現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件7 > 563.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re:渋沢−武井は日本資本主義の表裏というより両端かな 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 05 日 10:17:40)
> エンセンさん。 お葱の里さん。 こんにちわ。
こんにちは.いよいよ佳境というところで退出するのもシャクなのでもう少し,かじります.
> 渋沢氏本人は別に疑いを持っていません。
渋沢と三菱(岩崎弥太郎)の対立・相克には何かありそうな気もします.
(コップの中の嵐として見てしまえばそれまでですが...)
> 北区飛鳥山公園内に渋沢栄一記念館があります。
> お嬢様が遊べる公園が隣接しています。
> 楽しいですよ。
(誘っても断られて)私一人で行くようになっちゃいそうですね.(さみし…)
渋沢栄一は日米協会会長というのをやっていますが,どんな性格の団体であったかご存知ですか?
これに関連して,昭和初期日本人移民間題を発端にした日米関係の悪化を憂慮する米国宣教師
シドニ−・ルイス・ギューリックが栄一に働きかけて,米国製人形を「平和の親善大使」として日本に
贈ったという,野口雨情の歌にもある「青い目のお人形」という逸話があります.これらの人形は各
地の小学校などに配られたのですが,太平洋戦争の勃発とともに「敵国スパイ」,「仮面親善使」な
どと呼ばれてすさまじい迫害を受け,その大部分は焼却処分されたようです.
> しかし、「金利」という点で見ると、同一線上で踊る存在です。
確かに!
> 渋沢は低利の産業金融を推進しました。
> この投下資金は最終的には外需によって回収されるべきものです。
> 輸出で儲けるアテがなければ、産業向けの巨大金融は怖くてできないでしょう。
> これは最終的に国民経済に+となります。
国内総需要/国民総生産は国民の貯蓄をゼロとしても1にはならないと考えられるので,一般には
「投下資金は最終的には外需によって回収されるべき」であるとするのは誤りではないと思いますが,
(資源の自給が可能であるという仮定のもとで)閉鎖的経済成長モデルを考えることは可能です.
また,国富が増大するためには(為替交換率と経済成長を無視して)輸入超過であることが絶対条
件ですが,外需というのは「輸出」以外のなにものでもありませんから,産業金融の(もうけの)原資
を外需に求めるという立論にはやや無理があるのではないでしょうか?
> 武井は小売の消費者金融を推進しました。
> この投下資金は、消費者が財・サービスを購入する資金の「先取り」および「金利の控除」によって回収されます。
> 回収された資金は一握りの株主に所有され、おそらく退蔵されます。
> 従って、最終的に(長期で見ると)国民経済の縮小をもたらすはずです。
現象的には非常に当っていると思いますが,退蔵されるという意味では50歩100歩で,投機的資本
市場に向かう金融余剰資金は国民経済から見れば(消費者金融の)退蔵となんら変わりません.
この点では私はむしろエンセンさんの「みんな同じように見えます」という議論に同調します.
> 従って、武井は、むしろ日本資本主義の晩鐘となりそうな気がしています。
ロジックには多少異論がありますが,結論部は共有します.渋沢が日本資本主義の開き括弧で
あり,武井がその閉じ括弧であると把握することができます.時系列的には渋沢→→→武井です.
(高利貸が金融の始祖であるとすれば,そこに回帰することによって閉じるのかもしれませんね.
つまり,もはやこれまでということでしょう.)
経済は基本的に貨幣循環と見ることができますが,渋沢に代表される産業金融を動脈系と呼ぶと
すれば,武井が創案し,試みたシステムは静脈系と言うことができるでしょう.彼はこれをほとんど
動物的直感で把握したのかもしれませんが,本質的(システム的時制的に必要不可欠な)要素で
あるがために歴史過程的に出現したものであろうと私は考えています.(エコロジーの文脈でも静
脈系という用語が現われますが,ある種の同時代性を感じます.いずれにせよ,これからの経済
政策は静脈系を考慮することなしに立案することはできないと思います.) ちょっと,整理すると,
渋沢 武井
----------------------------------------------------
産業 消費者 経済主体
(供給サイド) (需要サイド) 供給・需要
動脈系 静脈系 貨幣循環
低利 高利 利子率
スマート 暴力的 マナー
抵当貸付 信用貸付 有・無担保
非対称情報 完全?情報 情報対称性
のような感じです.ここで右側を「完全?情報」としているのは,個人の信用調査システムがほぼ
完成したと言ってもよい程度に網羅的なものになっているという現実を踏まえています.今回武富
士が懲罰的にJDBによる個人信用情報提供の停止という処分を受けましたが,これは非常に象
徴的な意味合いを持っています.つまり彼ら(左側)は右が汗と血によって新規に開拓した大きな
漁場をいまや完全に横取り(横領)しようとしています.というより,既にその作業が終わったことを
意味していると言った方がよいでしょう.(検察の動きを見ると世界が読める!)
上記の議論は,私の述べたコインの表裏という軸とはまったく異なる視角に立つものですので,
必ずしも排他的な(どちらが正しいか?という類の)ものではないと思います.また,上記ではとり
あえず金融システムは高利貸に始まり,高利貸に終わるとしていますが,利子率は運動としては
(インフレ率を控除し原理的には限りなく)ゼロに向かうのではないかと考えています.その意味
で今は終りの始まりの時と呼ぶべきかもしれません.