現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ31 > 809.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 逞しく、やさしく、柔軟な国家へ再生【亀井静香の緊急提言】 投稿者 エイドリアン 日時 2003 年 11 月 12 日 21:48:00)
★ 戦前のことは分らないけど、今の日本を見る時、亀井さんの「日本人の共通の価値観」再生を支持します。
http://www.nb-j.co.jp/katteren/ronbun/kamei1.htm
前自民党政調会長・衆議院議員●かめい・しずか 亀井静香
いよいよ改革本番に突入した。小泉総理には、聖域なき構造改革を断行していただきたいものである。信念のあるステーツマン・小泉純一郎は、私の最も認める政治家のひとりで、私は小泉総理を「月光仮面」になぞらえている。闇夜から日本を救う月よりの使者。ただし、小泉総理は新月光仮面で、本家本元は石原慎太郎知事である。
現在、日本は既に午後四時半を過ぎていると私は認識している。逢魔が時を迎え、改革が失敗すれば、このまま日本は、漆黒の闇へと落ちていく。元祖月光仮面と新月光仮面が手を携えて、日本の輝かしき前途への道標をしっかり照らしていただきたいと願っている。
制度的、構造的改革は、もとより現在、長期的な視点でメスを入れなければならない課題は山積している。中でも日本人の魂の復権は改革の根幹・土台となるべき、最大の課題だと考えている。
ここ数年、犯罪の凶悪化、低年齢化が目立っている。大阪教育大附属池田小学校の凄惨な児童殺傷事件に象徴されるように、連日のように繰り返されている惨劇は目を覆うばかりだ。通り魔殺人事件、親殺し、子殺し、幼児虐待……日本人の道義は地に堕ち、一昔前なら到底看過できなかった凶悪な事件にさえ、私たちは不感症になりつつある。日本で今、何が進行しているかを考えると、私は背筋が寒くなって仕方がない。
昭和二十年、日本は戦前とはまったく異なる国として出発を余儀なくされた。伝統や文化は戦勝国によって否定され、東京裁判史観を押しつけられ折柄台頭してきた唯物史観とあいまって、自虐的な教育が行われてきた。国は認めない。郷土愛は全体主義につながる。親孝行より個人の自由。この国だけを尊しとする戦後精神文明は、国を否定する全共闘世代を生み出し、今やその子供たちが社会の中堅になりつつある。公はなく、個人の自由と権利がすべてとのまやかしか最後にもたらしたのは、利己主義、無責任主義、冷徹な合理主義にしか過ぎなかった。個を軸に文明をつくり上げること自体は無論、悪ではない。しかし、公と個のバランスの取り方がいかにも不釣り合いである。
日本人の個と公の距離の保ち方は、歴史的にも非常にアンバランスであった。一握りのエリート、武士階級によって体制が覆され、明治維新が実現し、日本は近代国家に脱皮した。当時の知識階級が命がけで近代化を成功させたのはよかったが、大衆が自ら勝ち取るという真の意味での市民改革を経ていないため、民主主義の尊さ、個人主義の厳しさへの理解が薄っぺらい。やがて官吏の力の増大、日清日露の戦勝が神の国幻想と結びつき個が埋没、極端な全体主義へ傾き、悲劇の道へと進んだ。
戦後、アメリカによって民主主義、個人主義、自由主義が与えられると、今度は振り子は反対方向へ大きく傾き、個人主義や自由主義ははき違えられ、日本人は欲望だけを膨らまし、利己主義に堕していった。アメリカ社会では、民主主義、個人主義であるがゆえ、個人の尊厳と権利を死守するために、公に対する義務に対しても厳しい。ところが、真の個の概念が希薄な日本では、権利意識だけが強調され、個の責任と公の概念は無きに等しい。
さらに日本の伝統文化が否定されたため、日本人の共通の価値観が消滅した。戦前は神道と仏教が共存した形で、道徳の規範な価値観をそれとなく共有していた。だが、利己主義を助長してきた戦後文明は、生きていく上での共通認識を奪い、人々はバラバラの価値観しか持てなくなっている。個々が分離し、共通の価値観がない。かわって増幅されているのは、欲望に基づくエゴイズムである。そうなれば、自分の欲望の実現を邪魔する存在は敵でしかなく、場合によっては抹消する事もやぶさかでなくなる。
いや、個人の存在さえ危うい。自己とは、しょせん他人の間にたゆたう葦のような存在だからだ。他の存在を認めなければ、親兄弟も愛せない。親兄弟を認めなければ、結局は自分をも否定するしかない。かくして凄惨な事件が日々、新聞を賑わす。
日本人のアイデンティティ、国の背骨が熔けて流れ出している今、日本にとって財政再建や景気回復とはまた違った次元での、最大にして緊急の課題は、魂の崩壊をどう食い止めるかである。政治の責任は極めて重い。