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(回答先: Re: エージェント論「阿修羅あっしらプロジェクト」について 投稿者 名無し 日時 2003 年 12 月 27 日 16:17:11)
名無しさん、こんにちわ。
面白く拝読した「阿修羅あっしらプロジェクト」が削除されて残念です。
感じた疑念をそのまま提示することは阿修羅という場に限らず重要なことだと思っています。
「阿修羅あっしらプロジェクト」は、“あっしらはエージェントだ!”というただの煽りではなかったので意義のある投稿だったと、私は考えています。
勝手にお褒めいただいたと受け止めている部分はともかく、「なにしろ私は阿修羅掲示板から4-5百万円に相当する恩恵を受けた身」という阿修羅評価は、私が現在進行形で投稿している世界認識は阿修羅との関わりのなかで形成されたと言っても過言ではないということで共有しています。
そして、「だが結局あっしら氏がこの掲示板で果たす役割とは何だろうか。阿修羅主義に適うだろうか。神(世俗的意味での神である。)に対して敢えて戦いを挑むのが阿修羅であり、神を奉るのが阿修羅ではない」には強く同意します。
今日もおいらーさんから誤りの指摘を受けましたが、けっこうちょんぼもしてますし、“神”の巧妙な筋書きに翻弄されてあり得ない期待を抱いたり分析をしてしまうこともあります。それがそのまま軌跡として残るのが阿修羅システムの良さだとかんがえています。
自分自身が今のあっしらを根底的に否定することになってしまう変化をイヤだとは思っていません。
わたしがわたしであることにはこだわっていますが、わたしの思考活動の成果は、その責を担い続けますが、わたしそのものでもなければ、永遠不滅のものでもないと思っています。
また、阿修羅で投稿を続けている狙いは、現実に起きていることをどう捉えどう判断するのかということを私の投稿を通じて参考にしてもらえればいいなというもので、認識や判断の結論を受け入れてもらいたいというものではありません。
(そういう視点もあるのか、そういった見え方もあるのかという意味での参考です)
そして、阿修羅から受けた最大の恩恵も、いろんな視点や事象の見え方を知ったことです。自分の判断と正反対であっても、「う〜ん、そういう考え方もできる」という投稿に出会えるのがなによりも阿修羅での喜びです。
いろんな視点や事象の見え方を誘発するのは疑いです。
ほとかいな?、そんなことじゃないだろ?、それはありえない、そうだとこうなるはずだといった疑いが、他の情報に反応させたり、あれこれ考えることを促し、別の見方につながっていくもんだと思っています。
このような意味で、「阿修羅あっしらプロジェクト」という疑いも、拙い投稿ですが、私の投稿を読んでその内容(思考成果)をそうかも知れないと受け入れそうになる人ほどお持ちいただきたいと思っています。
おまけ:
名無しさん:「私があっしら氏の素性に疑問を抱いたのは、あっしら氏が日本情報機関の中枢にいる方との面識があると書いたのを読んだときである。偶然に機内で逢ったように書いているが、そのようなことは万に一つ程度しか有り得ず、万が一機内で隣に座ったとしても素性を明かして名詞を取り交わすことは考えにくい。「ひょっとすると」という視点であっしら氏の投稿を読んでいると疑惑は疑惑のままでは済まなくなった。」
私に疑いを持つきっかけとしては妥当なものだと思います。
佐々淳行氏と私が一緒に旅をしていたのをそういう風に表現したり、旅行目的が同じだったから同じ航空機に乗っていたのではという推論はアリです。
あのような書き込みをしたのは、佐々淳行氏を傲岸不遜の人物ではないかという予断をしており、いわゆるビジネスエリートの新幹線車内や航空機内での傲岸不遜な態度を多々見てきたことことから、すぐそばでそっと見ていた佐々淳行氏の振るまいが礼儀にかなったものだったことに少しばかり彼を見直すという経験をしたからです。
2年前ほどに欧州に旅したときも、隣の老夫婦が外務省や皇族筋の話を交わしていたので、知らないふりをして耳をそばだてていたという経験があります。外務事務次官経験者のことを味噌糞にけなし、それが同じく外務官僚であった父親の影響だろうと語っていたのを印象的に覚えています。
私は無償航空券での旅行ですが、ファーストクラスにはメディアで見知った人が搭乗していたり、普段は接しない世界の噂話をする人がそばにいることは珍しくありません。
新幹線のグリーン車もそうで、ビジエスエリートが、会社のなかにいるかのように尊大な振る舞いをしている情景もよく見かけます。
事実がどうであるのかは、検証ができないことなので、みなさんの推論にお任せします。