家であるかは「近代システム」を壊すために不可欠なことではないので、それはそれでいいと思っています。