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農政に注目した。
農政は誰もが危機だと思う状況にある。
現在すっかりやる気を失うほどの日本の農業事情が出来上がっているようだが
人的な要因としても、農業に対するやる気のなさがある。
私が理解する農業に対して蔓延するイメージは、「都市生活のほうがいい、面白そうではない」多くの者が、経済その他の都市的な事情に追われることの方を選択している。
なぜ農政に光が当たらないのだろう。
政治家、官僚も、忙しいので農政のことを考える暇がない。これが原因の一つでもある。
都市生活者の意識としては「忙しくてそのことを考えていない」と言えるのではないか。
そういえばサラリーマンも戦闘員も忙しい様子だ。
会社では社のやり方に従って忙しくしなければいけないみたいな、
何がそんなに忙しいのか。忙しい音頭をとっているのは何処なんだ。
実は上層部がとても忙しいのであった。
構造上の問題でもある。
が、根本的に現代社会のルールに問題がある。
現在の常識では、今の上層部なら、次々と現れる放っておけない問題に対応しているのみが作業の大部分と言えるだろう。
ルール、例えば自由と民主主義 のもとで真剣に 生存競争するだけでも世界は戦々恐々とするはずだ。
あえて今の常識のままでいると言うなら、上層部の構造を今より能率的にすれば良いだろう。
だが私は常識そのものを適切に変えたい。
現在の構造の駆動を自ら停止する者が必要である。理解して構造への関与から離れる者である。
構造が分散していると言う話をする。
キリスト教、アメリカ政府、科学界、その他
それぞれに「我々は正しい、第一の集団である」という考えを持っていて、各構成員が不幸なことに互いの分野の、相容れない権勢を強くしようとして努力している。
したがって世界はちょうどまとまらず、各組織的な力は悲しいまでに低くなっている。(つまり世界ではそれぞれ必死の気分だ。)
その中で、安定を比較的教授している層が現状を肯定し、その予備軍とともに競争原理などで日々突きつけられる危機を突きつけあって追われ、実は構造がばらばらであることに気付く暇がない。
(それに気付く芽がなぜか素早く刈られてもいる。)
例えば現在世界ではこのように悲しい非効率な状態が動いている。
深刻な問題があるにもかかわらず対処する人員が分散している。という話
医学会には医学会の
教育会には教育会の
宗教界には宗教界の
軍事には〜
各界に我々の問題があるように思う
我々は全てそれぞれに関与している
という構造がある。
だが各界の中間管理層などが、偏狭な、ただ外部を排除する機械のようになってしまっていて(煩雑な厄介な問題に追われすぎるという理由もある。)
それぞれに内部の問題に対処しきれていない現実がある。
実際これは私にとっての不幸な状況なのである。
例えばこのように駆動している現代社会を、一旦停止しよう。