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(回答先: フロント企業 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 12 日 04:05:25)
エンセンさんの問題意識がおそらく「小さな暴力」それが日常生活において肥大化されてゆく過程に暴力を生み出す根拠があるのではないかとの思考があると思います。
日常生活の中で、ひとつ覚えているのは、沖縄では旭琉会という組織が、本土からの山口組の進入を防止する上で徹底抗戦し、機関銃まで持ち出して対決した。そこで、一般庶民に大変な影響ををあたえるということで地元警察は旭琉会による沖縄の一島支配を許可した。そのかわり旭琉会も親分を殺された。
鹿児島の小桜一家も山口組とは一線を画す。
さらに過去をたどりますと、浅草の義人党というのもあった。ここは任侠そのものの集まりで、まずもって、任侠の世界では「泣く子も黙る義人党」、下手な任侠のまねはさせない。曲がったことをさせない。やくざの中でも徹底した「任侠道」を貫いた。
松葉会も東京下町では下町の生活に根付いた組織で、清掃業などを主流にやくざものを使っていたけれど、庶民には絶対に迷惑をかけないという哲学をもっており、やくざっぽさというのが出ない。
からっとしていたことは確かで、それがために影響力を落とした(解散した)のだろうと思います。
こうなると深作近監督の世界でしょうが、実際にはそうではない。もっともっと暗く陰湿な世界です。
それでも私たちが少年時代は、たとえやくざであっても、そいつが誰かをいじめると、皆でそのいじめに介入するする。するといじめられてるほうも窮鼠猫をかむでつい相手のつっぱり坊やをやっつける。肉体的にですよ。するとみんながヤイヤヤイヤのかけ声。いじめるほうのやくざのこわっぱは皆の前で恥をかかされすたこらさっさと逃げの一手。体力的にも戦略的にも負けは必死、なにせまわりが皆敵に見えてしまう。結局、勇気を出してヤクザ者の子弟と主面きって、勇気を出して戦った人間が、評判が出る。
だから私たちのときにはいじめ
に対して皆が「そうはさせじ」と見張る、すると、ちんぴらが恥をかかざるを得ない。ちんぴらも二度とああいうへまはやめよう、と心に言い聞かせるのです。そこでそのちんぴらもいい経験をしてちょっとやそっとでは動じない人間になるとともに、周囲の人間もいじめ撃退法を学ぶけです。
私も何度か「生意気だ」と便所につれてゆかれ箒でひっぱたかれましたが、いつのまにか便所には黒山のひとだかり、こっちも間違っていないので、私をめためたひっぱたくちんぴらも手が出せなくなり、やがて話のわかる同じ中学生の人間が間にはいって仲直り。それからというもの、何か尊敬しあう間柄ができてしまい、いつのまにか、そいつはクラス一の女の子と血痕しましたね。もちろんかたぎです。
相手はやくざの子弟ですよ。
ちょっと思いを馳せますと鴻池もそうらしい。
が時代が違う。逆に庶民にいじめられたのかなと思うほど恨みをもっている。
こりゃ異常じゃ。