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(回答先: Re: 法華経と「法華経に拠った日蓮の教義」は別だと考えています 投稿者 デスラー総統 日時 2003 年 10 月 23 日 20:12:16)
デスラー総統、お久しぶりです。
前段の部分については大まかに同意します。
石原莞爾や北一輝は、過程や手段として国家に依拠していましたが、国家や民族という観念の崇拝者ではないと捉えています。
北一輝は、具体的な内容の記述はありませんが、世界連邦的なもののなかに国家は溶け込み地方自治体のようなものになると考えていました。そして、そのような世界連邦を確立するために、日本という国家の力を行使するという考えがあったと思っています。
(日本という国家を利用するという考えは、石原莞爾のアジア主義や日中を機軸とした米国との最終戦争という歴史観にも見られるものです。石原莞爾は、農本社会の上に近代文明を築こうとした人です)
>ところで遠藤誠というひとによれば北一輝は実は顛脳制廃止をもくろんでいたのだと
>いうことですが、この点についてのご意見をお聞かせください。
石原莞爾は天皇崇拝者ですが、北一輝は天皇“道具”説に近い考えを持っていたと思っています。
(石原莞爾の天皇崇拝は、日蓮の主・師・親を国柱会的に解釈し?、本地に垂迹した師である(たぶん師だったと)という考えに基づいています)
北一輝は、明治憲法制定後の日本を民主国家(公民国家)であると定義し、それが、経済利益を私物化する資本家やそれに尻尾を振っておこぼれや名誉を得ようとする政党政治家によって破壊されていると考えていました。
(北は、社会=国家という考えを持っています)
いゆわる民主主義を「デモクラシー」と呼んで遠ざけていたので戦後構造とは異なりますが、象徴天皇制に近いものを“過程”的国家として考えていたと言えます。
(別の書き込みで書いていますが、北は、美濃部達吉よりも芯が通った天皇機関説を唱えています)
ですから、彼が理想とする歴史の次のステップに進むときには、天皇制をなくすことを躊躇しなかったと思っています。
(明治維新の主力を担った薩長が天皇をシャッポにして統一国家を樹立しようとしたのと同じ考えだと推察しています)
※ 天皇に関する『日本改造法案大綱』(1919年執筆:第一次世界大戦及びロシア革命直後)の記述内容
『日本改造法案大綱』の最初の部分
巻一 国民の天皇
憲法停止
天皇は全日本国民と共に国家改造の根基を定めそがために天皇大権の発動によりて三年間憲法を停止し両院を解散し全国に戒厳令を布く。
注一 権力が非常の場合有害なる言論または投票を無視し得るは論なし。いかなる憲法をも議会をも絶対視するは英米の教権的「デモクラシー」の直訳なり。これ「デモクラシー」の本面目を蔽う保守頑迷の者、その笑うべき程度において日本の国体を説明するに高天ヶ原的論法をもってする者あると同じ。海軍拡張案の討議において東郷大将の一票が醜悪代議士の三票より価値なく、社会政策の採決において「カルル・マルクス」の一票が大倉喜八郎の七票より不義なりというあたわず。由来投票政治は数に絶対の価値を附して質がそれ以上に価値を認めらるべきものなるを無視したる旧時代の制度を伝統的に維持せるに過ぎず。
注二 「クーデター」を保守専制のための権力濫用と速断する者は歴史を無視する者なり。「ナポレオン」が保守的分子と妥協せざりし純革命的時代において「クーデター」は議会と新聞の大多数が王朝政治を復活せそとする分子に満ちたるをもつて革命遂行の唯一道程として行ないたるもの。また現時露国革命において「レニン」が機関銃を向けて妨害的勢力の充満する議会を解散したる事例に見るも「クーデター」を保守的権力者の所為と考うるははなはだしき俗見なり。
注三 「クーデター」は国家権力すなわち社会意志の直接的発動と見るべし。その進歩的なるものにつきて見るも国民の団集そのものに現わるることあり。日本の改造においては必ず国民の団集と元首との合体による権力発動たらざるべからず。
注四 両院を解散するの必要はそれによる貴族と富豪階級がこの改造決行において、天皇および国民と両立せざるをもつてなり。憲法を停止するの必要は彼らがその保護をまさに一掃せんとする現行法律に求むるをもってなり。戒厳令を布く必要は彼らの反抗的行動を弾圧するに最も拘束なれざる国家の自由を要するをもってなり。しかして無智半解の革命論を直訳してこの改造を妨ぐる言動をなす者の弾圧をも含む。
天皇の原義
天皇は国氏の総代表たり、国家の根柱たるの原理主義を明らかにす。
この理義を明らかにせんがために神武国祖の創業、明治大帝の革命にのっとりて宮中の一新を図り、現時の枢密顧問官その他の官吏を罷免しもって天皇を補佐し得べき器を広く天下に求む。
天皇を補佐すべき顧問を設く。顧問院議員は天皇に任命せられその人員を五十名とす。
顧問院議員は内閣会議の決議および議会の不信任決議に対して天皇に辞表を捧呈すべし。ただし内閣および議会に対して責任を負うものにあらず。
注一 日本の国体は三段の進化をなるをもって天皇の意義また三段の進化をなせり。第一期は藤原氏より平氏の過度期に至る専制君主国時代なり。この間理論上天皇はすべての土地と人民とを私有財産として所有し生殺与奪の権を有したり。第二期は源氏より徳川氏に至るまでの貴族国時代なり。この間は各地の群雄または諸侯がおのおのその範囲において土地と人氏とを私有しその上に君臨したる幾多の小国家小君主として交戦し聯盟したるものなり。したがって天皇は第一期の意義に代うるに、これら小君主の盟主たる幕府に光栄を加冠するローマ法王として、国民信仰の伝統的中心としての意義をもってしたり。この進化は欧州中世史の諸侯国神聖皇帝ローマ法王と符節を合するごとし。第三期は武士と人氏との人格的覚醒によりおのおのその君主たる将軍または諸侯の私有より解放されんとしたる維新革命に始まれる民主国時代なり。この時よりの天皇は純然たる政治的中心の意義を有し、この国民運動の指揮者たりし以来現代民主国の総代表として国家を代表する者なり。すなわち維新革命以来の日本は天皇を政治的中心としたる近代的民主国なり。何ぞ我に乏しきものなるかのごとくかの「デモクラシー」の直訳輸入の要あらんや。この歴史と現代とを理解せざる頑迷国体論者と欧米崇拝者との争闘は実に非常なる不祥を天皇と国民との間に爆発せしむるものなり。両者の救うべからざる迷妄を戒しむ。
注二 国民の総代者が投票当選者たる制度の国家がある特異なる一人たる制度の国より優越なりと考うる「デモクラシー」は全く科学的根拠なし。国家はおのおのその国民精神と建国歴史を異にす。民国八年までの支那が前者たる理由によりて後者たるベルギーより合理的なりと言うあたわず。米人の「デモクラシー」とは社会は個人の自由意志による自由契約に成るといいし当時の幼稚極まる時代思想によりて、各欧州本国より離脱したる個々人が村落的結合をなして国を建てたるものなり。その投票神権説は当時の帝王神権説を反対方面より表現したる低能哲学なり。日本はかかる建国にもあらず、またかかる低能哲学に支配されたる時代もなし。国家の元首が売名的多弁を弄し下級俳優のごとき身振を晒して当選を争う制度は、沈黙は金なりを信条とし謙遜の美徳を教養せられる日本民族にとりては一に奇異なる風俗として傍観すれば足る。
注三 現代宮中は中世的弊習を復活したる上に欧州の皇室に残存せる別個のそれらを加えて、実に国祖建国の精神たる平等の国民の上の総司令者を遠ざかることはなはだし。明治大帝の革命はこの精神を再現して近代化せるもの。したがって同時に官中の廓清を決行したり。これを再びする必要は国家組織を根本的に改造する時ひとり宮中の建築をのみ傾柱壊壁のままに委するあたわざればなり。
注四 顧問院議員が内閣または議会の決議によりて弾劾せらるる制度の必要は、天皇の補佐を任とする理由によりて専恣を働く者多き現状に鑑みてなり。枢密院諸氏の頑迷と専恣とは革命前の露国宮廷と大差なし。天皇を累するものはすべてこの徒なり。