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「アウトロー的人生論」  宮崎 学
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 11 月 06 日 15:29:41:ieVyGVASbNhvI

 
日時:2003/10/20(月)17:40〜18:50
於:秋田美術工芸短期大学
演題:「アウトロー的人生論」


 大学でこの種の話をすることは増えておりまして、学生が相手のときが多いわけで「今後どういう風に生きていったらよいか」という話をしろということなんですが、今回は市民講座ということで一般の方を対象にしたような話をしろということでございまして、じゃあ何を話そうかなと考えたときに、非常に悩むわけであります。

 まず、いろんな言葉がある中で、わたしは実は「市民」という言葉が一番嫌いな言葉でして、なぜ嫌いなのかをお話するのが今日のひとつのテーマになると思います。

 最近起こった象徴的なことをお話しますと、中坊公平という人がいました。あの中坊公平を最初に批判したのは私であり書籍にもしております。

 私の友人であり、この大学でも講演したことのある佐高信君というのがおるのですが、彼は中坊公平をすごく評価していたわけです。今はそのことを深く反省して「髪を短くしている」と言っていましたが、もともと彼はほとんど髪がないもんですから、そのために短くしたわけではない。

 ・・・然るになぜ私が中坊公平という人間の胡散臭さにたどり着いたかというのはつまり、私が「市民」という言葉と市民という感覚が嫌いであるということと繋がっていきます。それは後で述べたいと思います。


 実は今日、準備してきた話は、本日のタイトルに若干関わるところで、私は1997年から物書きになったのですが、その大半がアウトローを描いたものであります。じゃあなぜ私はアウトローを描き、アウトローを語るのかということから話してみようと思います。

 わたしが原稿を書いて本にして社会に発信するとき、何を書くのかということになったときは私が何に感動したかによるだろうと。

  つまり、あることに感動したとします。その感動した深度がですね、深ければ深いほどそれを他にも伝えたいという欲求が強まるときがあります。

  逆に経験した感動を自らの内部に留め置き、他には伝えない、他に伝えるとその感動が希薄になってしまうと思う場合もあろうかと思います。

  つまりこの二つのケースがある。私は1997年、51歳になったときだったんですが、それまでは感動を伝えないという考え方でありました。それは自分の表現技術には限界があって自分の得た感動の質を伝えるなど不可能ではないかと考えていたからであります。

  しかしながら、本を出すということは、そんな立場をやめて自らが得た感動を他にも伝えるという方向に転換したわけであります。じゃあ私は何に感動してきただろうかということが一番大きな問題になろうかと思います。

  美しい自然の光景や心地よく心に響く音楽とか、自己の内的な心理を掘り下げていった文学作品とか、こういったものにはわたしは「すごいなぁ」と思った経験は随分とあります。しかしながらそういったものに全肉体を掛けて自らが試みようと思ったことは一度もありません。

  なぜなのかといいますと、私の実体験や見聞きしたもの、つまり現実のあり方が明らかに創作あるいは「感動的な」映像や音よりもはるかにすさまじく尚且つ感動的であったからだろうと思います。

 そうなってきますと私にとって感動的であるかどうかというのはむしろ人と人との関係性の中にある。とりわけある種の極限的な状況下にある人間の行動とそれに連なる物事に対する思考のなかにたびたび感動を見出したわけです。

  つまり人と人の関係の中にみる光景のほうが、自然の中にある光景より、明らかに感動的であったということを何度か経験したために、どうしても感動の中身となると違った形をとらざるを得なくなった。

 
今回のテーマと絡んで、いまから3つお話をしたいと思います。全部アウトローの話です。

 一つめは1960年代後半から70年代中頃の台湾における2人のマフィアの話であります。

  ご承知のような中国大陸と台湾との政治的な関係はこの際一切抜きにしたいと思います。

  今は厳しくなったといわれておるのですがこの当時の台湾の刑務所の状況ということになりますと殺人や強盗をやると死刑判決に簡単になる国でありまして、アウトローの間では「死刑は5年である」という言い伝えがあります。

  日本の常識から照らし合わせますと死刑判決を受けた5年後に刑が執行されると考えうるところなのですが、その当時の台湾では死刑判決を受けたあと、お金を積めば5年で出られるというわけで「死刑は5年」であると言われたわけです。

  台湾の兄弟分の二人のやくざがいて、悪いことをやって警察に追われるようになるわけですが、二人のうち一人が警察につかまり、一人が国外逃亡する。つかまった人間は当然死刑判決を受けまして、それを海外逃亡したほうが何とか救わなければならないということで、彼らのルールに基づいてどんどんお金を流し込むということになるんですね。

  数千万円のお金が必要だったらしいのですが、逃亡の身であったので一度にはつくれない。何度かに分けて渡したわけですね。そうするうちに海外に逃亡したやくざはひとつの疑問に到達するわけです。それは二人で悪いことをやったときに、かなりの多額の金を手にしていたわけで、それを逮捕されたほうのやくざのお母さんに預けてあったわけです。

  そのお金を使ってくれれば、捕まっている兄弟分は死刑から免れられるだろうと思っていたわけですが、どうもそのお金が使われた様子がない。どんどんお金を送るわけだが、当然必要な額には達しなかったので結局捕まったやくざはその間10数年を刑務所の中に留め置かれた。ただ何がしかのお金は渡っているので死刑は免れて、刑務所から出てくるわけであります。

  出てきたときに、二人は再会するわけですが、逃亡していたやくざは刑務所から出てきたやくざに聞くわけです「どうしてあの金を使わなかったのか」。

 それに対して刑務所から出てきたやくざは言うわけです。「自分が預かったのは金ではない。油紙に包まれた紙袋を預かったんだ」。で自分の母親に預けていた紙袋をそのまま兄弟分に返すわけです。信義に基づいて、片側はその金を使って欲しいと考えていたのだけれど、預かっているほうは、預かったものは紙袋であり、中に何が入っているかは関係ないという考えからそういう対応を取った。

  これは私の目の前で起こったことだったので、私にとっては非常に感動的な光景でした。背景を話しますと台湾の法律でもですね、死刑判決の出るようなやつはやっぱり何人か人を殺してるわけですよ。しかしながら一般の市民的感情から言えばですね、罪を犯したその人間たちはいかんともなしがたい極悪非道な人間であると片付けてしまいがちなことなんですが、僕はそうとは考えなかったんですね。

  むしろ言わば市民的には極悪非道な二人が極限状態のなかで示した人間関係みたいなところのほうが感動的であったと思いました。

 余談になりますが、刑務所にいたやくざはですね、刑務所から母親―お母さんは家のどこかに紙袋を隠してあったのでしょう―と何度か手紙でやり取りして、その交信録が残っているのですが「絶対家から火事をださないでくれ」と書いているわけです。当然紙袋の中身が金であったことは承知だったわけです。ただ信義則においてはそういうものを彼は守っていった。

  その当時の台湾では死刑判決から10日もあったら執行されていたわけですから、厳しい状況にあったことは確かなんだろう。それでも極限において信義を守ったという人間関係のほうがわたしにはむしろ興味のあるテーマです。

 

 もうひとつは、終戦直後にある愚連隊の親分がいました。

  その後この人の配下からは安藤昇や阿部譲二のような人が生まれるわけですけれども、この人も非常にお金のない親分であったのですが、名前が売れていたものですからいろんな人が頼ってくる。非常にアバウトな人であったんでしょう、頼ってくる人間を全部自分の家に泊めてやるわけです。

  あるとき食い詰めたやくざが夫婦で逃げ込んでくるのをやはり泊めてやったということがあったのですが、親分の奥さんが買い物に出かけた間に奥さんの持っていた着物を彼らに質屋へ持っていかれちゃうんですね。

  この親分というのはもともと金のないことで有名でしたから、奥さんは質屋通いばっかりやっていたわけですが、どうしても質屋に入れたくない服を一枚だけ取っておいた、それを盗まれてしまったわけでして、奥さんはたくさんの子供もいるし、当然正式なところに出なければならない時のために一枚とっておいたんでしょうか、・・・夫である親分に言うわけです。「あんたの知り合いというのはほんとにひどい」

  つまり暗に「あんたはひどい」ということを言っているわけでありますけれども、後日この時のことをその奥さんから聞いたのですが、そうしたときにこの親分は「おまえのその最後の着物を盗んでいったやつの気持ちのほうがかわいそうだ」。だから「あきらめろ」というようなことを言っているわけです。

  そんなことを言われた奥さんは開いた口がふさがらない状況なのですが、そういう対応をできる人というのは一般市民の感性からはかけ離れたところで日常を生きているということなんだろう。こういう話も私が感動する種類のひとつであります。

 三つ目は、これはやくざの家の話なんですが、お父さんがやくざで奥さんがいて息子がいた。あることで息子が警察に出頭することになった。

 そのとき既にやくざのお父さんは亡くなっていましたから、奥さんがお父さんがやっていた家業を切り回して子供を育てた。その息子に逮捕状が出て、息子は警察に出頭しなければならなくなった。

 息子が出頭するまえに「今から行ってきます」と挨拶しにくるわけですけども、そのときにお母さんが取った態度というものがですね、鬼のような怖い顔をしてですね、「絶対に余分なことはしゃべるなよ」というわけです。

  ここがまず一般市民のお母さんとは違うところでありまして、一般市民のお母さんでしたら「警察に言って全部本当のことを話しなさい」というのでしょうが、まあ家業がその種のものであったところからそのお母さんはまず、そういう風に言った。

  その息子には女房子供がいましたから「あとのことは心配することはない、余分なことを警察でべらべらしゃべるほうがみっともない」ということを言ったものであります。

  そうは言っても、息子がすごすごと警察に出頭していったあとにはですね、やはり号泣するわけであります。

  それは絶対に子供の前では見せてはいけない涙と、そのときに泣かなければいけない涙というものをちゃんと分かってた人なんだろうなと思います。

 三つの話をしたわけですけれども、こういう風なものを実体験として経験した私のようなものはですね、どうしても極限状態における人と人との関係性のあり方のようなところにですね、いろいろ感動を見たものですから、海がきれいだ、さんご礁がきれいだというような「心が震える感動」をして何か物を書きたくなるようなものを持ちえなくなったんだろうと思います。

  ですから私がアウトローを書くのはですね、アウトロー達に見られる特別な人間の関係性は結構、私にとっては感動的であったためです。

  こういう風なものが私のテーマとしてずっとあるものですから、私が何冊か本を書いたときに大半がこうしたアウトローの話が中心になってしまいました。

 
もうひとつ、わたしは実はテレビ大嫌い人間なんですね。

  なぜかというとテレビを作っている人、つまり局の担当している人たちの、はっきり言えば知的水準がですね、・・非常にいかがわしい。その「いかがわしいやつの書いた筋書きなんか言ってられないや」というのがあるもんですから、どうしても嫌いなわけですけれども、ま、そうは言いながらたまにはテレビを見るわけなんですが、そのときに特に考えることがあります。

  ビートたけしが最近作った映画で「座頭市」というのがあります。「座頭市」なのか「踊る大捜査線」なのか、どちらが文化としては質が高いのかと最近よく考えております。

  つまりアウトローを描くのと官僚を描くのとどちらのほうがドラマ性が高いかとか感動を与えるのかということですが、そういう意味で言うと僕は座頭市派なのですが、それはなぜか。

 「踊る大捜査線」は警察内部のキャリアとノンキャリアの対立を描いたものでありますが、いわゆる官僚社会の葛藤というドラマのカテゴリは実は以前からありました。

  1960年代の後半に石原裕次郎が出演して話題になった「黒部の太陽」という映画があります。そこで働いている人たちの苦労話―一生懸命やればこれだけすばらしい仕事ができるんだという話―そこにおける人間の葛藤を描いたのですが、これをまず「大捜査線的カテゴリ」といえるかと思いますが、僕はどうしても座頭市に軍配をあげたい。

  なぜかといいますと、アウトローというのはすぐに誰にでもなれるものなんですよ。ところが官僚この場合は警察官ですが、まずなれないわけです。しょせんはエリートがエリートという枠の中で悩み苦しみ悲しんだりしているにすぎないという事に比べればアウトローの話というものは非常に身近であるわけであります。

  そういう点で、私は座頭市に軍配を上げるのですが、しょせん日本の文化はアウトローを描き語ることであったのではないかと思います。

  例えば演歌、歌舞伎にしてもそうでしょう。演歌はやくざやアウトローを表現したものは数限りなくあります。

  それに対して警察官を歌ったものというものはあんまりお目にかからない。

  ま、「犬のおまわりさん」という歌がありましたが、その程度のものだろうとわたしは考えております。日本の民衆の中に沈殿しているひとつ文化的欲求ということになっていきますと、それは自分がなれない、しかしなろうと思えばすぐにでもなれるアウトローが身近なものであるだけに、きわめて強い興味を示すものなんだろうと考えております。

  だから私はアウトローを描いてきたし、今後もアウトローを描きつづけること、語りつづけることになっていかざるを得ないなと考えております。

・・・後編へ続く・・・

http://miyazakimanabu.com/archive/2003/11/akita01.htm


「三つの話」は私も宮崎氏とおそらく、似たような感動をすると思う。いい話だ。

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