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大正不況と平成不況
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投稿者 国破山河在 日時 2003 年 11 月 29 日 07:32:04:AoiWJBk4Fvjxg

大正不況と平成不況

先週末、為替投資をしないかとの電話が私宛にかかってきた・・・。私自身、物凄く貧乏なのに・・・どこから投資対象者を選択して電話するのか正直なところ飽きれてしまったが(無作為に電話していたのだろう)
今現在、米ドルは底値で、今後上がる可能性があるとか・・・ユーロは堅実な投資対象ですとの話でした。

それで、以前から気になっていた大正時代の不況と今日の平成不況に思いをはせて、書籍をちらりと見たのですが、時代背景やその当時の国力・規模などと現在は違っても、人間の行動と言うか、心理的状況はよく似ているものだと、感心させられました。

1億人の昭和史J昭和への道程ー大正 毎日新聞社刊 昭和51年発行のなかで

暴騰・暴落の15年 羽間乙彦著〜

時代のかけ橋・大正

〜大正は、つかの間の自由な時代、手足をのばして、なりふりかまわず振舞った時代であった(大正デモクラシー)〜いまや明治の「帝国臣民」は、かみしもをぬいで、大正の「日本国民」となり、より多く「個人」を自覚した。また「個人」は「大衆」の構成員たるを意識した。大正3年夏、世界大戦が勃発し、日本も参戦したが、明治の日清・日露戦争ほどの切迫感も、悲壮感もない。いわば高みの見物的な参戦の仕方であった。しかも日本は儲ける。国もふとったが、「個人」もふところをふくらませた。欧州の平和産業がさびれたので、日常消費物資の注文が殺到する。日本商品は欧州諸国の植民地にも販路をひろげる。軍需品の注文も引き受ける。今まで輸入に頼っていた化学工業品などが来ないので、日本でつくるようになった。諸工業の勃興を招いたのである。
「日本」は借金国から債権国に成りあがった。輸出や海上運賃で外貨をかせぎまくったからである。「個人」は「成金」になった。「歩」が「金」に成ったのを「成金」という。文無し変じてたちまち大尽になった、という意味だ。いまや明治の「富国強兵」「殖産興業」のスローガンは色あせている。「個人」が自分の思想・商才で儲けた、という気持ちが強いのも無理はない。「成金」は札ビラをばらまく。株式や商品の投機が、人の心をさらう。会社は雨後の筍のように設立される。物を作れば売れた。買えばあがった。「大戦ブーム」と呼ばれた。
 しかし、山が高ければ谷が深い。大正九年には大反動が来る。「成金」はもとの「歩」にもどる。用心深かった者だけが、それを切り抜けることが出来た。不景気は続いたが、いちど染まった放漫の風潮は用意には抜けきれず、「軽佻浮薄」を戒める声も出ていた。そこへ「関東大震災」だ。人はこれを「天罰」と受け取った。恐慌・不況のあとの震災_泣き面に蜂だ。その後も不況は続き、深刻さを増していった。
 行き着く先が、昭和2年の金融大恐慌である。「昭和」は恐慌で明けた。5年には「金解禁」だ。日本経済の根こそぎの大整理が意図され、荒療治のあとの健康体が期待されたのであったが、折柄の「世界恐慌」のあおりを受けて、結果は不況の上塗りどころか、一層大きな恐慌を巻き起こした。「昭和恐慌」という。そして、経済行き詰まりの突破口としての大陸侵略につながる。軍国主義が鼓吹され、進軍ラッパが鳴りひびく。この時、「昭和」の「天皇」はふたたび威厳をもって前面におどりでた。その周辺は軍閥と官僚によって固められている。「個人」は返上され、「日本人」はまたもや「帝国臣民」に逆戻りさせられる。彼らのうちの荘丁は「しこのみたて」として引き立てられていった。そして散る。「天皇」のために、大陸の土となり、果ては太平洋の藻屑ともなったのである。しかも、彼ら荘丁のうちの大部分が「大正」の世に生をうけた「自由の子」であったとは_「大正」は呪われるべきなのであろうか。
 ともあれ、「明治」から「昭和」へのかけ橋としての「大正」は激動の15年、暴騰・暴落の15年であった。「暴騰」は必然的に「暴落」をはらんでいる。大正7年の「米騒動」は「暴騰」期の最中に起きた大波乱であり「暴騰」の鬼子であった。もっとも、「暴騰」が産業発展のうえで、実質的な繁栄の果実を生んだことは否めない。しかし、たといそのことを評価しても「暴落」とその後に続く「破局」の根因としての「暴騰」の罪は深い。
 総じて、大正は明治から昭和へ、「建設」から「侵略と破滅」への道程かけられた「あぶない橋であった」しかし、この短い「暴騰・暴落の十五年」の橋は「日本」と「日本人」にとって、莫大な授業料と引き換えに、得がたい体験を与えた。三代の中における「大正」は、このようにも解釈できる。

崩落の諸相_恐慌・大震災

〜当時の銀行の経営ぶりは放漫であった。銀行の重役が事業を兼営し、大衆の預金をその事業につぎこむといった有様。銀行は私物化され、事業の機関銀行となっていた。ブーム下の貸し出しには、とくに野放図であった。『銀行罪悪史』(大正十一年刊)の著者は

 「左様じゃありませんか。財界が沸騰し、諸株が目まぐるしく暴騰また暴騰を報ぜられ、いやしくも売るべき『物』を所有する者がみな成金となってしまうような時代に、元来、財布の紐を引き締むべき役目にある銀行までが羽目をはずし、資金の御用がありませんかと誘惑するのだから、社会に投機熱が蔓延するのは当然ではありませんか」
著者はさらに、財界が反動期に入ると、銀行がたちまちきびしい回収に転ずることを指摘したのち、「火にかけたゴムまりを急に縮ようとすれば、破裂するにきまっている」と銀行やの態度をなじった。

 反動後の不況がうち続くうちに、大正十二年九月一日関東大震災がおこった。
 その被害は東京市の調査では五十五億円といわれた。日清戦争の戦費が二億円、日露戦争のそれが壱拾九億八千万円であったのにくらべ、その大きさがわかる。天災とはいえ、建設的な明治に反して、大正はやはり「あぶない橋」の資格を十二分にそなえている。

〜ともあれ、財界はダブルパンチを食った。反動恐慌は放漫の帰結であり、震災は天譴であった。震災ショックのあと慢性不況が続いた。経済体質は基本的に悪くはなかったが、思いきった財界整理をする蛮勇は、だれも持ち合わさなかった。いわゆる「財界救済」でその場を取りつくろった。「震災手形」は最大の間に合わせ的な救済策であった。ついに来るべきものは、昭和の初頭に来た。金融恐慌である。

結城豊太郎は、こうみる。
「ここに至った原因を根本的に解剖したならば、要するに事業家の不真面目と政府の放漫政策とから発した毒瓦斯が溜り溜まった結果であって、何時かは掃除をされなければならなかった。その総決算がたまたま震災手形の処置を動因として爆発するに至ったのである」

呪われた「大正」の人々は、自ら架けた「暴騰・暴落」の「あぶない橋」を渡りきった。そして、傷ついた敗残の身で、運命の「昭和」になだれこむ。


ため息が出てしまうように、現在の平成不況と大正不況の世相がよく似ていると感じるのは私だけでしょうか?財界や銀行を現在の公益法人に置き換えてみれば面白いかと思います。

先ほどの為替投機のお話をされてた方に私は、「大正時代と、現在の日本の状況が酷似してるので、損します。」と答えてしまいました。(実際には経済的な事については全くのど素人です)そしたら、その方は「大正時代と現在の平成時代では全然、経済規模や国力も全然違いますからその当時のようにはなりませんよ。(笑)」との話でした。
私は経済規模云々というよりも、その当時の歴史の流れと言いますか、世相がよく似通っていると、直感的にですが感じています。

現在の日本は「個人」より「公」といった、風潮に傾きつつあります。自衛隊のイラク派兵も今後の「破滅」への第一歩となるのだろうかと、戦々恐々といたしております。「大正」の世に生をうけた「自由の子」であったとは・・・・ここを、「平成」の世に生を受けた「自由の子」とならないことを・・・・。

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