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ワラジを履ける武士クラスに昇進したいcクラス武士小泉。天皇・武家ジョイント権力=帝国陸軍=ブッシュ・アメリカ政府
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/424.html
投稿者 4958 日時 2003 年 11 月 08 日 08:42:06:qN5rUjyhBZCOk

エンセンさんご投稿の増田俊男氏の小泉総理の海外での評判。
http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/359.html

武士の三階層のうち上位2層が最下層武士に対し、外出時に裸足(はだし)を強制していた(法令上そうだったのだろう。また、公務の時間内でのことで、プライベートではわらじをはいていたのではないか。)ことに、私はかなり衝撃を覚えた。参勤交代、大名行列、いろいろな形で外出する機会があったと思う。石がごろごろした山道を重いものをもって歩かせられることもあったはずだ。庶民・町民の見ている中、市中を歩く際も裸足。一般庶民が生活の中でわらじをはいている中で、武士最下層が裸足。一般的にいって(裸足を好む社会は別にして)人間に裸足を強制するというのは、これ以上人間にとって屈辱的なことがあるのだろうか。武士最下層は武士階層の中でもっとも、裾野の広い、人口層の厚いグループだったのではないか。その彼らが庶民の見ている中だ裸足だ。
もう一度いう。裸足を強制するというのは、人間が他の人間に与えられる屈辱的なことのうちでも、かなリ悪質なレベルのことではないのか。実際、足裏にあたる石ころのあたりどころによって、死ぬことがあったはず(足裏にそういうポイントがあるときく)。裸足で石ころ道をあるくことは、死ぬことも覚悟しなければならない、逆に言えば上層武士からいえば、下層武士が事故で死んでもぜんぜんかまわないという意識だったのではないか。もし彼らの命を大切に扱う気ごごろがあるなら、彼らの自尊心を大切に扱う気心があるなら、裸足を強制する法制を持つことはありえなかったのではないか。人に裸足強制するのは、奴隷扱いにすることではないか。下層武士(cクラス)は上層武士(a,b)にとって一種の奴隷の位置ではないのか。人間を人間と思わない、他者に対し、屈辱を与えることはあっても人間としての尊厳を認めないこの態度。中級・上級武士のメンタリティーなのだ。

異議を言い立てる人間に対しては@武力で威嚇する(刀のツカに手を当てる)、それでもなお異議を唱える場合A問答無用で相手を切り殺す。

庶民は、異議を申し立てることはなかったのではないか。少なくとも、武力の威嚇を与えられた段階でその異議を引き取ったのではないか。命あってのものだねだからだ。だから実際には武士が一般庶民を問答無用で切り殺すという現象は多くはなかった。しかし、それは、武士が平和的な心を持っていたからということではなく、一般庶民が、平伏し、屈従し、異議を唱えず、唯々諾々と従ったからに過ぎないのではないか。その本質は、武力が武士階級に独占されており(刀狩)、武器を持つ相手と相対峙したとき、恐ろしさから、一切抵抗する気持ちが起きなかったためではないか。現代ならば、目の前に銃を持った人間がいることを想像すればいい。その銃を持った人間(しかも問答無用で銃の引き金を引くことが許されている人間)に対する恐ろしさの気持ち、戦慄する気持ちを貴方は想像できるだろうか。江戸時代の一般庶民は武士に対し(すれ違いざまなど)、やはり、恐ろしい気持ちを常に持って、萎縮した気持ちを持って日々の生活を送っていたのではないか。一般庶民、奴隷的武士など絶対的服従のメンタリティーを持つことが、自分の命を守るため最低限の防衛ラインだったのではないか。


武力で他の人たちを威嚇(威力制圧)のすることを通じ、一般庶民から利益(米など)を巻き上げる。これが武士階層なのではないか。気に食わないことがあれば、あるいは楯突くことがあれば相手に土下座を強制させる。土下座というのもこれほど屈辱的な姿はないのではないか。


これらの行動様式はテイのいい暴力団・マフィアのそれとどう違うのか。あなたは暴力団に美学を感じるのか。軍隊を送って、武力で威嚇・制圧し、庶民の共有財産であるイラクの社会インフラなどを巻き上げている米国政府とどう違うのか。イラクの人々に土下座を強制し、裸足生活を強いること異議を唱えれば殺するアメリカ政府の行動とどう違うのか説明してくれないか?特にアメリカはノブレス・オブレージの意識を彼らの行動の正当性の理由に据えて、美学を唱っているはずだ。

米国政府は非難できるが、武士階層は賛嘆できるというあなたは、絶対的な矛盾に落ちている。武士階層は美しいがアメリカという「階層」は美しくないと考えているあたな、その異同について、ぜひ詳しく説得的に論述してくれないか。アジア諸国に対し、日本の天皇を各国の国父であることを認めさせその権威に土下座を強要し、逆らえば事実上の裸足を強制し、また、問答無用に切り殺した日本帝国陸軍と、現在の米国(米国の政策に反対する国・人間は許さない、すべてテロ・テロ性国家とみなし、軍事による掃討対象とするというのが、彼らの政策。砲艦外交方針を個人を対象とするレベルまで拡張した。アメリカの政策に反対する人間は問答無用で切り捨て御免なのだ。つまり殺傷か拘束か屈辱的に社会的地位を奪うかだ。)と、江戸の武士階層と、一体どこがどうちがうのか、整合的に説明してくれないか。本質的な違いを見出せないで私は困っている。現代の米国政府は武士階層であり、日本は蹂躙・収奪される慮民階級。小泉・竹中は必死にaクラス、bクラスへの出世を願い、すべての要求に応じているcクラスの裸足の足軽ないし奉公人に見えてしかたがないのだが。小泉はcクラスとはいえ自分を武士階層と信じているから、国民を、士農工商のなかの、農工商クラスと見て睥睨し、庶民にあらゆる無理を強制しているのようにしかみえないのだが。自分の立身出世のため、徹底して庶民を犠牲にしている。現在のアメリカ政府は日本にとっていわば天皇と武士階層を合わせたようなものであり、絶対的存在なのだ。ブッシュ大統領は、世界天皇の位置にあるのではないか。大統領は影武者で、その背後に真の天皇がいるという阿修羅的議論はここでは話を複雑にするので、とりあえず脇に置くが(欧米の国王含む伝統的超富裕層は独自の、支配者・支配層としてのある種の美意識を持っている。ただし非常に歪んだもの。つまり一握りの限られた優秀な血筋・ファミリーが、無能で迷える大多数の庶民を家畜として導くという徹底したエリート主義)。

天皇・武士階層が美しいといっている人たちは、アメリカの政治中枢も美しいという美意識を当然持っていると思うね。アメリカ権力を崇拝している日本人(日本人エリート層)は天皇・武士崇拝のメンタリティーと「本質的な部分」では何の違いもないと思うね。どうだろう。あなたは王権が誕生した以降の日本で、天皇・武家ジョイント合同権力による武による威嚇の結果(天皇を「神」と位置づけるような人類史ではよくある安直な典型的なシンボル操作も含む)、家畜・奴隷の意識が深く深く根付いていて今日に至っているのではないか。我々の奴隷的・家畜的集合意識が「小泉」というシンボルとして映し出されているのではないか。小泉は我々の精神風景を過不足なく映し出している鏡ではないのか。我々は、どのようにして、いつから、権威に唯々諾々と服するメンタリティーを内に深く獲得してしまったのか。そして、現在、それを自覚できないのはなぜか。精神史をたどると同時に現在の自己の意識を深く観察必要があるのではないか.

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