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(回答先: Re: 驚き、あきれる大衆迎合主義 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 7 月 14 日 13:29:01)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-07-13/15_01.html
2003年7月14日(月)
駿君殺害現場となった立体駐車場は、昼でさえ薄暗く、排ガスが漂います。夜。この場に連れてこられた四歳の駿君はどれほど心細かったでしょうか。十二日、雨が時折強く降りつける現場には「駿ちゃんの命がムダになりませんように」と書かれた手紙とともに、たくさんの花束が添えられていました。
「なぜ…」の思い
少年が住んでいた高層マンション。十二階から外をみると、滑り台のある風景が目に入ります。一九九一年七月、一歳未満のころから住んだ少年の幼いころの遊び場でした。
「まさかあの子が。体が震えました」。幼いころから少年を知る女性はいまでも信じられない思いです。「『おはよう』『お帰り』と声をかけると、返事が返ってくる。きちっとあいさつできる子どもだった」といいます。「成績上がったよ」とみせに来たこともある「ご近所からかわいがられた」小学生でした。わが子のように思えました。
少年を知る女性の「なぜ…」の思いは強いものがあります。
少年は幼稚園から高校までの私立一貫校に小学二年まで通い、その後公立小学校に転校しました。転校の理由は分かりません。
最近では「母親にかわいがられ、親子三人、仲良く買い物などに出掛けるのをよく見かけました。家庭内暴力とか、体罰など聞かない」と近所の女性はいいます。
気になる行動もありました。時々キレると教室から飛び出し大声を出しました。注意されても、非を絶対に認めようとしませんでした。
少年が住むマンションの住民は、この地域での出来事を克明に記録していました。一九九九年、二〇〇〇年ころに小学校低学年の子どもたちがエレベーターなどでいたずらされる事件が書かれています。「そのころ、少年は小学三―四年生。もしあのとき、被害に遭っていたならばトラウマになってはいないか…」。
少年が通う中学の校長は「普段の行動から事件につながるシグナルが見えてなかった。ふがいなさを真正面から受けとめたい」と痛恨の思いを記者会見で語りました。
それぞれの衝撃
子を持つ親も、子育てが終わった親も、思春期真っただ中の少年と少女たちも、「ひとごとではない」と衝撃と向かい合っています。
十二歳の女子中学生の母親が話してくれた言葉が印象的でした。
「本が好きで、おとなしい普通の子―などと事件を起こした少年像について伝えられると、不安で仕方がありません。自分の子もそうだからです。常々思うことは成長を待ってやる。その子なりの育ちを見守ること。子どもの気持ちに寄り添うことだと思います」