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(回答先: Re: 神は究極の計算機だがしかし・・ 投稿者 常呂部 日時 2003 年 11 月 24 日 14:58:53)
胡蘭成の「機」論。「機」の漢字を、チャンス、などと言う下劣な英語に翻訳した売国奴学問奴隷ども。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
投稿 平成15年11月24日22時09分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)十一月二十四日(月)
(第七百七十二回)
○胡蘭成漢文全集全九巻。
その中に、
「革命要詩與學問」(一九九一年、三三叢刊、台北市)。
その二百二十五頁以下に、
「機論」在り。
○これは、「機」と言う漢字(語)を詳しく論述したもの。
○「機字是中國文明獨自悟得。此外惟日本人亦知善愛此機字。
印度人與西洋人皆不知機」(二百六十四頁)
○機の字は、中國文明が獨自に悟得したものである。中國人の他には、
ただ、日本人だけが、此の機の字を知って、喜び、その字を愛した。
インド人と西洋人は、皆、機、を知らない。と。
○「世界上惟中國人在學問上知道有個機字。
古印度人與希臘人因為不知有一個機字、所以提出了對於運動時疑問。」
(二百三十頁)
○世界中でただ中國人だけが、學問をすすめて行く中で、機、と言う
一個の字があることを知った。
古代のインド人と、ギリシャ人は、機と言う一個の字のあることを
知らなかったために、事物が運動する(事物が動く)のは何故なのか、
その理由が分らなかった。と。
○ここには、現代(明治以降)の日本人にとって、きわめて重要なこと
が述べられて居る。
○筆者の知る限りでは、本書(「革命要詩與學問」)所収の「機論」
(約六十頁)は、日本語版の胡蘭成著作には含まれて居ないようで
ある。
○いずれ、邦訳紹介の機会を得たい。
○「一草一木一瓦礫裏皆有著個天地之始、機在於這天地之始。」
(二百三十二頁)
○一草一木一個の瓦礫でさえ、その裏には、皆、天地の始めのときに
由来するその個あり。
かくして、機は、天地の始めのときに、既に在するのである。
○ところが、清末、西洋の文物が流入したとき、清の文人は、西洋の
「マシーン」を、「機器」と譯した。
○古来、中國では、機器には「天機」が在した。
しかるに、西洋のマシーンは、
是没有天機である。
(二百六十四、五頁)
○西洋のマシーンには「天機が存在しない」、と言う。
○まさしく、その通り。
○ここで、胡蘭成は、現代東洋と、現代世界の問題の、核心を衝いて
居る。
(了)
●[注]
○ここで、胡蘭成は、荘子を引いて居る。
「道在瓦礫」。
道は瓦礫に在り、と。
(二百三十二頁)
・・・話題としては面白いと思うのですが、こういう漠然とした説明では、よく分かりません。