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(回答先: Re: 近代の見直しから、はじめっぺ---んだなっす。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 10 日 00:55:05)
いやぁ、竹中半兵衛さん、いい話しを聞かせてもらったんんべぇ〜 あんがとぉ〜
おら生涯の「いなかっぺ」だけん、うれしがった〜
故郷のおさななじみに会った気分だっぺ〜
うんだ、栃木べんは茨城と似ているんだっぺ。
おら栃木の北のほうだから、ほとんど東北べんだっぺ。
でも栃木べんと茨城べんは、音の空白地帯だって言われているんだぁ〜
「花」と「鼻」の音を明確に発音できない、日本語の音声空白地帯。
だから語尾を上げて、伝えようとするんだっぺ〜
そのせいかしらんけんど、まぁ栃木人と茨城人は昔から過激だっぺ〜
幕末は水戸藩士が幕府老中暗殺で活躍したっぺぇ〜
明治自由民権運動も栃木は過激だったぁ〜
田中正造は有名だっぺ〜
竹中半兵衛さんの父上の話、ぐっときたぁ〜
まぁ、日本共産党は宮本顕治が書記長になってから、一挙に選挙党になってしまったぁ〜
1972年頃までは中央委員会に、大衆運動に力を入れていた関西の常任幹部いたけん、
日本共産党もそれなりにエネルギーがあったと思うんだけんど〜
この人が亡くなってから、まんず選挙と赤旗新聞拡大・・・
これじゃ、党員も民主商工さまと高齢公務員さましか、残らなくなってしまうべぇ〜
まぁ、民主主義青年同盟も1972年には20万人いたけんど、今は2万人いないんじゃぁ、ねえの〜
悲しき高齢民主主義革命党だっぺ〜
やっぱ日本革命党だったら、昔の水戸藩士や田中正造みたく過激さがないと
若い人がおもしろくないと、おら、おもうんだっぺ〜
まぁ、おら今回、阿修羅サイトの常連のみなさまには嫌われるけんど
日本共産党に入れたけんどぉ〜
なんかすかし、ここまで土井社民党と日本共産党が減少すると
1950年代朝鮮戦争の絶望時代が再来したと感じてもいるん。
投票率も戦後最低だったよねぇ〜
まぁ「選挙で世の中が良くなった時はない」これは真理だっぺ〜
だから、おら白票も棄権表も意義あると評価してんだぁ〜
ただ、おらは今回は動物的に選挙に参入したいという欲望がわいたんだぁ〜
おらにとってはこの敗北感がエネルギーになるべぇからぁ〜
竹中半兵衛さんなら、わかってくれると思うんですが〜
おら、京都から帰ってきて、毎日、合成酒ばかり、くらっているんだけんど
京都経済なら、まちがいなく日本から独立できると、確信したんだよぉ〜
まぁ、おら雨で仕事もなしの朝からの酔っ払いだけんど
日本共産党は宮本顕治の「敗北の文学」から再出発したほうが、いいがんべぇ〜と
ため息ついてんだぁ〜
「敗北」の文学を―そしてその階級的土壌を我々は踏み越えて往かねばならない。
1929年4月 宮本顕治 「敗北」の文学
日本共産党本部に今、電話して聞いたら宮本顕治もまだ生きているとのこと。
宮本顕治は、なんだべ、長州人だから政治力があったんだべか〜
東北は明治維新官軍のいけにえにされたよね〜
いまもって会津は長州を許していながんべぇ〜
長州軍は会津軍の死者を葬ることを許さず、野ざらしにしたかんねぇ〜
死者の冒涜を会津の人々は永遠に許すことがながんべぇ〜
長州の安部おぼっちゃま自民党幹事長も死者たちから、見られてんだっべぇ〜
これが日本の「怨」のおそろしいところ・・・
まんず、竹中半兵衛さん。
薩摩と長州は250年かけて、関が原戦争敗北の「怨」を、明治維新ではらすんだから〜
日本はまんず、200年単位で「怨」の構造が爆発するんだっぺぇ〜
竹中半兵衛さんの広い心に甘えて
ど頭、カオス、身体、酔っ払いにまま、返信させてもらったんけんど
かんべんしてくろ〜
方言の話題はおらみてぇ、いなかっぺには最高。よろすく〜
盲目の哲学者・黒田寛一の場所の論理
その根底にある西田幾多朗哲学・・・これはどうも日本の哲学らしい。
まぁ、宮本顕治は日本哲学者でなく、近代日本文学批評者・・・
ゆえに文学批評の日本民主主義革命党は日本に回収され、敗北する。
やっぱ、批評だからだっぺ。批評は制度を補完する。
過激な日本行動精神の心臓には降りていけない。
ゆえに日本共産党は第2次世界大戦ファッシズム―天皇絶対軍国主義に壊滅された経験を
反復する。本質的に批評の政党はおのれを外在化する。
日本は古代以来、批評によって、革命的転換が起動したことは、一度もない。
日本とは200年単位にわたる「怨」立国である。
そして日本とは世界のいなかっぺによって成立している。
この疎外こそが日本革命の鼓動である。