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(回答先: なぜここまで膨張したか… 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 10 月 01 日 12:11:48)
みんなが認める共通の価値(目的)がないことが投資失敗の原因かも
マルハナバチさん。 こんにちわ。
遺跡は不思議なものですね。
私たちにとっては理解しがたい建造物も、当時の人間にはきちんとした合理的な理由があり、また生活の糧を与えるものであったわけでしょう。
現代日本ですと、有効に使われない公的投資物件が膨張増大し、山本五十六を儲けさせているように思えます。
(明治の「近代化」のときははっきりとしていたようです。)
考えてみますと、結局、「目標がない」ということが決定的なのではないでしょうか?
戦艦大和建造も、「対米国戦争に勝つ」という目的があったわけです。
戦艦大和建造は、建造当時としては有意義だったのではないかと思います。
当時、航空機戦略自体がまだ新しかったのではないかと思うのですが。
戦艦大和は、高い艦隊防空能力を持っていたわけですから、空母などを守る用途に適切に使用されていれば有益だっただろうと想像します。
例えばミッドウエイ海戦で前線に配置されていれば随分役に立ったわけでしょう。
現実には、最近見たTORAさんのご投稿(下に引用)にありますように、山本五十六を守る「ホテル」として後方待機に使われていました。
使い方が悪かったようですね。
ところが、現代日本の公的投資の多くは、目的が良く理解できないのです(私にはですが)。
何となく、いろいろな関係者に金を回すことが主目的みたいに見えて仕方ありません。
多くの人が納得できる目的の喪失。
言い換えると、公共的な価値の喪失(広い意味の価値ですが)ですね。
そう考えると、最近は何となく次世代の公共的価値の萌芽みたいなものを感じないことはありません。
いかがでしょう。
そして、現在行われていて軋轢を起こしている投資の多くが、うっすらと見えている次世代的価値と相反する方向のものであると思います。
以上は希望的観測です。
引用です。
「山本長官は常に後方で高見の見物
此の時点に於いて日本側は「ヨークタウン」「レキシントン」の空母二隻は珊瑚礁で沈没、「エンタープライY」「ホーネット」も遥か南方海域にいる筈と固く信じていた。
一つには5月25日以降、ハルゼーの空母部隊は未だ西太平洋にいるかの如く見せかけ囮電報に日本軍が飛びついたからであった。ニミッツは暗号解読による事前情報に基づいて日本艦隊よりも先に艦を出し、6月3日以前には未だ展開していなかった日本海軍の潜水艦隊の警戒線を無事通過し、連合艦隊の到着を待ち受けていたのである。
一方、日本側は連合艦隊始まって以来の大艦隊を編成、山本長官の指揮下には「加賀」「赤城」「蒼龍」「飛龍」等空母8隻、連合艦隊「大和」其れに「武蔵」「長門」「陸奥」等戦艦11隻、巡洋艦22隻、駆逐艦65隻、潜水艦20隻等合わせて艦船200隻、総トン数150万トン、更に飛行機700機を含めて動員数10万人の将兵と云う堂々たる陣容を形成した。
此れだけの大戦力を持ちながらミッドウェー海戦で日本側は大敗北を喫してしまった。此の海戦で日本は虎の子の空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻を一度に失ったのである。米国側の損害は空母「ヨークタウン」1隻に留まった。此の様な大敗北は全く予期せざるものであった。
日本は勝てる戦争を敗れるべくして敗れたのである。敗北の「大原因」即ち戦略的失敗を齎らしたのは山本五十六であり、其れは意図されたものだった。幾つかの予期せざる遇然、悪運が重なったとは云う物の、戦術的「大失策」を犯したのは南雲機動隊司令長官だった。南雲は刻々と変化する戦況を的確に判断する事が出来ず、逡巡し、誤った判断を下した。本来の目的であったミッドウェー島の基地爆撃も、上陸も果たせず、米国の艦隊撃破にも失敗した。
南雲の指揮した空母では帰投して上陸で着艦を待つミッドウェー攻撃隊の収容と、第二次攻撃の為の爆撃及び敵空母攻撃の為の魚雷換装をめぐって判断が遅れ、結果的に米艦隊の猛攻を受けて次々と沈没したのである。
かろうじて山口多聞少将率いる空母「飛龍」が攻撃機を飛ばし米空母「ヨークタウン」に甚大な損害を与えた。6月7日、ハワイに向けて曳航中の「ヨークタウン」を日本の潜水艦「伊168潜」が撃沈した。
ミッドウェーで山本長官が何故空母部隊のみを突入させ、自らは戦艦と共に安全圏にいたのかは一種の謎であった。空母を中心とする機動部隊の撃破も其の一貫であるが逆に攻撃を受けた時には艦隊防御能力は極めて低い。日本海軍の誇る戦艦「大和」「武あ」「長門」等高い防御能力を持った戦艦郡は遥か後方にあって、連合艦隊司令部の護衛等と云う戦略的に無意味な任務を就いていた。
機動部隊の空母を防御していたのは駆逐艦等数隻であり、其の陣型にも大いに問題があった。米機動部隊の陣型が空母上空に濃密為る弾幕を張り、防御能力を最大限に高めていたのに対して、日本の空母は二隻並んでいる上に僅かの駆逐艦を横に配置しているだけであった。此れでは空母に対する防御が手薄であり、米機にとって如何にも攻撃し易い陣型になっていた。
珊瑚海海戦で軽空母「祥鳳」が撃沈、「翔鶴」が大破すると云う苦渋を味わったのも此の艦隊防空能力の欠如であった。連合艦隊は1ヶ月前の苦い教訓を生かす事が出来なかったのだ。
日本側が機動部隊に充分な対空防御能力を付けておれば、敵機襲撃に対しても時間的余裕が生まれ、空母での攻撃機兵装を大急ぎで取り替えると云う混乱は起こり得なかったであろう。
だが山本長官個人を守る為に温存された強力な戦力は終に一度も投入される事無く大事な空母を米機の攻撃に晒し、海の藻屑と消えさせたのであった。山本連合艦隊司令長官はミッドウェーで大敗北し空母4隻を失った時旗艦「大和」で涙を流していたと云う。だが此の涙はフリーメーソン山本五十六の喜びの涙ではなかったのか。 」