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★ 刺殺されたアンナ・リンド外相は、国民の人望が厚く、将来の首相候補とも言われていた。欧州単一通貨ユーロの導入をめぐる国民投票で、スウェーデンのユーロ圏への参加を積極的に呼び掛けていた。外相襲撃に伴いユーロ選挙活動は停止され、14日に予定される国民投票が実施されるか、流動的な情勢となってきた。
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【ロンドン支局】ストックホルムからの報道によると、ストックホルム市内のデパートで10日、男に胸などを刺されたスウェーデンのアンナ・リンド外相(46)が11日、搬送先の病院で死亡した。
外相は、デパートで買い物中、ナイフを持った男に、胸や腹、手などを数か所刺され、救急車で同市内の病院に搬送された。収容当初から肝臓に深い傷を負っていることが確認され、容体が不安視されていた。犯人の男はナイフを投げ捨てて逃走したままで、背後関係などは明らかでない。
スウェーデンでは14日に欧州単一通貨(ユーロ)参加をめぐる国民投票が行われ、外相は賛成派の代表的存在だった。
事件発生を受けて、ペーション首相は「開かれた社会への挑戦だ」と強い怒りと悲しみを表明。ノルウェーのピーターセン外相やフィンランドのトゥオミオヤ外相らも相次いで衝撃と怒りを表明していた。[9月11日16時43分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030911-00000308-yom-int
【ストックホルム11日ロイター=共同】スウェーデンの首都ストックホルムのデパートで10日、男に刺されたアンナ・リンド外相が11日午前5時半(日本時間同日午後零時半)ごろ、死亡した。スウェーデンの通信社が伝えた。
外相は、14日に実施される欧州単一通貨ユーロの導入をめぐる国民投票で、スウェーデンのユーロ圏への参加を積極的に呼び掛けていた。国民の人望が厚く、将来の首相候補とも言われていた。
犯行の動機は不明で、警察がスウェーデン人とみられる犯人の男の行方を追っている。[9月11日17時22分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030911-00000137-kyodo-int
<スウェーデン>ユーロ選挙活動を停止 外相襲撃で
スウェーデンのアンナ・リンド外相(46)が何者かに襲われて重傷を負った事態を受け、ペーション首相は10日、ユーロ導入の是非を問う国民投票の選挙活動を停止すると発表した。14日に予定される国民投票が実施されるか流動的な情勢となってきた。外相は重傷で、市内の病院で4時間以上に及ぶ手術を受けた。[9月11日15時44分更新]【毎日新聞】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030911-00003072-mai-int
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★ 1986年の2月のオロフ・パルメ首相暗殺に続く、政府要人の暗殺である。ユーロ導入を阻止したい国際金融マフィア、それと連携する国内勢力の関与が疑われる。
パルメ首相の場合は、1984年11月のインディラ・ガンジー、インド首相の暗殺テロの黒幕と同様、ADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)が関与していた。
参照資料:「ユダヤの告白 」P・ゴールドスタイン J・スタインバーグ 共著
宇野正美 訳。以下に、パルメ暗殺に関する部分を抜粋。
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1985年の終わり頃には、パルメは六年も続いていたイラン・イラク戦争の終結に向けて努力していた。
殺害される何ヵ月か前、パルメはスウェーデンの武器商人、カール・エリッヒ・シュミットの事務所の手入れをスウェーデンの警察当局に命じた。それは交戦国への武器販売を禁じた国際協定に違反し、イランのホメイニ陣営へ武器を提供した容疑によるものだった。シュミットの家宅捜査により入手した書類を調査するうちに、パルメはそのスウェーデン人がイスラエルのモサドおよびレーガン&ブッシュ政権内のプロジェクト・デモクラシーの組織と緊密な関係を結びながら仕事をしていたことを知った。
さらに、東ドイツの秘密警察シュタージも、シュミットによるスウェーデン製爆薬のイランへの密輸に加担していたことがわかった。その一方で東ドイツは当時、ソ連製の武器をニカラグアのコントラに大量に送り込むのにも協力していた。
ペルシャ湾や中米で東西が表向きには対立しながら、地域戦争を醸成するために裏ではなれ合いの関係にあるという皮肉な事実を、パルメは暴露しようとしていた。だが、彼は逆に暗殺されてしまった。パルメの口封じは、後にイラン・コントラ事件で明るみに出ることになる秘密を隠蔽するために、最初の段階で用いられた過激な手口の一つだった。
彼の口を封じることは、アメリカの政府高官、ソ連のKGB、そしてその仲間である東ドイツのシュタージのいずれにとっても願ってもない事柄だった。
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(抜粋終わり)