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「共産主義者」の主体性を問う…共産党における疎外された「性」と延命策「綱領改正」(不和報告)
http://www.asyura.com/0306/war36/msg/456.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 7 月 03 日 02:18:06:xhVo5eCjaau0o

筆坂秀世の「筆」おろしの話ではなさそうな、共産党最高幹部によるおぞましき「セクハラ」スキャンダル。党幹部全員イカレてる。革命の放棄のための「綱領」改革だの、女遊びだの、まともな状態にはない。まじめな労働者の誰もが階級的怒りを感じたことだろう。

かつて火炎瓶党争に現を抜かした過去は押し隠し、ジグザグをくりかえした後には安保闘争時に急進化した学生たちを「奴らはトロツキストだ。暴力集団だ。警察よ厳しく取り締まれ」と国家権力に弾圧を依頼した、「スターリニスト」政党も、すでに権力の側に取り込まれて久しい。こういうおぞましい経緯をたどって、ついに屋台骨のへし折れた化け物屋敷に変身してしまった。戦闘性も左翼性もない不和報告は労働者階級への裏切りの表明である。

――――――――――――以下「さざなみ通信」より―――――――――――
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/topics.html
「セクハラがあった酒席は女性の訴えがあった5月27日の3、4日前」(6中総の前日または当日!)で、「幹部や国会議員が関知しない私的な場所」だったことを明らかにした。(K・M編集部員)
――以上―――――――――

深刻な事態である。似非「共産主義者」が共産党本部常任幹事会という最高権力機関(ピラミッド型官僚主義組織)の頂点に巣くっていたことが問わず語りに告白されている。もっと深いところでの内部権力闘争あるいはスパイ問題すら連想したくなるが、この問題はさておくとして、共産党幹部によるセクハラ自体は共産主義者の主体性を問われる大事件である。すぐに連想できるのは中国共産党幹部が官僚主義機構にあぐらをかき腐敗の限りを尽くしている現状であり、つい二重写ししてしまう

およそ左翼を自認する革命党の幹部がセクハラにうつつを抜かすこと自体が想像を絶する。
このような「党」が綱領改正に躍起になる理由の一端が見える。


「綱領改正」の解説については2003年6月28日(土)「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-28/00_01.html
「日本共産党綱領改定案についての提案報告」 中央委員会議長 不破 哲三

(中略)

第四章 民主主義革命と民主連合政府
第五章 社会主義・共産主義の社会をめざして

など参照。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

口先では有事法反対を唱え(いまや条件付きとはいえ自衛隊容認・天皇制容認)ても頭の中は別のことを考えていたのだろうが、このように頭脳と行動の自己分裂する現象は単なる「変態」で片付けることは出来ない。革命家が実際には運動からの自己疎外されていたという深刻な問題を投げかけている。革命党幹部である筆坂の「自己疎外」はかなり党を汚染していたのではないか。共産党に活をいれるにはもはや解党しか道はないのか?

朝鮮人や日本人、中国人の慰安婦問題など、共産党が取り組んできた日本軍の性の奴隷にされた女性たちのことも忘れてしまった恥ずべき行為である。

セクハラが反社会的でどの程度低レベルであるかは、ビジネストレーニングで用いられる「マズローの欲求の5段階説」を引用すればさしずめ第一段階にしか該当しない低レベルな「生理的欲求」あるいは「生存欲求」。これが一名とはいえ共産主義を唱える日共最高幹部の現実。

―――――――――――以下引用--------------------------
マズロウ Abraham Maslow の動機の5段階説
http://www.ne.jp/asahi/hamamatsu/seiji/yutakada/pli2/maslow.html

人・組織のマネージメント
http://www.v23.org/bizprac/hito5.html
---------------------------------------------------------------------以上------------

「議員」になってもなぜか満ち足りない、欲求不満というフラストレーションは募る一方だ――という妄想がなせる業か?(第五段階から第一段階への転落、もしくは回帰?)

自民党にも共産党常任幹部会(22人、不和議長も含む)委員(ここではセクハラを実際に行ったという前提で今のところ一人だが)にも共通していることは「性」の疎外である。支配階級が捻じ曲げられた性を金銭崇拝(物神崇拝)の対象として、性を代価を支払って獲得することは許されざる現実だ。

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サンケイ:
http://www.sankei.co.jp/news/030624/0624sei067.htm
筆坂氏は旧三和銀行勤務後、国会議員秘書などを経て7年7月の参院選で初当選し、現在2期目。党内で不破議長、志位委員長、市田氏に次ぐ実力者で、国会論戦でも党内屈指の論客との評判が高かったことから、党を担うリーダーの1人として期待されていた。
----------------------------------------------------------------------------

理論武装を次々と自ら解除し、革命(プロレタリア独裁)などかなぐり捨て、本来の「共産主義者」としての使命を失った小ブル議会主義政党の単なる「議員さん」の真実の姿である。

しかしこの問題はもっと深刻である。革命運動とは運動の担い手の普段の自己対決やイデオロギー闘争を通じて理論的な強化と自己止揚を目指すものであり、もって組織的強化を勝ち取ることが当面の課題である。個人は自己研鑽が厳しく問われる。(最高幹部であるならばこのような研鑽を積んだ、いわばゴリ・スタで党内で出世をめざす党員の尊敬も羨望もあったろう。)

このためイデオロギー闘争を通じて、また普段の政治活動を通じて思想的同一性が獲得されるのだから、男女の性的分業はこのことよって止揚されているはずである。これはいやしくも共産主義を奉じ運動に身を投じるものの原則であろう。

このような原則すら無縁の地平で指導部(?)が、だ。幹部筆坂自体が党の活動とは疎外した地平でものごとを考えていたということである。筆坂はつまり彼の56年におよぶ人生は「改革・革命-…・民主連合政府幻想」の実現よりも、現実に見える「疎外された性」、こちらのほうで頭がいっぱいだったということだ。

党の運動自体も革命から自己疎外したもの。

不和の超客観主義的「解説」(不和報告)は、あたかも平和が目の前に横たわっていて、共産党の願望する民主連合政府がすぐにでも実現できそうな幻想をばらまいている。日本は帝国主義かどうか?と自問する不和。対米従属だ?植民地体制の崩壊?


「旧ソ連社会に対する評価」などと言っても、現象的特徴をあげつらっているだけ。
第3章第8節の解説では本質がわからない。スターリン主義の本質が解明されないかぎり、単なる現象論で、ムード的にソ連イコール悪というレッテル貼りで終わる。解説になっていない。なぜそうするか?己のスターリン主義的本質を隠蔽するためだけのために。

「資本主義を離脱して社会主義へという世界的な流れ」など客観主義丸出し。特に「離脱」などとはどういう概念か?
「社会主義・共産主義の未来社会の二一世紀の展望を語る」という語句は非常にあいまいだ。

4日前の「反共」のためのNHKBS「プライムタイム」で、スターリンの映像の「現象(げんしょう)」が長々とでていた。それによれば、スターリンのもっとも尊敬する人物はマルクスではなく絶対主義君主の「イワン雷帝」、思想=政敵を殺し権力を握ること(数百万人の粛清)、愛読書のうちトロツキーの著作が8冊(これは特に愛読―――自分が革命家トロツキーになりきるためにドグマ的に読む、つまりスターリンの頭が扁平であったために自分でものを考えられない男で、政治技術だけに長けていた動物、政敵トロツキーを抹殺して自分がトロツキーの理論を剽窃)、エイゼンシュタインのトロツキーの映像は封印、スターリングラードの戦いでは「祖国防衛主義」(今の日共も同じ)をいかんなく発揮、ソ連兵が捕虜になったら捕虜は死刑、その家族までも死刑に処した、50万人もの市民に銃口を向けた――――こういう悪行という「事実」の羅列は映像であるだけにわかりやすい。


−−−−以下引用−−−−第3章第8節の解説(不和報告)−−−
(中略)
 これは、一九一七年に始まった、資本主義を離脱して社会主義へという世界的な流れは、ソ連・東欧の崩壊によって終わったわけではない、ということです。中国、ベトナム、キューバなどでの社会主義への前進をめざす努力に、私たちは注目していますが、なかでも、中国とベトナムが、九〇年代に、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みをそれぞれ開始し、新しい経済的活力を発揮していることは、大いに研究に値する新しい動きです。中国は人口約十三億人、ベトナムは八千万人、あわせて地球人口の20%を占める地域で起こっている発展ですから、その動きが世界的にも大きな注目を浴びているのは、当然であります。
――――――――――――以上、引用―――――――――

ここまでくればなにをかいわんや。およそ左翼の常識さえもかなぐり捨てた恣意的な似非情勢分析、子供でも「不和は嘘をついてる」と見抜けるシロモノ。

ソ連批判を展開する装いは与えても実際には今は亡き「ソ連・東欧」は社会主義国家だったと、不和は自認しているではないか。中国は明らかなスターリニスト国家である。今のベトナムもキューバもスターリン主義国である。北朝鮮については巧妙に言及を避けている。スターリン主義諸国が一国社会主義という虚偽のイデオロギーゆえに崩壊し、また崩壊の危機にある(いずれ悲劇的に崩壊する。チリのアジェンデ政権やルーマニアのチャウシェスクをズル賢はなんと言っていたか―――筆者)をスターリニスト官僚が自らの延命を求めて「市場経済を通じて社会主義へ」と活路を切り開こうとしているのに、不和はそう認めたくない。いわんや客観主義者よろしく「発展」だと。「民主連合政府」の目玉から情勢をでっちあげているだけ。

第5章は絵に描いた餅で、単なる民主連合政府を基礎づける「鼻輪」だ。
やる気のない「革命」をやると言いながら労働者をだまし続けても、考えていることはわかっている。

まさに不和報告は詭弁の成せる技である。
おのれのスターリン主義的本質にもとづく議会主義の目玉にすべてを引き寄せて解釈し、ズブズブの綱領を作り上げ批判をかわし延命をはかるための不和のトリックであろう。

「日本革命」の性格については、情勢分析は対米従属論は日共と同一なるも、以下参考になるサイトを掲載します。こちらのほうが不和のわかりにくい「解説」よりも明解。

――――「さざなみ通信」引用―――
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/discussion/platform/p01073.html
綱領・規約改定討論欄
マルクス主義のイロハ・5 革命の二種類2001/7/21 J.D.

 今回はアイゼンさんから疑問が出ているので、それにも答える形で論を展開したい。

 まずは、政治革命と社会革命の区別と連関を再度確認しておかなければならない。『社会科学総合辞典』によると、政治革命とは国家権力が一階級ないし諸階級から、他の一階級ないし諸階級に移動することであるのに対して、社会革命とは古い経済的社会構成体をより高度の新しい経済的社会構成体にかえることである。現代革命において、社会革命に対する政治革命の先行性を主張するのがマルクス主義であるが、これは政治革命を実現した後でないと経済的社会構成体の移行(社会主義社会の建設)が不可能である、ということを意味している。
 ブルジョア革命の場合はどうか。例えば、典型的なブルジョア革命として知られるフランス革命(これはもちろん政治革命)は、1789年に起こったが、この時点で既に資本主義的な経済的社会構成体への移行はかなり進展していた。このことが意味するのは、封建的な経済的社会構成体から資本主義的な経済的社会構成体への移行は、いわば自然成長的に行われたということである。以前の革命は概して、社会革命→政治革命の順であったのである。
 しかし、資本主義的な経済的社会構成体から社会主義的な経済的社会構成体への移行は、プロレタリアートが国家権力を奪取しなければ、すなわちプロレタリア独裁を確立しなければ不可能である。このように社会革命に対する政治革命の先行性ということは、現代革命の特殊性であって、この特殊性を見抜いたのがマルクス学派なのである。
 因みにここで用語の問題を取り上げておくと、社会主義革命という場合は、社会経済革命のことを指しているのであり、政治革命としてはプロレタリア革命というのが正しい。従って、現代日本が当面している革命は、民主主義革命でもなければ社会主義革命でもなく(両者は社会経済革命)、プロレタリア革命(これは政治革命)なのである。

 これを踏まえた上で説明しなければならないのは、プロレタリア独裁についてである。プロ独に関しては一般的にかなりの誤解があるので、別の機会に詳細に論じたいが、今回の件に関しては以下で十分であろう。
 現代日本において当面する革命はプロレタリア革命(=政治革命)であるが、これによって樹立される国家権力がプロ独である。プロ独の根本的・究極的な目的は、社会主義社会を建設すること(より正確には、自己を含めた一切の政治的権力を止揚し、共産主義社会を創出すること、といった方がよいかもしれない)であるが、だからといっていきなりこの課題に取りかかれるとは限らないし、また取りかからなければならないということもない。
 日本においては、当面アメリカ帝国主義の支配の打破と「反独占民主主義」の実現という課題に取り組むことになるだろう。プロ独とは、端的にいえば、独自の階級的イデオロギーをもったプロレタリアートが政治を指導することである。極論すると、この本質さえもっていれば、どんな機能を果たそうが、どんな政策を行おうが、その国家権力はプロ独と呼べるのである。もちろん、ここでいう独自の階級的イデオロギー、つまりプロレタリアートの階級的利害は、資本主義制度と非和解的に対立しているものである。
 以上がマルクス主義の革命論の一端であるが、日本共産党の二段階革命論は、端的にいって政治革命的視点が欠如している。あるいは、政治革命と社会革命を混同して論じている。最近は二段階革命論についての見解も揺れているようなので、ここで詳細に検討するようなことはしないが、権力論的に述べるならば、民主主義革命という段階を設定することは、革命権力の本質を機能的かつ政策次元において実体的に把握することを意味している。これこそレーニンの負の遺産であって、スターリンによって全面的に受け継がれた機能主義的傾向である。ともかく、日本共産党の二段階革命論は、権力の本質についての理論、マルクス主義権力論が欠けているが故の誤謬である。
 次回は、できることなら、プロレタリア独裁について、権力一般論を踏まえて論じていきたい

「トピックス」
(03.6.28)レーニン主義から最終的に決別した不破綱領
(03.6.25)筆坂政策委員長・参議院議員がセクハラで辞職
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/topics.html

――――――――以上、引用―――――――――――

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