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GLA・高橋佳子の『真創世記(地獄編)』:「ミカエルは法の後継者」のウソ
以降は、信次が佳子を「後継者ミカエル」と知るまでのゆくたてにつき、三つ
の資料をお読みください。
<資料1>
『地獄編』P95-100
「一昨年(昭和五十年)の暮れ、父は年内に帰るかもしれないと言い出しました。
(中略)父は以前から、講演のたびごとに力をこめていう言葉がありました。
「必ず幼い者が、大人に法を説く日がくる」
若者が『法』の後継者として立ち現れる。その若者が父を救う。そういう意味
なのです。
『それがだれであるかはわからない。これだけはだれにもわからないのだ』
講演の都度、血を吐くような思いをこめて父は訴え続けました」(中略)
私が勉強していると、父が顔をのぞかせます。
『お父さんを救ってくれる人がだれかいるんだよ、佳子。心当たりはないか』
父は必死だったようです(中略)そのとき、父はまだ、自分がだれであるかを
知りませんでした。それは自覚しなければならぬことなのです。(中略)
昭和五十一年一月、父は真剣なおももちで私を見つめながらいいました。
『お父さんは、おまえじゃないかと思うんだ』
『あたしが? まさか、ちがうでしょう』(中略)
このころ、父は東京女子医大の人間ドックに入っていたのですが、すばら
しい光輝く翼を持った天使が父を訪れ『大いなる父よ』と父に向かって呼びかけた
のだそうです。この人だ、自分を助けてくれる者はこの人以外にはいない、と父は
確信したのです。
白銀の翼を持った光の天使が、この現世では誰であるのか、それはわかりません。
(中略)父は感涙にむせび、(中略)自分は救われた(中略)自分を助けるべき
若者はまもなく眼前に現われるのだと知ったのです」(中略)
『私を助ける若者は、この中にいます』
父は次の講演会で断言しました。その時、大いなる光の天使を父は見たのです。
父が過去、さまざまな現象を起こしたとき、必ず長い金髪の男とも女ともつかない
美しい天使が立ち会っていたのだといいます。父に最初に光の入れ方を教えたのも
その翼をつけた天使なのでした。ただ、彼がだれであるか、父は知りませんでした。
「おおいなる父よ、あなたのみもとに、今、われは参ります」
天使はそう告げ、父は深く安心したのでした。
そして昨年(昭和五十一年)二月、私は沖縄の講演会に父と同行しました。到着
した日の夜、投宿したホテルの部屋で語り合っているとき・・・。(中略)
「パパ、この間から、みかえりなさい、みかえりなさい、反省しなさいという声が
聞えるんだけど」
「それはミカエルという名前の人がいるんだよ、ちょっとそのミカエルと話がした
いな、ミカエルをおまえに入れてくれないか」
父の求めにしたがったとたん、かつてない大衝撃に私は見まわれました。
いつしか、床にひざまずき、両手を父に向かって差し伸べています。父も泣いて
います。(中略)
『ミカエル、いまあなたのみ前に参上しました』
その夜、父と娘であることを超越して、ミカエルとその主として、二人は巨大な
感動の中で語り明かしたのです。
ミカエルは出現するなり聖書の講釈をとうとうと始めました(中略)私は聖書
など読んだこともなく、キリスト教、仏教にもまったく無縁で育ちました。その
私がとめどなく聖書に関する事柄を語ってやむことがないのです」
父もまた、仏典と同じく、聖書を開いたこともない人です。その父が見かえり
なさい と聞いたとたん、『あっ、大天使ミカエルか』と悟ったのです。内在され
た偉大な90% の知恵としか言いようがありません」
(同一文章がGLA誌1977年4月号のP21-22に既出)
つまり、信次は「昭和五十年の暮れ、年内に死ぬかもしれない、ともらして翌年
1月、東京女子医大の人間ドックで白銀の翼の天使を霊視して呼びかけられた。
講演会でも、その天使が聴衆の中にいると断言。その天使が佳子であることが2月
にわかって感動的な出会いとなった」という骨子です。
しかし、同じころのことを、当時を知るGLA古参会員たちが、GLA機関誌上
で語っていますが、これが佳子の語っていることと、多くの点でことなり、辻褄の
合わない矛盾を露呈するのです。
GLA会長・高橋一栄(信次の妻、佳子の実母)や講師・谷口健彦をまじえた、
古参会員たちの対談中の証言を<資料2>として挙げましょう。
<資料2>
『GLA誌』1992年8月号 〜対談「GLAの成り立ちと歴史Y」より
編集部:その後昭和五十年の暮れには、信次先生のお身体がずいぶん悪くなられて、
東京女子医大の方に入院されるわけですが、この時にお見舞いに行かれた
方々にまたいろいろなお話をされたそうですね。
細野:ええ、先生が入院されまして、お見舞いに参上しようじゃないかということ
で、私や興和さん(信次の実弟)など三人でお伺いしたんですね。(中略)
私たちが部屋に入るなり、「いや大変なことがあったんだよ」という話にな
りまして、こちらがお見舞いのお言葉を言上しようとする間も与えず次の
ようにおっしゃるんです。
「いや大変なことが起こっちゃってね。ものすごく大きな白銀の翼を持った
天使が現われたんだよ。その大きな翼を持った天使が、私に語りかけてくる
んだよ。それで私が『あなたはいま肉体を持っているのですか』と聞くと、
『はい。あなた様の娘、佳子として持っております』と言うんだ。いや私は
びっくりしましたね」
こういうお話だったのですが、先生はとても驚かれるとともに、この上なく
お喜びでしたね。(中略)
谷口:十二月二十日に信次先生のお見舞いに行った人がいるんです。その人が信次
先生から「僕は十二月二十四日までに悟らなければいけないことがあるんだ
よ。何か大きなことを悟らなければいけないんだけれど、それが何かわからな
いんだよ」という話をされているんです。ですから、二十五日に細野さん達が
行かれてそういう話があったということを当時聞いて、「ああ、二十四日まで
に悟らなければならないことというのは、佳子先生が後継者であるということ
だったのか」と、私にとって、とても印象的だったんですね。
細野:そうですか。そう言えばその時先生は、「このことは、絶対佳子には内緒だ
よ」ともおっしゃっておられました。
会長:それはこういうことなんです。「菩薩は、こちらから明かしてあげてもいい。
でも如来は自分から名乗ってこない限り、それは言ってはならないことにな
っているんだ。自分で言ってきて、しかも、『確かにあなたはそうだね』と
両方の言うことがあわなければいけないんだ」そのように信次先生はおっし
ゃっているんです。 ですから、信次先生の方でわかったとしても、佳子先生
の方から「私は誰です」と言わない限り、これは言ってはならない話なんです。
細野:信次先生は本当にお喜びでしたよ。「いやてっきり男だとばかり思っていてね。
それが佳子だったんですよ」と二回ほどおっしゃっていましたね。
会長:それから先生は退院をされて、家に一旦帰ってこられました。そして一月に、
ある方を通じて天上界の天使が、佳子先生に「早く目覚めて下さい」と訴え
かけるということがあったんです。佳子先生はまだその時には、その意味
するところはわかりかねておられたのですが、それでも何か自分にやらねば
ならないことがあるのではないかと、気づき出されるきっかけになりました。
それから佳子先生ご自身も、霊的に御自覚されることが次々に起こっていった。
それが一月の時点の出来事だったと思うんです。
萩原:お正月を終えて、再び入院された信次先生を私は一月にお見舞いに行ったん
ですが、その時に信次先生は、「白銀の翼を持った天使がよく来て、あの世
に帰る計画をそこでしているんだ。あの世に僕が行ったりしながら、色いろ
打ち合わせをしているんだ」というお話をされていましたね。
会長:それに関係あると思うんですが、家庭の中でも、それからしばらくしてから
こんなことがありましたね。佳子先生が、ご自身では知るはずもない信次先生
の小さい頃のこと、そして戦争に行った頃のこと、台湾に行った頃のこと、
といった信次先生のそれまでの人生を、魂としての意識で語り始めたんです。
つまり信次先生は、佳子先生とともにご自身の人生全体を眺めながら、一体
どのような人生だったのか、どのように悟りへの道を歩まれたのかを検証する
時間を持たれたんです。
「俺が誰にも言ったことがないようなことを、みんな佳子に言われたんだよ」
と先生は驚かれながらも、とても嬉しそうに話をされていましたので、信次
先生と佳子先生の魂の交感がそういう中で深まっていったように思うんですね。
萩原:きっとその時の心境を、信次先生は「心の讃歌」に託されたんですね。丁度、
この時期に信次先生は作詞をされていますから。
≪二つの資料の比較検討の結果≫
上記の2つの資料を読み比べて、「後継者問題」という重大な事にもかかわらず、
虚偽や捏造、口裏合わせとしか思えない疑問点が多々出てきます。
(通し番号は、地獄編:1-××、GLA誌対談:2-××。●は批判)
(1-01):50年暮れ 信次は「年内に帰るかもしれない」と佳子に告げる。
(2-01):昭和50年12月「昭和五十年の暮れには、東京女子医大の方に入院される」
●資料1:「この頃(昭和51年1月頃)、父は東京女子医大の人間ドックに」。
「入院」と「人間ドック」では読者に与える印象も意味合いもちがいます。
なぜ佳子は、はっきり「入院」と書かなかったのか。信次が「病気」だった
のをそれほど隠し、神秘的な死因なのを演出したかったのでしょうか。
(参考)
「正法」サイト:{奇跡の写真}〈偉大なる出家〉 園頭広周より
>信次師の病因は過度の疲労からくる肝臓と腎臓にあった(註・園頭)。
http://www.shoho.com/newpage14.htm
(2-02):昭和50年12月20日
「僕は12月24日までに悟らなければいけない事があるんだよ。それが何かわか
らないんだよ」と入院先で信次の発言。
(2-03):昭和50年12月25日
「いや大変なことが起こっちゃってね。ものすごく大きな白銀の翼を持った天使
が現れたんだよ。その大きな翼を持った天使が、私に語りかけてくるんだよ。
それで私が『あなたはいま肉体を持っているのですか』と聞くと『はい。あなた
様の娘、佳子として持っております。』と言うんだ。
いや私はびっくりしましたね。」「このことは、絶対に佳子には内緒だよ」と
見舞い客に高橋信次が語る。
(2-04)昭和51年1月 信次、自宅に一時退院。「ある方」を通じて天上界の天使が、
佳子に「早く目覚めてください」と訴えかける。佳子自身も、霊的に自覚すること
が次々に起こっていった。それが一月の時点の出来事であると、一栄の発言。
●このような重大な「訴えかけ」や「自覚する」事柄が「地獄編」にはまったく無く
GLA誌1977年4月号にもありません。これは会長こと高橋一栄が、当該の事柄に
ついて、事実無根な虚偽を述べている可能性があります。
(2-05)昭和51年1月 信次は再入院。萩原に「白銀の翼を持った天使がよく来て、あの
世に帰る計画をそこでしているんだ。あの世に僕が行ったりしながら、いろいろ
打ち合わせをしているんだ」と述べる。
●名前も素性も正体も知らない「白銀の天使」と「あの世へゆく打ち合わせをする」
など不自然すぎます。うちあわせができるほど、相手と気心が知れているのに、
名前も本性もわからない、では通りません。これも虚言でしょう。あの世とこの
世を往復しているなど、よくも言ってのけたものです。
資料1で「信次が霊現象を起こしたとき、必ず美しい天使が立ち会っていた。信次
に最初に光の入れ方を教えたのもその天使。だれであるかは知らなかった」という
佳子の記述も、信次の過去のどの著作にも講演会にもない事柄ですから、これらも
まとめてでっちあげでしょう。
信次の
(1-02)51年1月 信次が「お父さんは、おまえじゃないかと思うんだ」と佳子に語る。
佳子は「あたしが?まさかちがうでしょう」
光り輝く翼を持った天使が「大いなる父よ」と信次に呼びかけた、自分を助け
てくれる若者はまもなく眼前に現れるのだと確信。
●資料2では、信次はすでに12月25日に、白銀の翼を持った天使=佳子と知って
いて、見舞いの弟子たちに喜んで告げ、「これは本人には内緒に」と約束させ
ているわけです。
「地獄編」で年末から翌年1月にかけて『それがだれであるかはわからない。
これだけはだれにもわからないのだ』と信次が語ったことや、『佳子、心当たり
はないか』という質問と矛盾します。
また、1月に「白銀の翼を持った光の天使が、この現世では誰であるのかわか
らない。だが、信次は感涙にむせび、自分は救われた。自分を助けるべき若者は
まもなく眼前に現われるのだと知った」という資料1の記述とも明らかに違背し
ます。
資料2では、「この現世では誰であるのか」12月25日にわかっていたのです。
それを、どうして1月にまだわからず、講演会でもたついているのでしょうか?
病気のあまり記憶喪失にでもなったというのでしょうか。
さらには、資料1での信次が佳子に「お父さんは、おまえじゃないかと思うん
だ」との弁は、資料2の一栄の発言「信次が、如来は自覚して名乗るほかはない。
他人に教えられて自分を悟ることはできないと語った」こととも矛盾します。
(1-03)51年1月の講演(※GLA新年大講演会と推定)「私を助ける若者は、この中に
います」と信次が断言。
●しかし、1976年1月のどの講演でも、そのような発言は記録されておらず、
佳子の記述は実際にあったことかどうか、非常に疑わしい。また資料2の対談
にも、そのようなことが語られていなければならないはずですが、言及が一切
ないので、おそらく佳子の虚言と思われます。
資料2が事実を語っているなら、資料1は虚偽と捏造満載ということになりそう
です。とにかく、信次はもちろん、古参信者や会長や講師の間でも、1976年12月25日
には「佳子が後継者」とわかっていたのですから。
その上、『いや、てっきり男だとばかり思っていてね。それが佳子だったんです
よ』と二回も大喜びして言ったというのですから、この時点で佳子は後継者だという
ことを「告知」したともいえます。
「佳子には内緒に」といっても弟子たちどうしには「内緒に」とは言っていません。
すなわち、幹部やおもだった弟子たちは、この時点で「佳子が後継者」と知った訳
です。翌1月に講演会で『私を助ける若者は、この中にいます』などと、いわずも
がなを語るはずがありません。
「佳子が後継者」というのは、1976年に入って、すでにGLAの幹部・信者たちの
間では、すでに「周知の事実」になっていたのかもしれません。
さらにうがって見るならば、中学生の頃から父親の研修会に出演して異言パフォー
マンスをおこない、「前世は卑弥呼」などと呼ばれていた佳子は、その頃から信次に
よって「後継者候補」として鍛錬されていたのかもしれません。
(参考)
■正法サイト「人間・高橋信次」より
http://www.shoho.com/newpage18.htm
1:『GLA』誌の前身の『ひかり』に次のように書かれている。
「高橋佳子さん(十三歳)、東京大田区在住。彼女は、お釈迦様の時代、すなわち
印度時代に、祇園精舎を寄贈した、須達(スダッタ)長者の娘デルナーという女性で
ありました。日本ではヒミコとして約一九〇〇年前、九州大和姓国で生まれ数多くの
伝説を残しましたが、< 中略> 古代語では一般の人はわかりませんので、現代語で
昔日の模様をいろいろ語ります」
2:昭和五十年三月二十二〜二十四日 宮崎研修会
演題「正法と現代宗教」
この中で信次は、こう語っている。
「この人(高橋佳子氏)は過去世において、卑弥呼であったことを思い出しております」
3:昭和五十一年五月二日〜五日 富士みどりの休暇村に於ける青年部研修会
渡辺氏は運よく、信次の真正面に坐った。右隣りには佳子氏(信次の長女)が坐って
いた。(つまり、佳子はずっと信次の講演会の連続で<片腕>のようになっていた
ことが察せられる。2月の沖縄講演会でも同じ部屋に宿泊していたのだから)。
実弟の高橋興和や妹の星洋子も、もしかしたらその信次の意図を早くから察知して
おり、自分たちの姪がGLAをしきることを知っていたかもしれません。
少なくとも、信次が「白銀の翼の天使が現われて佳子が後継者だといった」という
話は、すでに以前から佳子を後継者にすると決めていて、その理由づけにでっちあげ
たとしか思えません。それは、いかにもお粗末なエピソードであり、本当に偶然という
か死の直前に「佳子が後継者だとギリギリのタイミングでわかった」のならば、資料1
も2も内容が合致していなければならないはずです。
それが、両者ちぐはぐで、矛盾と食違いだらけだということは、どちらかがウソか
両者ともウソか、いずれかしかありません。一方がウソなら佳子がウソつきですし、
両者なら信次がウソつきだということになります。
もっとも可能性が高いのは、すでに死のだいぶ前から信次は佳子を後継者にする事
を決めていて、佳子もそれを受け入れていたという「デキレース」ではないかという
ことです。
不思議なのは、このように『真創世記・地獄編』を一読すれば、自分たちが信次に
聞かされたことと矛盾しているのに、古参も会長も講師も、その点に触れていない
ということです。『真創世記』を読んで、おかしな点はたくさんあったはずなのに、
口をぬぐっているのですから、世間的にはこういう関係を「共犯関係」と呼ぶのでは
ないでしょうか。
「必ず幼い者が、大人に法を説く日がくる」「私を助ける若者は、この中にいます」
ともに佳子の捏造したウソであるとしか言いようがありません。
もちろん、一栄の発言「佳子が、知るはずもない戦争に行った頃のこと等、信次の
人生を、魂としての意識で語り始めた」というのも、信次が戦争にいったことがない
という事実が証明されている以上、明白な虚偽をふくんでいます。
<資料3>
信次が、すでに早くから佳子を後継者にと決意していた間接的証拠に、信次自身の
弟子たち講師たちへの「意図的批判・否定」とも見える言動があります。信次の高弟
だった園頭氏のサイト「正法」サイトから引用させていただきましょう。
○正法サイト:高橋信次先生「東京本部職員を叱られる」より
http://www.shoho.com/newpage132.htm
1973年(S.48)8月16日
高橋信次先生は、本部が先生に金魚のフンのようについてくるばかりで率先して勉強
しないので、「試験をします」と命ぜられますと、試験をされることに異議をとなえる
人達が出てきて、それを諌められる叱責の言葉です。テープ筆録をお聞き下さい。
「私は真剣勝負です。そういうことで、例え試験をすることによって、混乱の起こるよう
なGLAなら、やめてしまった方がいいですね。私は、ついて来るものだけを連れていき
ます」
「私は皆さんより、自分を厳しく自分を眺めております。それだけの私には、説いている
神理に権威があるからです。皆さんは、それにも、自覚の上に立つことが大事じゃないで
しょうか。いい加減なことなら、止めた方がいいですね」
「私は、釈迦如来として言うのです!(語気強く)皆さん自身が、自分自身を悟ること
です。自分に甘すぎる。自分に嘘を言い、自分自身を、自分自身に権威を持ちなさい。
私は皆さんに、初めてこのことを言います」
○正法サイト「人間・高橋信次」より
http://www.shoho.com/newpage18.htm
昭和五十一年(一九七六)一月
関西本部の講演の始まる前、控え室に入って来た信次は、どっかと胡座をかいて
「園頭さん、ぼくはGLAをつくることに失敗した」と長い吐息を洩らした。
昭和五十一年三月
大阪の定例講演会に来た信次は次のように言っている。
「園頭さん、ぼくは失敗した」と悲しそうな顔をして言った。
「僕はGLAをつぶしたい。ぼくはこんなつもりでGLAをつくったのではなかった。
GLAの講師達は、金魚の糞みたいに、ぼくの後からくっついてくるだけで、少しも
勉強しない。GLAの講師はダメだ」と、タメ息まじりに言った。
これらを「信次の演技」とみなせば、その「演技」の意図は明白です。
「講師はだめだ、GLAはだめだ。だけど佳子ならOKだ」といえる伏線をはっていた
のではないか、という疑いです。そうでなければ、佳子が後継者だと12月25日に喜んで
しゃべっていた信次にしては、あまりにも不自然です。
しかも、6月の最後の講演会では、派手に信次=佳子の「エルランティー=ミカエル」
路線を強調しています。一方では「佳子が後継者でミカエルでうれしい」といいながら、
同時に高弟の園頭氏に「GLAをつぶしたい」では辻褄が合いません。
これは要するに「GLAは園頭氏はじめ、これまでの弟子たちにはまかせる気はない。
佳子に継がせるからあきらめてくれ」という「本音」を露呈したものではないでしょうか。
園頭さんはじめ、信次の前世たる「釈迦」の高弟という「前世」を持つとされた講師
たちも、そこで「お払い箱」にされたのでしょう。だからこそ、講師であった実弟・高橋
興和たちが、信次が「エルランティー=ミカエル」をぶちあげたとたん、「造反」とも
思える下記のような行動をとったと考えれば納得がゆきます。
○「正法」サイト「人間・高橋信次」より
http://www.shoho.com/newpage18.htm
昭和五十一年三月二十〜二十二日
和歌山研修会 白浜温泉(三楽荘)
信次の実弟・高橋興和、T・利雄の両氏が、秘密の話しがあるので自分達の部屋に来て
ほしいというので園頭氏は出向いた。二人は、次のように言った。
「高橋信次先生はニセモノである。釈迦の生まれ変わりでもなんでもない。この研修会が
終ったら私達はGLAをやめます、先生もどうですか」
また、同サイトには、信次の死去寸前の6月24日から25日にかけて、高橋興和たち
がどのような行動をとったかを、こう記しています。
http://www.shoho.com/newpage14.htm
「園頭師は、二十四日の夜も一睡もせず、信次師が昇天した後のことを考えていた。
二十五日の朝になって実弟の興和氏が『サウナ風呂にでも』と勧めた。幹部の一人は
『そうさしてもらいましょうか』と立ち上った。偉大なる師の昇天を前にして何んと
不謹慎なと思った」
これは推測ですが、信次の虚言体質と矛盾を心底知っていたからこその「造反」であり、
別に信次や佳子が語ったような「魔」や「サタン」の跳梁のせいではないでしょう。
「正法が流布される時、魔が競い立つ」と、佳子がミカエル宣言する前後、GLA内では
盛んにいわれたようですが、それの通用しない人々が身内にいたということでしょう。
信者はだませても、「共犯関係」の身内はだませないもののようです。
<関係掲示板群>
GLA・高橋佳子の『真創世記・地獄編』のウソと矛盾
http://www.asyura.com/0310/bd29/msg/165.html
GLA・高橋信次(高橋佳子)の虚言癖・詐話癖を告発する
http://www.asyura.com/0310/bd29/msg/129.html
GLA・パクリ教義にも罪悪感なき恥ずべき父娘・高橋信次&高橋佳子
http://asyura.com/0310/bd29/msg/128.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧1(15年6/13版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/358.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧2(15年7/1版)
http://www.asyura.com/0306/bd27/msg/530.html
宗教法人GLA(高橋信次・高橋佳子)関連情報サイト・掲示板一覧3(15年8/24版)
http://www.asyura.com/0306/bd28/msg/542.html
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