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(回答先: 森羅万象の響きと循環へ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 8 月 09 日 19:58:02)
* これは私たちが持っている古来からの正月の風習を復活させるものになるかもしれません.
* 多分,クリスマスには(個人の財布の中身の減価を回避するという理由から)盛大なセールが
* 行なわれ,子どもたちには思い思いのプレゼントが(多分サンタクロースから)届くことでしょう.
* 同様にほとんどの企業は大晦日に集中して決済を実行するでしょうし,家庭では一週間分の
* 食料の買いだめが行なわれ,主婦の腕を振るったご馳走が家族や友人・親族との会食のた
* めに準備されることでしょう.名目貨幣額の切り換えが実施される大晦日から元日にかけての
* 聖なる時間は「過ぎ越し」と呼ばれる祝祭に似たものになるはずです.
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/690.html
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◆これは馬場さんが可能性を検討している共同的資本主義についてあっしらさんへ出したレスの結びの部分にある。
生活のコスモロジカルなアートの再創造へ至る想像力として美しいと想う。
数理的にモデルがまとまるかはまだ解らないようだが、このような解法を想起できる人がいること自体を喜びたい。
閉塞してはいない。
先に紹介した“深い泉の国「日本」”の中に、印象深い文があるので紹介しておきたい。著者のトーマス・インモース氏は
在日経験の長いカトリック司祭である。
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…一例をあげると、復活祭の前夜に行われる、洗礼式の祝別式における祈りの詩句です。初期のキリスト教会は、地中海
沿岸地方の人々の習慣や語句をかなりとり入れていますから、その人たちの古い密儀の影響を受けている可能性があるの
です。湯立を見ながら過去の長い廻廊からこだまのように響いてきたのは、その詩句です。
新生の、再生の可能性を水から引き出すにはもう一つのものが必要である。司祭はまず水の中に手を入れて十字を切り、
水を十字架の形に分け、こう祈るのです。
「水に、人を聖とする力を与えるために、世のはじめ、主の霊は水の上をおおい給うた。・・・聖霊が、その神性の妙なる
御力により、人間の再生のためにととのえられたこの水に、繁栄の力を与え給わんことを。そして、この神なる泉が聖とされ、
自らのきよいふところより、新しい人間、天の子孫の生まんことを。肉体として性を、時間として年齢を区別される人々が
すべて、母なる聖寵により、同じ児童にうまれかわらんことを。」
それから、ギリシア語のΨ、“psi”の形を水の上に書き水の上で三度息をしてから、「この水のすべてが再生の力を得んことを」
と祈ります。
…Ψ=Psi=Psyche(魂)という意味で、この文字が使われます。
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◆Ψの意味について興味深い考察、迷想、妄想が行われた事があるが、こんな意味もあるのでお知らせします。