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今年5月12日、沖縄タイムズに次のような記事が載った。
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「沖縄戦」と「有事法」 2003年5月12日 夕刊 1面
沖縄戦の実相を伝える新たな資料がまた、白日の下にさらされた。関東学院大の林博史教授(日本の戦争責任資料センター事務局長)が米国立公文書館から入手した旧日本軍の作戦要領で、住民を装って米軍に奇襲攻撃を仕掛けることなどを指示していたことが明らかになった。
米軍の上陸を待って地上戦に突入すれば、そこに住む人々はどうなるか。旧日本軍の指揮官は多くの犠牲が出ることを想定しながら、戦争に勝つためには、住民でも何でも利用する「作戦」を練っていたことがうかがえる。もともと、住民の生命を守るという発想がなかったともいえる。
おりしも、国会では有事関連法案の審議が大詰めを迎えている。自民党と民主党の間での修正協議がたけなわで、早ければ今週中にも同法案が衆院を通過する。六月には、憲法で戦争放棄を宣言したわが国で、初めて戦争を想定する法律がつくられる見通しだ。
同法案をめぐっては、国民の間でさまざまな意見があり賛否も分かれている。それなのに、国民的な議論が十分尽くされたとはとても思えない。国民の側も、自らの生命と財産に大きくかかわっているにもかかわらず、関心が高いようには見えない。
沖縄戦では、地上戦に巻き込まれた住民を含む二十万人余が犠牲となった。今回見つかった旧日本軍の資料からは、戦闘になれば、軍隊は住民を守るどころか、戦場へ駆り出すこともいとわないことが如実に示された。有事関連法案の審議のさなかだけに、一層考えさせられる資料内容だ。(平良武)
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朝日新聞も変節し、有事法制の成立に加担した後、その国の流れをおしとどめることは沖縄の一地方新聞には出来なかった。
次に紹介するのは、[沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか/安仁屋政昭著・日本近代史の虚像と実像3]の中の一節。
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人工六十万、軍隊十五万程ありて、初めは軍に対して皆好意を懐き居りしも、空襲の時には一機飛び立ちたるのみにて、他は皆民家の防空壕を占領し、為に島民は入るを得ず、又四時に那覇立退命令出て、二十五里先の山中に避難を命ぜられたるも、家は焼け食糧はなく、実に惨澹たる有様にて、今に至るまでそのままの有様なりと。而して焼け残りたる家は軍で徴発し、島民と雑居し、物は勝手に使用し、婦女子は陵辱せらるる等、恰も占領地に在るが如き振舞いにて、軍規は全く乱れ居れり。指揮官は長某にて、張鼓峰の時の男なり。彼は県に対し、我々は作戦に従い戦をするも、島民は邪魔なるを以て、全部山岳地方に退去すべし、而して軍で面倒をみること能わざるを以て、自活すべしと公言し居る由。(細川護偵「細川日記」昭和二〇年一二月一六日付)
沖縄戦では、各地で「集団自決」がおきたといわれているが、これは中南部の激戦地と周辺離島にかぎられている。「日本軍と住民が同一地域に混在」した地域でおきている。住民の「集団死」は、日本軍の圧倒的な力による強制と誘導によって発生した。
渡嘉敷島の「集団自決」事件を取材して「ある神話の背景」というノンフィクションを書いた曽野綾子氏は、教科書裁判の国側証人として出廷し、「住民は自発的に死んだ」と主張した。軍による自決命令はなかったことを強調して皇軍を擁護した。曽野綾子氏の取材に協力した渡嘉敷村の元兵事主任・富山真順氏は、教科書裁判の沖縄出張尋問が終わったあと、次のように述べている。
「玉砕場のことは何度も話してきた。曽野綾子氏が渡嘉敷島の取材にきた1969年にも、島で唯一の旅館であった[なぎさ旅館]で、数時間も取材に応じ、事実を証言した。あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になっていわれるとは夢にも思わなかった。事実がゆがめられていることにおどろいている。法廷のみなさんに真実を訴えるためにも、わたしの証言を再確認するしだいである」
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この[沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか]の全編を読んで思うのは、死者に対する誠実さである。このような研究者には深く敬意を表したい。
ところで、その沖縄では1995年に日本中を震撼させた事件が起きた。
次のような凶悪な事件である。
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米軍人による女子小学生暴行傷害事件に関する沖縄県議会抗議決議 1995/9/19
去る9月4日午後8時過ぎ、沖縄本島北部の住宅街で、3人の米軍人が買い物帰りの女子小学生を車でら致して暴行するという事件が発生し、県民に大きな衝撃を与えている。
戦後半世紀が経過したというのに、最近の米軍による事件・事故の多発は目に余るものがあり、米軍に対する県民の不信と不満は頂点に達している。
特に今回の事件は、行為そのものが人道にもとる極悪非道の野蛮な行為であるだけでなく、所属部隊の異なる3人の兵士が示し合わせた上で、基地内レンタカーを使用して実行した計画的な犯罪行為であり、県民の間には憤激の声が沸き起こっている。
しかも米軍は、このような凶悪犯罪についてもなお日米地位協定を盾に県警への被疑者の身柄引き渡しを拒否し、県民の怒りに油を注ぐ結果となっている。
(略)
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この時ばかりは、日本中のメディアが連日大きくこの事件を取り上げた。無論冒頭に記した朝日も。それは正しいことである。
しかし…。
この米軍人のレイプ事件は9月4日に起きたが、テレビ朝日系列の琉球朝日放送の沖縄での開局が10月1日に控えていた。琉球朝日放送は開局そうそう、この凶悪な米軍人のレイプ事件の報道を繰り返し、報道機関の名を売ることとなった。
実はこの時、東京のテレビ朝日の社長室で、ほっと胸をなで下ろしていた人物がいた。同じその沖縄で、年に朝日新聞の起こした「珊瑚落書き捏造事件」の際の当該の部署の編集局長だった伊藤邦男氏であった。このレイプ事件が起らなければ、かならず週刊誌ネタになって大きな話題になっていたはずだからである。
この米軍人のレイプ事件の直前には、東宝が沢口靖子主演の「ひめゆりの塔」という映画で沖縄ロケも行っていた。また、上に記した「集団自決」の裁判が沖縄では話題となっていた矢先の事件でもあった。あらゆる意味で『乾坤一擲』……そういう事件であった。
それにしても、「珊瑚落書き捏造事件」の時、当該編集局長だった伊藤邦男氏が、どうしてテレビ朝日の社長にまで昇りつめることが出来たのか、世間は謎だと思わないのだろうか。以前は新聞からテレビに移るのは栄転でも何でもなかったが、近年はテレビの方が新聞より収益がいいという商売上の理由から、新聞からテレビ局の方に移ってその社長になるなどというのは大層な出世なのである。
伊藤氏が西武の堤氏や田中角栄氏らの権力者らと通じていたから?
僕はやはり「珊瑚落書き捏造事件」がヤラセ事件だったからというのが本当の理由だろうと思う。
この眩暈をおぼえる「ヤラセ」は、リクルート事件当時の朝日新聞社社長だった一柳氏が、リクルート株を10000株譲渡されていたことが検察にバれて、検察との裏取り引きにおいて、彼が社長を辞任する「理由」として、朝日新聞が計画的に故意に仕組んで作った「事件」だったと言われている。陰謀と呼ぶに相応しいものだ。
朝日新聞には、永田町と霞ヶ関と俺たちが国を動かしているのだ、と豪語する者もいるということだが、上のようなヤラセを考えればあながちそれも大袈裟だとも思えない。
リクルート事件が表沙汰になったきっかけは、神奈川県警の共産党員宅の盗聴事件で最初動いていた朝日の川崎支局の人間に、その神奈川県警の捜査ニ課の警部が「川崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」と言ったことが発端となって、川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関連して便宜を計った見返りとして株を譲渡された収賄事件が明るみになったことから始まっている。
『朝日と読売の火ダルマ時代』藤原肇著(1997年刊)には、そのリクルート事件と「珊瑚落書き捏造事件」のつながりの裏舞台が描かれている。この著書は既に絶版になっているので、少し長くなるが、その部分を引用しておきたい。
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『朝日と読売の火ダルマ時代』藤原肇(1997.11.01刊)より
歴史の証言:『朝日が包み込まれた不透明な霧』
中曽根内閣から竹下内閣時代にかけての時期は、日本列島をバブル経済による狂乱の渦が包み、それを象徴していたのがリクルート事件だった。政界、財界、官界に加えて報道界も汚辱に巻き込まれ、国をあげてカネの亡者になった日本は、この事件を境に急転直下破綻の色合いを深め、亡国の淵に向かって転落の軌道をたどった。
ジャーナリズムが勇気を持って挑まない限り、権力犯罪は絶対に糾弾できないという点で、この事件は若い世代に対し宿題を残したが、20世紀に生きた人間としての務めとして、出来る限りの証言を記録に残す必要がある。
普通なら口を閉じて証言をあの世に持ち去り、仲間の不始末に封印する立場にいるのに、敢えて協力して下さったOBの心痛は、インタビューする私にひしひし伝わった。
日本の報道界がビジネスになったために、新聞が社会の木鐸でなくなったのであり、慙愧に堪えないと最後に心情を漏らしたが、この発言にたどり着くまでに長い会話があった。
最近の朝日の幹部の具体的な堕落について、同僚や後輩の名を具体的に示しながら、苦しげな表情で語ったサワリの部分に関し、相手の名をGとして以下の対話再現した。
朝日の幹部を蝕むリクルート事件の影
G 沢山の先輩たちが残した伝統を受げ継いで、ジャーナリストの責任を果たす職場に恵まれたのは、朝日での仕事が天職だったこともあり、何物にも代えられない名誉と誇りでした。[ペンは剣よりも強し]という理想を求めて、その実現のために朝日に入社した人も多く、これが朝日マンに共通の生き甲斐です。だが、そういった理想像も組織の巨大化のために、官僚的な機構の締め上げのために崩れたし、村山社主事件の後の朝日はすっかり変わってしまった。
F ベトナム戦争とロッキード事件が一段落して、物質的な繁栄が急速に拡大して行き、日本が経済大国といわれるようになると、記者の問題意識が低下したのは知っています。
それに、こんなことを言ったら失礼だと思うが、現在の朝日新聞の官僚主義は実に酷くて、20年前のような自由な空気は消えているし、読むに値する記事がないという気がする。
これまで色んな新聞記者にインタビューしたが、横柄でも朝日の記者は人材として優れており、朝日がダメになったら終わりだと感じました。それに、皆が民主主義に対して期待していたし、朝日には権力に立ち向かう気迫があり、教養主義と批判精神が息づいていました。
G 朝日の組織的な落ち込みはリクルート専件後で、特にサンゴ事件の影響が強烈でした。リクルート事件は朝日の大スクープとして、横浜支局が大活躍したと考えられているが、現場がハッスルしたのと逆に本社の上層部は、会社の存続を問われるほどの危機感を持ち、何とも陰鬱な気分が支配していました。
F 朝日だげでなくマスコミ界のトップの多くが、リクルート株を貰って私益を肥やしたのに、事件が矮小化したと言われてましたからね。
G リクルート事件は政財界のターゲットと共に、環境破壊の点でマスコミを取り込む必要があり、口封じのために撒かれた株も多かった。なかんずく、不動産開発で環境破壊する行為に対して、マスコミで最も手強いのは朝日であり、これは朝日が誇るべき実績だったのに、幹部が株を貰ったとしたらとんでもない話です。
だから、サンゴ事件を理由にして責任を取った形で、一柳社長が辞任して中江に社長交替したが、あれはサンゴではなくてすり替えであり、うまい具合に誤魔化したリクルート事件という噂で、社内の空気が沈滞したというわげです。
F サンゴ事件の責任を取って社長を辞めたのなら、直接の責任者が昇格して社長になったのでは、責任を取ったことの説得力がゼロになる。それだのに、誰もそれがおかしいと言わなかったのは、巨大な陰謀が関係していたせいでしょうか?。
G よく[天の声]といわれているものであり、政治権力の奥深い所と結んだ検察が絡み、その威力で事件がもみ消されたそうです。日本のマスコミ界の中枢が深く関係していたが、とりわけ朝日が危ないということになって、幹部が一蓮托生で株の利益に関係していたために、秘密の取引が行われたと言われています。
F でも、そんな噂だけで推論するのは軽率ですよ。
検察当局がマスコミに貸しを作った状況証拠
G しかし、その背後には信じるに値する情報があり、単なる噂とは違う状況証拠も揃っていて、その可能性を否定するわけに行かない。現在テレ朝の社長をやっている伊藤邦男は、朝日に入社した最初の任地が八王子で、昭和28年(1953年)頃に地検の八王子支部にいた、前田宏検事と八王子会の仲間でした。また、同じ仲間だった佐伯晋専務たちと一緒に、その後も八王子会で親しく付き合っている。たまたまその縁を使って伊藤が使者に立ち、「理由は他のことになるかも知れたいが、うちは社長が辞めるから勘弁して下さい」ということで、取り引きが成立したと言われています。
F そういえば、確かに前田検事長の捜査干渉に腹を立てて、特捜検事が辞表を叩きつけたり反抗した話が、真神博の『虚報の構造』(文芸春秋)に書いてあるし、内部では色んな問題があったようだが…。
G 特捜部の若手の中には骨のある検事もいて、「それはおかしい。朝日を始め読売や文春の上層部の大物を逃がして、日経の森田や読売の丸山だけを挙げ、後の連中を見逃したのでは筋が通らない」という議論もでたが、検事総長は「まあ、そう言うな。ここはマスコミに対して貸しにしておき、政治の汚染をマスコミを使って掃除し、世論を納得させなければいけない」という話になったと聞いています。
F あなたの立場でそう聞いているのなら、その情報の信頼性は確かと言えるでしょう。実はNHKの幹部をしている人と話した時に、リクルート事件の時に職員の汚染を調べて、十人近くが問題になり地方に飛ばしたそうだから、日本ではそうやって汚れた連中を逃がしたり、犯罪を組織ぐるみで隠蔽するのでしょうね。
G 最後まで面倒を見てやるということで、それが慣習になって定着したのが天下りであり、現役時代の貸し借りを後で始末してやるのです。これが続く限りは公私混同の悪習は続くから、私が朝日を辞めた時にスッパリ手を切り、傍系の会社に再就職という話を断って、自分の考えに従って新しい人生を始めたのです。
F 全く同感ですね。
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ちなみに、やはりテレビ朝日が1989年にやってバレた「女子中学生ヤラセ・集団リンチ事件」の時のディレクターは、局の上層部と警察にまんまとはめられ、一人で罪を被った結果になったと後に語っている。この集団リンチは性的な色彩を帯びたものだった。被害者の女子中学生の母親は、後に自殺をしている。