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(回答先: Re: 竹中半兵衛さん、まんず、近代の見直しから、はじめっぺ 投稿者 愚民党 日時 2003 年 11 月 09 日 02:13:13)
愚民党さんよう(「よう」は親愛を込めた間投詞です)、
ますます一杯やりたくなったっすなあ。
おらの言葉はおらがもう何十年も腹の中さはぐくんできたおら自身の言葉だっす。だども腹芸とは違うんで聞いてけろ(ちょっと語尾を上げて、お願い調)。
小学校3年から中学校1年までしゃまがた県(さまがたとも言う。山形県のこと。これらは昔は自嘲的に使われたが、ダニエルカールの出現により、プライドに満ちたおらが村のことばだー)さおっだもんでは、おらの言語形成期はいわゆるズーズー弁でも裏日本型の東北弁で基礎付けされ、より純化した東北弁が完成すたんだっす。一般に山形弁だす。純粋であるだけに他の地域と融和しにくい性質をもち、その純度は沖縄方言や鹿児島方言にも共通する。おらの親は鹿児島だもんで、家で鹿児島弁、外で山形弁で、おらはまるで別世界にすんでるような、いわゆる二重言語生活ばしとったとでごわす(註。この終止形は鹿児島弁だす)。
んっだで、おらが東京の中学校さ転校すた時は、えれえバッシングされただ。なんずわれたが(なんと言われたか)、そら、東北人への差別用語だっす。「いなかっぺ」。教室でしぇんしぇー(先生)さ「竹中君、これは正しいか」ときかれたどすんべ、すったらおら「違う、正しくない」と言えねべ、んで二つ返事で「んねっす、ただすいくねっす」、「そうです。正しいです」は「んだっす。正すいっす」つうべ。すったら、クラス中の人たちはおらの返事さ笑いもすねで、そのときは無反応だっす。ところが、校庭さ出てみんなと遊ぶときは、なんかおらが失敗すると、「やーいやーい、いなかっぺー」だとは。おら、かごんまの田舎から、山形の大都会さ出てきてたべ、ほんでおら自身東京では都会人だと思ってただ。すったら、こうだんべ(失礼、この言葉は北海道では禁句ですだ)。おら、おらの身なりから顔つきまでじぇーんぶ鏡ば見て確認すたんだ。
すっかす、この上品な顔立ち(今でいえば渥美清と木村拓也を足して二で割ったようだとは)で身なりも立派な(といっても学生服だったす)おらのどこが田舎もんだべ、と自問し、クラスでおらを田舎っぺ呼ばわりしたもんに聞いてみただ。
「おらのどこがいなかっぺだべ?」。すったらみんなくすくす笑うばっかりでよう、おらの質問には答えね。ま、そんでおらは「君たちはおらを山形の都会人と認めたんだな」とその場は自分なりに納得すたッス。
ほんで、授業さなっべ、国語の授業でしぇんしぇーが「竹中君、ここを読んで」っていわれると、おら東京の発音さ知んねべ、ほんで山形式抑揚(イントネーション)で読むんだ、すったら、みんなおらが山形なまりのイントネーションさ気をつけてきいてんだな、あらな(註。「あれはね」)。ほんで、おがす(おかしい)なと思うとこばっかだべな、あいつらよう、といってもとす(年)ののせいで死んだ人間ももう居ってもおがすくはね。あいつらよう、その場では絶対に反応すねくせしてお、ほらもう「東京はずまって以来の最大のいなかっぺ」だとは。おら、すぐに学校中の有名人だべ。下校すっときはよ、みんながよう、おらの後ろからよう、指差して「いなかっぺ」つてよ、哂ってる気がすただ。ちとばっかす腹たったども、家さかえってとうちゃんさ話ばすっべ、すったら、「そら名誉なこっちゃがな、おめ(お前)はおう、東京一の有名人じゃっど」と鹿児島弁でほめられただ。おら嬉し恥ずかしだったども、なんとなく気分はええべ。そうかあ、おら有名人なんだ、こんでんぐびゃあ(これで行こう)と心さ決めてなっす、シャゲートー(社会党)のおう、ほら、ズーズー弁のおう、佐々木更三っておっさんがおったべな、のちに委員長さなった人だよ。あん人みて、委員長みて社会党は好きんなっただ。
愚民党さんよう、おら栃木弁も茨城弁もなんどなくわかる。
歴史的には関東以北は語尾に基本的には共通性があんべ。
東京東京言うべ、なんでも東京、言葉は東京弁、んだどもあら、ほんまの日本語じゃあらへんのや(なぜか急に関西弁・・・最近板につきつつあります)。ま、明治維新で長州が政権とったもんで、ああいう官軍意識の強いことばが東京だけで発達すたんだ。千葉茨城は「チバラキ弁」っていうべ。イントネーションも東北弁さちけ(近い)なっす。栃木も似たもんだべさ。
ま、私の個人的体験はこの辺で。
んっでおらの投稿は、愚民党さんにわかりにくいっつわれたもんでよう、ダニエルカールさ翻訳すてもろただ。あら(あれは)よう、米沢の言葉だんべ(おっと、北海道のかた、すいません、つい方言が出てすまいますた)、カールさんもつっとばかりわがんねとこあっけど、ま、大体おらの意を汲んでくれたで、掲載すんべ。
近代については難しいから今日のところは勘弁すてもろで、よろすく。
山形弁と共通語ば辞書にしたもんがあるらしくで(山和辞典)、調べてみたら、おらの山形弁もだいぶ標準語なまりがはいってすまって、自分でいうのもなんだが恥ずかしけんど、かなり洗練されて、都会化すた。なんせ40年以上も前だんべ(前註参照)、そこはそいでよう、愚民党さん、広い心で理解してくんなまし。
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親愛なる愚民党さん、なぜか関西から山形弁でレスします。すいません。
それというのも、愚民党さんが栃木弁丸出しで語られているので、私は非常に親近感を覚えたと同時に、自分の(第二の−−−補足)故郷を思い出しましたので筆を執った次第です。
愚民党さん、本当に最近の世の中はおかしくなってきました。
私は昔は社会党やイ共産党は私たち庶民の政党だと思っていました。
でも私の父が「共産党はもう労働組合は官僚主義になってしまってだめだ。俺たちを押さえつけることしか考えない。選挙なんてなったら、もうオルグオルグの連続で、選挙のためにオルグを強制する。相手はなんでもかまわないからというわけで、自民党へ行って、選挙では共産党に入れてくれとお願いしに行けといっている」とのことでした。
私の父は「そんなことはできない。なぜ私の主義主張まで変えなきゃならないのか」と理由を聞いたそうです。そうしたら共産党は「選挙は数だ。これしかない」からだと。
私は父に言いました。「それなら、父上(カールさんは古い山形弁を習っている)、自民党に投票しても共産党に投票したことになるんじゃないのだろうか」と。父は「そうだそうだ。共産党に抗議しよう、「お前たちは自民党か」とまずは聞いてみよう」といいました。
私も「父上のおっしゃるとおりです」と言って父について行きました。どこへ?そう、駅前でビラ配りをしているおじいちゃんたちに抗議に行ったのです。なぜ党に直接行かずに彼らに抗議に行ったかというと人間年をとると過激になるそうですから本当のことが聞けるというわけです。
それ(過激な老人のたとえ)は、例の中曽根大勲位ていましたがね。彼は、ほら、アメリカ幕府の、ええと、ほらえらいサルがいましたよね、ほら、かちかち山・・・じゃなくて、ほら、モモ太郎という伝説がありますよね、諸国マン遊記(註。竹中氏はきわめてまじめだが実在しないものを念頭においている。脳神経回路に現実と仮想現実とのあいだの区別をつけるのが困難なようだ・・・カール)で有名な話ですよね。モモ太郎っていましたよね、猿蟹合戦のですよ。サルがいて、犬がいましたよね。その犬の名前がポチっていって、サルが、ええと、サルがブッシュで(別名藪猿、ダブヤ・・・WW氏命名、英語でブッシュとは藪のことらしいですね)、それに泥舟に乗った中曽根がかちかち山の狸で背中に火がぼうぼう、そして・・・
「父上、そんなことはどうでもいいことです」と私は忠告しました。「中曽根のおじいさんはもうろくしたんですよ。それでもなにか、腹を立ててポチを叱っていたんですよ。「ポチはヒレー(非礼)だ」と言って。中曽根じいちゃんは本当は「でも俺はヒレー(比例)では一番なんだ」って言いたかったんですよ、父上。でも年も年だから引退を迫られたんですよ。中曽根大勲位はさぞかし「飼い犬に手をかまれた」といいたかったのでしょう」
こんな権謀術数は政治の世界では日常茶飯事であると思う人が多いでしょう。
昔の話ですが、「わが党こそ真の自由民主党である」と言語解釈の運動をしたのも共産党でした。それで「民主連合政府」とかいうわけのわからない政府を作ると言ってましたが、その中にはお金持ち(竹中氏のこれまでの言説ではブルジョワジーのことを言うらしい・・・カール註)も含まれるそうです。それは、共産党は議会内多数派(民主勢力を基盤にしたもの)を形成して革命を起こし政体を選択して実現される、というものらしいです。
私たち貧乏人や愚民(党員)はどうやらそのための票でしかないようです。
ああ、私はもう頭が混乱し始めました。
愚民党さん、これからもよろしく。
−−−−−−−−−以上。訳者 ダニエル・カール---------
訳者後註:竹中半兵衛氏の山形弁は現代では死後になりつつあり、たとえば「ふんどし」を「ケツ割りキンカクシ」というがごとし。国分一太郎の影響か?