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(回答先: Re:何しろ血洗島ですからね 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 03 日 20:20:33)
武富士会長武井保雄はすみちゃんが書かれているように深谷市明戸の小売の酒店の息子
(確か3男坊)です.今は合併して深谷市になっていますが,もとは明戸村と言いまし
た.一方血洗島は同じ大里郡ですが八基村です.かつての農村部では酒屋さんというの
は地域のデパートか,ないしスーパーマーケットの役割をもっていたわけで,いわば
「大店(おおだな)」,つまり(ローカルには)豪商といってもよいでしょう.もちろ
ん,量販店とかコンビニエンスストアが勃興する前の話です.日本の製糸(繊維)工業
が完全に没落する前は,この地域は養蚕地帯として大変栄えていました.明戸村は瓦の
主産地で,東京駅や丸ビルの社屋に使われたレンガを生産したレンガ工場もあります
(栄一の肝いりで設立されたもので,外人技師の設計によるものです).
武井氏はこの深谷近辺で(個人営業の)高利貸しを営んでいたのですが,あるとき,こ
の町を出奔して東京に出ます.(すみちゃんの池袋に開業というところに繋がります.)
武井氏がこの町を出たのが昭和何年であったのか私は正確には知りませんが,少なくと
も15年より以前である(以上経過している)ことは確かです.つい最近(確か去年),
深谷商工会議所は会誌で特集を組み,武井氏の業績を称えました.(もちろん相応の寄
進があったと理解してよいと思いますが)これは彼が社会的に「完全に」認知されたこ
とを意味します.私は表記の「伝説」について,これ以上述べることはありません.
(もしかしたら,すみちゃんは最初からご存知なのかもしれませんが...)私がこの
レスを付けた動機は武富士会長に対する興味というより,むしろ,すみちゃん本人に対
する好奇心と言った方がよいかもしれません.不思議な人ですね,あなたは.(^^)