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ドクターいわくらの不・思・議・探・検 「酒井勝軍との出会い」
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 9 月 22 日 04:57:57:ieVyGVASbNhvI

 
○ピラミッド研究のパイオニア
 鳥居龍蔵博士と共に、私の原点を形作る上で、どうしても欠かせない人がいる。ピラミッド研究のパイオニアとして知られる酒井勝軍である。昭和初期の人だから、戦後生まれの私が会える道理がないのであるが、私は一人、勝手に郷里山形県の大先輩として慕っている。
 元々は一人のキリスト者にすぎなかった酒井勝軍であるが、どうしたものの弾みか、大正6年(1917)時、帝国陸軍の外国武官接待係になった時から豹変してしまう。燃え盛る革命ロシアに対する国際干渉軍の一翼を担う帝国陸軍に従軍しながら、ユダヤとフリーメーソン、そして、古代イスラエルの歴史などについて徹底的に研究するようになるのである。
 そして昭和3年(1928)、シオニズム運動の調査という名目で、今度はパレスチナに潜入。せっせとエジプトに足を運び、何事か、秘密裏に調査活動に従事するようになる。おそらく、他言無用の極秘命令を受けて、特殊任務に付いたのかもしれない。この後に謎めいた言動が目立って来る。詳細は不明であるが、何事か、あったことは間違いがない。
 ユダヤとフリーメーソン、そして、古代イスラエルについて調査研究を進めて行けば、いったいどういうことになるのか。少しでも聞きかじったことのある人ならば、答は自ずから察知することができるはずである。それは古代天皇家の謎を解き明かすことになるのであるが、それ以上の衝撃となるのは、縄文文明の根幹をなすピラミッド文明が実は日本産であったという事実の発見である。
 そんなことは誰が信じることができるだろうか。
○日本の正体を説く男
 ところが、帰国するや否や、彼は「神武以前の日本の正体を開示する」と称し、竹内巨麿を訪問。巨麿以外の誰もしらないはずの『竹内文書』の所在を指摘し、巨麿さえも知らないピラミッドの記述内容について滔々と語り始める。
驚いたのは巨麿である。先祖伝来の禁断の文書の数々を謹んで読み解いて行ったところ、豈図らんや、勝軍の指摘通り、ピラミッドのみならず、日本創世の神話に関する記述が縷々、述べ立てられていたのであった。巨麿は「ピラミッドは日本で発生した」ことを初めて知ることになる。
 一方、勝軍は『神秘之日本』という小冊子を創刊。さっそく「ピラミッドは日本で発生した」という、当時の日本人には信じ難いキャンペーンを開始するや否や、いきなり広島県比婆郡本村(いまの庄原市)を訪れ、近くの山中に入ると同時に葦嶽山を指さし、いきなり「諸君、彼の山が正に日本のピラミッドである」と叫んだのである。
 続いて、青森県の戸来村(いまの新郷村)にある御石神という山に入り、上大石神、下大石神と呼ばれている巨石群を見て「日本第二のピラミッド発見」と叫ぶのだった。それだけでは終わらない。執拗な探索活動が続き、昭和11年から13年に掛けて飛騨高山に入って巨石群を見聞し、岩手県釜石市の西南にある五葉山を訪ねている。
 こうしたことは、ほとんど常軌を逸したものと言わなければならないが、いまとなってみれば、いちいち頷けることだから不思議である。確かな根拠が与えられていないにも関わらず、その直観的言動がいちいち、それらしき事実を指摘している時は何か、人間業を超えたものと認識せざるを得ない。ほとんど神業と言うべきことになる。
 酒井の言わんとするところは、外来性の文化によって成り立つ弥生文化や古墳文化、飛鳥奈良時代の文化は日本独自の文化とは言えないということなのだ。その意味では、弥生文化の始まりをなす神武天皇より以前の縄文ニッポンこそ、本来の日本だと言いたいのではないだろうか

○度肝を抜く勝軍のピラミッド語録
 当時としては実に驚くべきことであるが、勝軍は「エジプトのピラミッドだけがピラミッドではない」と主張するようになる。エジプトのピラミッドは、たまたま「旅行者の眼につきやすいところにあった」ことと「規模が雄大であること」以外には、日本のピラミッドと変わりはないと言うのである。これは実に凄まじい発言である。
 勝軍は「ピラミッド三原則」を発表する。
 第一. ピラミッドの原則はなるべく人工の手を加えないことが必要である。エジプトでは、山がないから止むなく石材で建造したが、日本の場合、山があり余っているので、その必要がない。
第二. ピラミッドは最古の神社であり、木造または石造社殿が造られる前の基本形であり、その起源は少なくとも1万年以前のものである。
第三. ピラミッドの建設者は、史実に登場する神武天皇より前の段階に溯る王朝時代の人々であり、日本文化の全盛期と見られるウガヤフキアエズ王朝のスメラミコトである。
 なぜ、そうなのか。そうした点については、まったく触れられていないのであるが、どこかで、誰かに教えられたものなのか、それとも酒井自身の直観的言動なのか。その点については、いまとなってはどちらとも言えない。しかし、私自身の調査経験から多少、言わせて貰えるならば最低限度、次に記す程度のことは判るのである。
 ピラミッドと言われて屹立する山の場合、ほとんどが非噴火性の火山であり、地球内部のマグマが爆発的に噴出しないで固まってしまったものが多い。従って、地球の活動としっかりつながっている山が多いということで、まるで心臓とつながった手足の末端部分のようなものかもしれない。生きているピラミッドが最も望ましいということであろう。
 また、ピラミッドが最古の神社であり、基本形であるという言い方、しかも、その起源が1万年前に溯るなんていうのはいったい、何を根拠としているのだろうか。はっきりした根拠は見当たらないのであるが、おそらく、勝軍だけは知っていたのであろう。言うことが、そのものずばりなのだから
 しかも、神武天皇より以前の王朝時代の人々、ウガヤフキアエズ王朝時代のスメラミコトが造ったと断言するところなどはほとんど鬼気迫るところである。私が調査させていただいた黒又山ピラミッドでさえ、出土物、その他の計算によって、4000年前辺りにはできていたという結果が出ている。おそらく、勝軍が言ったことは間違いないものと思う。

○裏付けを取れ
 先輩勝軍の直観はすばらしい。しかし、せっかくの直観的言動がデータの裏付けを伴って主張されているのではなく、経験的かつ感覚的な言動して発現された時、画期的主張でありながら迫力を欠く結果となっている。戦後になって、しばらくの間、まったく無視されたのも止むを得ない仕儀である。
 残された課題はわれわれに宿題として残されている。ピラミッド三原則の裏を取ることがわれわれの役目なのだろう。それは理解できる。しかし、ピラミッドは神様の山である。最近の私は神様の山を調査するどころか、山に入ること自体、恐れ多く体が動かない。神様の山を調査するには、それなりの相応しい人がいるのかもしれない。

http://www.kitombo.com/rekishi/0901.html
 
 
酒井勝軍とは何者?

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