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(回答先: 『反戦の手紙』 投稿者 エンセン 日時 2003 年 9 月 22 日 04:12:43)
ご紹介頂き、ありがとうございました。映画『よみがえれカレーズ』(土本典昭、1989年)を思い出しました。
土本監督は、1988年に撮影したカーブル国立博物館の展示品を中心に『在りし日のカーブル博物館』という写真展を、今年の6月に廃墟のカーブル国立博物館で開催しました。
今月20日には、アテネフランセで土本監督による映画セミナーも開かれました。
==========================================(土本典昭通信より抜粋)======
アフガニスタンはシルクロードの十字路といわれる。その疑いない証しは二十世紀に入ってからフランス、ロシア、日本、インドなどの考古学隊がつぎつぎに発掘した膨大な出土品による。ギリシャ・ローマ文明、インドの仏教文明、ペルシャ、中央アジア、中国などの東西文明の遺物と交易の跡が蘇り、世界の耳目はにわかにアフガニスタンに引きつけられた。近々この80数年来の発見だ。日本の正倉院に渡来している仏教美術の源泉が、中国や西域の遥かかなた、アフガニスタンのガンダーラやバーミアンにある事が知られてからは、日本の研究者たちもアフガニスタンの考古学者と組んで発掘と調査を積み重ねた。 十九世紀のイギリスなどが当時植民地だったエジプトの財宝をロンドンの大英博物館に持ち去った事例と異なり、今世紀、各国の発掘隊の手で出土したアフガニスタンの文化財の一級品は、まずカーブル国立博物館(以下、カーブル博物館と略す)に納められるようになった。こうした文化外交は、1919年、アフガニスタンのアマヌラー・ハーン王が第三次対英戦争に勝利し、小国とはいえイスラム圏で最初の「完全独立国」となったから誇りからなし得た英断であったろう。
以後、カーブル博物館は91年の民主共和国時代の終りまでは、収蔵品の散逸、国外流出、略奪を免れていた。のみならず、1978年、ソ連隊の発掘した今世紀最大の発見の一つといわれる、シバルガンの黄金秘宝もすべてカーブル博物館に収蔵された。よくアフガニスタンの文化財の破壊は「(ソ連の進駐以後の)内戦二十年による」と一括りで報道されているが、それは杜撰な言葉である。私たちが映画カメラを持って撮影に訪れた1988年秋には、カーブル博物館と文化財は完全な形で存在していたし、撮影できたからである。その翌89年に一部の代表作の疎開保管が民主共和国大統領ナジブラによってなされたが、91年にムジャヒディンのロケット攻撃で博物館そのものが破壊され、閉館を余儀なくされるまではカーブル博物館は存在していた。その後、イスラム主義者の「兄弟殺し」の」内戦に明け暮れた90年代以後の10余年に、カーブル博物館の文化財の 7割が失われた(2002年 5月、アフガニスタン文化情報省発表)。ゆえに厳密には内戦後半の出来事と言える。そして私たちは「在りし日のカーブル博物館」の最後のチャンスに、映画フィルムによる代表的文化財を経年的に記録することができたのである。88年11月である。
映画『よみがえれカレーズ』は88年 5月のジュネーブ合意によるソ連軍の撤退開始からクランクインし、約半年にわたって、転換期を迎えようとしているアフガニスタンの姿を記録した。そのなかでカーブル博物館や遺跡のロケは映画の眼目であった。アフガニスタンの数千年の歴史はカーブル博物館の歴史的遺産を語ることである。シルクロードの文物に凝縮されたギリシャ・ローマ、インド、中国、中央アジアの交流を描けるのはカーブル博物館の独断場ともいえた。アフガニスタンの歴史はその展示品の分析、解読から始まったからである。謎に満ち、知的にスリリングであり、若々しい歴史学の舞台と言えた。
不思議に思われるのだが、インドの象牙細工はここベグラムにしか残っていない。エジプトのアレキサンドリアのエナメルで彩色したゴブレット(コップ)の逸品も原産地の地中海沿岸からは出土していないという。乾燥台地でしかも閉鎖された土レンガの倉庫だからこそ腐食や破壊に耐えたといわれる。紀元一・二世紀のものが、この風土を幸いに原形をとどめて居る「ベグラム室」。またエ−ゲ海のヘレニズム世界の神話の神像や彫像、コインなどが、アレキサンダー大王の遠征によって運ばれたと言われる「アイハヌム室」。さらにガンダーラで有名な「ハッダ室」、最後の仏教美術が華ひらいた「ショトラック室」。こうした発掘地ごとにディスプレイされた展示室に、かつて写真で親しんだ宝物が目の当たりある。それらは時空を一跳びして、当時の作り手・工人の触覚の世界へ誘引してくれるのだ。
撮影は特別に十日以上許可された。フィルム記録はアフガニスタンには残されていない。意外にも世界では初めての映画撮影という事だった。
「自国の歴史に学ぶ」、これがアフガニスタンの教育に浮上するのは必然であろう。それは十年さき、二十年さきであろうか。カーブル博物館の蘇りと新生を祈りたい。
http://www2.ocn.ne.jp/~tutimoto/newpage19.html#i