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これは吉本隆明が『書物の解体学』で提出している概念だが
この洞察の前に立ち止まって少し腰を下ろし、
このことについて少しく物思いにふけってみたい誘惑にかられる。
とくにこのような「場」へ、さまざまに反権力的・反体制的ご意見を
述べる方々は自身の観念の寄って来たる来歴について
歳の瀬くらいは少しく振り返って考えてみる必要があるだろう。
そうすると反権力、反体制的言辞が、権力的、体制的言辞より
立派なことは少しもないことに気がつくだろう。
その上で、正義や真実を振り回すことが正しいのだが、
あたまから正義や真実を振り回すことが正義だと思うのは
とんでもないボタンの掛け違えであらう。
わたしはちょっと前まで、テレビなどで下卑たひょ〜論家などが
ふざけたことをいっていると、思わず電話器に手を伸ばして
テレビ局などへ文句をいってみたい衝動にかられたものだ。
しかし、あるときフト考えた。
だれもが皆、わたしと同じ考えになったらどれほどつまらないかと。
道であった人も、テレビの司会者も、雑誌の執筆者もわたしと同じ価値観で
同じことを言っていたらこれほどつまらない社会もない。
北朝鮮みたいなものだ。
異見があってこそ世の中面白いのに、自分と同じ意見でない奴が喋っているのを
憤慨してテレビ局に抗議の電話をするなんて、ぞっとする行為ではないかと。
それ以来、テレビであほなことをいっている代議士やタレントを見ても
まったく平然とみていられるようになった。
この板に、自己の思想との同一性を求めてやってきて、
自分とは違う異見を「荒らし」という便利なことばで一蹴し、競争や批判のない
サロン的雰囲気のなかで「仲間」どうし、かたまろうとしている者がいる
ふしもあるが
なにか小さな虫がびっしりかたまって重なりあっている光景を想像して
ぞっとする。
最近の雑談板がそれに近い。
「おれたちはせっかくいい気分で楽しんでいるんだ。雰囲気を壊さないでくれ。
議論をするなら議論板でやってくれ」
なんてことをいっている者がいた。
なさけないというか、なんというか、こんなところまでつまらん縄張り意識を
敷衍しに、わざわざやってきている。
また世が世だから、そんなものに同調する者ばかりである。
それはそれでいいだろうが、なにか、非常につまらないものを感じる。
いったい阿修羅はどうなったのだ?
激しい討論を避け、ぶつかり合いや、批判を避けているとこのような板は
ロクな板にならないだろう。
さて「観念の遠隔対象性」が主題だったわけだ。
いままでの異見も大いに影響するのだが、
しかし一足早いオトソを飲みすぎた。明日にする。
もっとも、この議論板はいまのところ小生の独占状態だから、
ゆっくりしてもかまわんだろう。(笑)