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(回答先: クーデター論? [愚民党さんへ] 投稿者 如往 日時 2003 年 12 月 19 日 12:28:12)
如往さん、こんばんわ。
68年ー72年とは、労働者における反戦委員会(総評青年婦人部と社会党青年部が、最初つくる)。
大学生における全共闘運動。反戦高校生運動。
つまりにどこでも熱い論議があったと思います。そのような時期には個人の問題意識が高揚しますので
反戦自衛官なども誕生したと思います。
想像力は権力装置にまで、波及し、軍事論がなければ、党派もノンセクト・ラジカルも生存していけなかったのが
70年代であり80年代では・・・そう思います。
68年-72年の時期が、大きく生み出したのは「パリ5月革命」に代表される「想像力論」であったと思います。
軍事と武装は想像力の身体でもありました。
ゆえに三島由紀夫は市ヶ谷自衛隊駐屯地で決起いたしました。
あの日、自衛隊員は「三島由紀夫は馬鹿な男だ」と笑っていたそうです。
当時の防衛庁長官であった中曽根康弘氏も「馬鹿なまね」と言って笑っておりました。
中曽根康弘氏は世界権力に認証され総理大臣になった米国の代理人であり傀儡でありますが・・・
自衛隊も当初から全国にあります米軍基地を防衛するために創設されましたから、米軍の傀儡です。
日本の総理大臣・外務大臣・財務(旧大蔵)大臣・防衛庁長官・警察庁長官は英米世界権力の承認においてしか
登場できません。組閣には必ずアメリカ大使館が関与しております。
傀儡組織の自衛隊には、独自的な軍事思想が誕生する母体はありません。
いま、NHKでも自衛隊を宣伝するためのプロパガンダとして、シリーズ「安全保障」などを放映しております。
今年の12月から来年の1月は、日本国憲法成立以後、はじめて日本の軍隊が、外国へ侵略しに行くのですが
大きくねじ曲がって行く起点だと感じております。
1993年、現皇太子と外務省官僚の娘さん(外務省)が結婚した日こそ、日本天皇制が世界権力の傀儡装置として成立した日です・
戦後統治支配のプログラムとは・・・・
全面的な傀儡の権力装置。傀儡の象徴、その壮大なマスメディアによる国民的祝祭が1993年でありました。
現皇太子がラストエンペラーとして世界権力が認知した日でもありました。
ラストエンペラーにおいて日本天皇制は打ち止めにされていくと思います。無自覚のままに・・・・・
祝祭を扇動した裏側には同時に落下させるという決定があります。
日本とはいつのまにか満州国へと置換されていたのです。
「失われた90年代」とは、まさに実態です。
現在、試されているのは、68-72という時期に誕生した、それぞれの想像力までもが
傀儡になってしまうのか・・・ ではないかと判断しております。
傀儡軍隊である自衛隊がイラクにいく、これこそが現在の日本を全面的に象徴しております。
独自的な日本精神史も、30年が試されていると、思い、ため息をついております。
年末から年始の時期は、とにかく生活の日常で大きな声を出していきたいと思っております。
おのれの声はおのれの身体に活を入れてくれます。電磁波攻撃には負けたら、明日は声を出して勝ちます。
その営為こそが身体の冬です。
冬の風を頬に感じながら冬のわが町を歩くとき、日本は美しいと見とれてしまう陽光があります。
三島由紀夫自決以後の71年が発見したことは、感性が摩滅し自我が解体していく身体が発見しとことは
美しい街ではなかったのでしょうか・・・
自分はこれまで、さまざまな職業についてまいりました。元自衛隊であった人ともペンキ塗装などで仕事をしました。
国士はおりませんでした。戦略的な人もなく、よほど自衛隊が居心地と給料福利厚生諸条件がよかったのか
営業戦線という日常戦争では通用しなかった人材だと思います。
佐川急便で働いていた人のほうが根性もあり、ペンキ塗装営業戦争では闘争心がありました。
傀儡の組織はやはり、個人の心に強さがあり、おのれ自身が営業において独自戦略と戦術を立ち上げることができるという
闘争する人材は世に排出できないのだと、実感したことがあります。
有能な人材は自衛隊などには行かないからです。
将校という人材をつくる防衛大学などにいく人は違うと思うのですが・・・・
しかし彼ら防衛将校は大学から現場に配属されたとき、兵士人材の落差の前に絶望するはずです。
自衛隊将校はこうしてマイホーム建設へと夢を託してまいりました。
兵士とは給料と免許をとりにきた人であり、企業という人材が試される闘争戦線からはずれ、厳しい競争社会から離れた
安全弁として選択した「自衛隊ではくつしたまで支給されるのですよ」。
横浜山下公園の日曜日には、海自衛隊の制服をきた青年と娘さんがよく歩いております。
ファッションの光景です。
陸自衛隊駐屯地兵舎とは女性を求める夢想がうずまく共同幻想の場所です。
激を飛ばした三島由紀夫は演説をしながら、ニヤニヤ笑う自衛隊員をみながら、その落差の巨大さに絶望したと思います。
おのれの想像力との落差と現実の乖離。
そこには傀儡の兵士しかいなかったからです。傀儡という敗戦後の実態・・・・
おそらく自衛隊兵士とは、日本古代以来の、もっとも脆弱な軍隊組織であると思います。
傀儡の軍隊とは喜劇を通り越した悲劇です。
間違いなくイラクでは部隊ごと国際社会の陰謀と罠の落とし穴に陥没して、殲滅されると思います。
それはまた敗戦後59年における日本統治の完成かもしれません。
日本の軍隊の崩壊という事実が世界の映像TVに発信され、日本の脆弱性が世界民衆から笑われて認知されるのです。
「ラスト・サムライ」というハリウッド映画をみてきました。
1993年天皇制が英米世界権力の傀儡象徴となってから10年を祝福するかのような映画でした。
10周年記念事業映画、明治天皇の近代軍隊は英米によって育成され、西郷軍を壊滅・・・・
日本精神史を敗戦後58年をかけ殺したことを祝祭するみごとなハリウッド映画でした。
そして12月25日の先遣隊から2004年1月の出兵・・・・
傀儡軍は「文明の衝突と決闘」の陰謀と罠に陥没されていきます。砂塵へと同一化されていくのです。
如往さん。ありがとうございました。