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(回答先: 「観測事実」からのチャレンジ >Re:観測研究本格化、地震前兆検知公開実験開始から8年間で初めての一般公表 投稿者 【公安情報 ESPIO!から転載】 日時 2003 年 9 月 09 日 17:45:58)
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《公安情報 ESPIO!》
■ 謎の「日本人ジャーナリスト」を捜せ! Vol.232 09/10/03
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1.「尋ね人」
妙な案内が出ていたのでお知らせしておこう。
http://cryptome.org/jp-journo-id.htm
1960年代初頭アメリカ中西部で活動していたという「ジャー
ナリスト」の身元が知りたいそうである。
背景事情がまったく分からないが、諜報サイトCryptomeに出てい
るということは、なんだか曰くがありそうだ。
マスコミ人の読者の中で、どなたか心当たりのある方はいるだろ
うか?
あれば御一報願いたい。
■連絡先
John Young
251 West 89th Street
New York, NY 10024
Tel: 212-873-8700
Fax: 212-787-6102
E-mail: jya@pipeline.com
PGP public key: http://cryptome.org/index.html#pk
2.地震関連情報
前号で触れた地震の予測。読者からの情報提供によれば、経験的
には90−100時間前に、千葉県立行徳高校の観測データに「異
常」が現れるそうだ。
http://www.asahi-net.or.jp/~xr2t-fksm/sizen/zisin/zisin_main.html
<参考>観測の比較、前兆電波の特徴
http://www.asahi-net.or.jp/~xr2t-fksm/sizen/zisin/center-news/no5/no5.htm
■行徳高校
・AM受信方式。
・周辺の電磁環境のノイズに強い。電離層擾乱の細かな様子は捕ら
えられない。
・数時間から数日前に出る事が多い。
■八ヶ岳南麓天文台、東海大学、早稲田大学、千葉大学、電気通信
大学、北海道大学、岡山理科大学、東京学芸大学など
・見通し外FM放送受信方式。
・周辺の電磁環境のノイズに弱い。電離層擾乱の細かな様子を捕ら
えられる。
・数ヶ月前から数日前に出る事が多い。
データの読み方は
http://www.asahi-net.or.jp/~xr2t-fksm/sizen/zisin/hajimete/zisin_hajimete.htm
を参照。
このページはなかなか親切で、筆者は先日9月3日の大きな雷な
んかと
http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=583902
観測データの異常がどういう関係にあるのかと思っていたが、そう
いう疑問もちゃんとフォローしてくれている。
http://www.asahi-net.or.jp/~xr2t-fksm/sizen/zisin/center-news/table.htm
以下の報道によれば、東京都も関心を持っていることが窺えるが
、果たして今回、石原都知事はどういうスタンスをとっているのか
気になるところだ。
<新聞記事>
東京都、地震予知に挑戦 発生直前の電磁現象観測を東海大に委
託
2003.08.16 産経新聞朝刊
東海地震や南関東直下型地震の発生に備えるために、東京都は地
中に流れる微弱な電流(地電流)やさまざまな電波など、大地震発
生の直前に起きるとされる電磁気学的な異常現象を検知することに
より、地震発生の直前予知に乗り出すことを決めた。
世界的にみると、ギリシャで、地電流の変化を観測して地震を予
知する「VAN法」が採用され、これまでいくつかの成果を上げて
いる。日本では東海大地震予知研究センター(センター長、長尾年
恭教授)が地電流などの観測・研究をしており、都はここに観測を
委託。
センターは伊豆諸島、房総、伊豆半島など首都圏を取り囲む地域
を主な観測点としてデータ収集するほか、同センター以外に全国で
行われている研究についてもネットワーク化を図って総合的な分析
を行う。異常データが検出されれば、検証作業後、都に通知する。
発生の直前予知に役立つとされる自然界の諸現象の報告や研究に
対し、国は「系統性に欠ける」と消極的な姿勢を示してきた。
これに対し、東京都は「さまざまな大地震の発生が切迫性をもち
つつあるなかで、国の対応を期待していては後れをとる。直前予知
への有力な情報として把握し、住民への情報提供を検討していくの
が適切だと考えた」としている。
実は、別の読者からの情報によれば、先週あたりから、内閣府や
気象庁、東京都上層部でも、問題となっているという。
FM電波の観測異常と地震との相関関係は、電通大、千葉大、東
京学芸大、北大の検証でも認められており、フランス、ロシアなど
は、地震予知のための電離層観測衛星の打ち上げを決定しているく
らいだから、徒らに無視できないのであろう。
もっとも、今のところ関係機関は、串田氏の予測を積極的に支持
するような観測データを、捉えてはいないようだ。
引き続き要注目である。
3.震災当時
95年1月16日当時、筆者は宿直で大阪市にある近畿公安調査
局に泊まっていた。宿直者は3名。未明にかなり大きな揺れがあり
、他の2名は大慌てしていたが、筆者は東京に4年間暮らしていた
ので、発生直後の数時間、「関西にしては大きな地震だな」などと
、呑気に構えていた。
庁舎の設備や外壁が壊れていないか確認に走らされたり、職員か
ら「今日は休む」と言った連絡がパラパラあったりして、対応に追
われた。
阪神・淡路大震災と言っても、直撃を受けたのは神戸、芦屋、西
宮、尼崎、宝塚等々の一部であって、地域にもよるが淀川を超えて
大阪のほうに出てしまうと、被害の程度はさほどでもなかったので
ある(もちろん、「相対的に」ということ)。
そのころ、西宮の実家では大変なことが起こっていた。「大きな
揺れ」どころではなかった。突然、ドーンと何かが大爆発したよう
な音が響き、地面から突き上げられたのだという。29インチのテ
レビが台座から宙に飛んで、床に転がった。窓ガラスが割れ、大黒
柱が歪み、屋根の瓦が流れ落ちた。
午前7時ころ、実家が本庁の宿直に連絡を入れたが、未だまった
く状況を把握していなかった。“情報機関”がこんな調子だから、
村山首相(当時)の対応が遅れたのも無理はない。
筆者は当日午後、171号線を使って車で家に戻ろうとしたが、
完全な渋滞で少しも動かず諦めた。
翌日、阪急に乗って戻ろうとすると夙川駅は崩壊。一つ手前の北
口駅から歩いて帰った。まるで映画のように電信柱が倒れ、折れ曲
がり、道路を塞いでいた。駅のトイレでは早くも汚物が溢れかえっ
ていた。
幸い筆者の住む地域では、ガスはともかく電気が活きていたので
助かったが、それでもしばらく断水して大変だった。飲料水、トイ
レ、風呂−水がなくなると、肉体的にも精神的にもダメージが大き
い。
同年1月下旬、人事院の係員研修で入間市の研修所に入所したが
、地震の話などほとんどまったくと言っていいほど話題に上らなか
った。まるで余所の国で起こった出来事のような感じで、別世界に
迷い込んだような、薄気味の悪い錯覚を覚えた。
やはり当事者になるのと、そうでないのとは決定的な違いがある。
そういうふうに回想している筆者自身も、普段万全の備えをして
いるかと言えば、そういうわけでもない。「危機管理」を口にする
のは容易いが、実行するのは至難の業である。
いや、本当のところ「対処などできない」というのが正解かもし
れない。
4.「観測」と「理論」
以下は、まったくニュース価値のない個人の日記である。
7日、日曜日、5時間ほど歩いた(休憩を除く)。
ちょうど正午前に野方を出て、西武池袋線練馬方向に向かい、そ
の後、ほぼ目白通り、関越自動車道に沿って移動した。
別に目的はなかったが、ちょっと「北」のほうに行ってみようと
思ったのである。
練馬区大泉学園を通り過ぎ、気が付いたら埼玉県新座市に入って
いた。
すぐ隣は自衛隊朝霞駐屯地である。実際に目で見るのは初めてで
、異様に広い。さすがにやや疲れたので、川越街道に入ってしばら
くして、マクドナルドで休憩した(2時30分ころから3時15分
ころ)。
この辺は、少し移動しても、新座→朝霞→和光と目まぐるしく地
名が変化する。ずいぶん遠くに来たような感じがする。
その後、同街道沿いに池袋駅まで歩いた(到着は5時30分ころ)。
マクドナルドの近所の青看板に、「池袋まで12km」と出てい
たから、ざっと合計25km程度は歩いたかもしれない。
途中、理化学研究所や
http://www.riken.go.jp/r-world/riken/campus/wako/access.html
練馬駐屯地を通り過ぎた。
地図で見たら当たり前のことなんだが、朝霞駐屯地と練馬駐屯地
は川越街道一本で結ばれていて、意外に近い。
池袋のジュンク堂から筆者宅まで、明治通り→目白通り→新青梅
街道に沿って歩くと、だいたい1時間20分程度の距離である。
普段なら歩いて帰るが、6時に野方のクリーニング店で服を受け
取らなければならなかったから、電車に乗って帰った。
ちなみに、筆者宅から霞が関までは片道約2時間20分程度であ
る。中心に皇居がある関係で、電車や車だと周辺をグルグル回らな
ければならない。
直線で歩くと東京は狭い。
・・・きっと「そんなに暇なのか」と思われていることだろうと
思う。
いやいや「歩く」のはなかなか楽しいことなのだ。地図を持たず
に当てずっぽうに行くのがよろしい。見当を付けて歩いて行くと、
全然違う街角に出たりする。
歩行の休憩中に読書をしても、なぜか非常にクリアに意味が飛び
込んで来るような感じがして新鮮である。
まったくの偶然だが、前号で紹介した串田氏の発表を知る二日前
の土曜日、ちょっと気が向いたので、村上陽一郎の『近代科学を超
えて』(講談社学術文庫)を買い直し、読み進めていた。
コペルニクスやケプラーの科学的発見を検討して、村上は次のよ
うに指摘する。
「われわれ人間の認識は、なんらかの理論的概念枠なしには行わ
れ得ない。そして、そうした基本的な概念枠が共有されている世界
の中で得られる理論とデータの関係が整合的なのである。
認識とは、概念枠を使ってデータを刻みとり選びとることである
。その概念枠内の理論とデータとが整合的に適うのは、いわば当然
である」(53頁)
同趣旨で、フランスの、科学的犯罪捜査法を教える学校が掲げて
いるとかいう、次のようなスローガンも引用されている。
映画『マトリックス』の中で、モーフィアスが口にでもしそうな
“東洋的”な文句なので、こちらのほうが直感的で、分かりやすい
かもしれない。
「眼は、それが探し求めているもの以外は見ることができない。
探し求めているものは、もともと心のなかにあったものでしかない
。」(32頁)
あるいは、ちょうど同じころに発表された、ハイゼンベルク『部
分と全体』(みすず書房)の中にも同じような一節がある(村上の
当該論文の発表は1971年、後者のドイツ語原書の刊行は196
9年)。
「しかし原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてあ
る理論を作ろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際
は正にその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測で
きるかということが決まります。」(104頁)
ハイゼンベルクとの対話の中で、アインシュタインが語ったとさ
れる言葉である(どういうわけか中谷巌が同著の帯を書いていたり
するが、はっきり言ってそこだけ余計)。
筆者は科学者でも思想家でもないので、ここで高邁な認識論を展
開する能力はない。
しかし、以上のとおり、まさに串田氏の「観測事実」にも直接関
わる問題であるだけに、実に刺激的なのだ。
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情報発信者:野田敬生(hironari noda)
《引用者により、以下略》