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(回答先: Re:私の感ずること 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 09 日 18:33:21)
それは素晴らしい
身体を通して世界を感受し、神聖な感覚と自然の即物的な感覚を織り合わせて智恵を得てゆく事は、今ではほとんど出来ない
でしょう。舞踏なども子供のときからやっている人は、体が智恵ある楽器のように生成しています。
音楽的感受性とおなじように、環境のなかの場所、透入するような感覚を学ばされたという事はあなたの尊い財産だと想います。
巫女は舞踏と音楽、場所に対する澄んだ感覚そして自分の内奥に対して魂の耳を済ますような知性が必要かと想います。
エクスタシスに入れる資質も必要なのかもしれません。それらが古いもはや役を果たしてしまった型を捨てて、新しい形に
変容し、現されるべき時が来るのかもしれませんね。
古いものを脱ぎ捨てても、生命の智恵の源初の身のようなものは、自在に、求められた新しい形に編成されうるように想います。
このような不思議を、身体からの感覚が鋭かったはずの古代の人は、“さなぎ”の内なるもののように想ったのではないでしょうか。
それを大切にしていただきたいと想います。
ジェーン・グドールさんは全く巫女みたいな存在の相ですよ。内側に巫女の感覚の生きて受け継がれている科学者ですね。
* 縄文−あの股間から子供の顔が出ている土偶。 凄いです。
* 頭から出てくるんです。 本当にね。
* 生命の根源をそのまま形象化した「作品」。
* 厳粛にして荘厳
* 貨幣も本来はそういうものだった、と思いたいのです。
* この貨幣を取り戻すこと。
あなたが仰った事、全然恥ずかしくない。私もそれを求めてきたから。ただし、私はそれが太陽と森羅万象と重なっている。
あらゆる物象が光の微塵に遷移し、連続して循環している相を、貨幣が依代のごとくかすかに響きながら現成させている…
そんな貨幣を新しい時代のシステムで実現したい。その時、昔の物の形である必要は無い。もっと私たちの身体のまわりに、
場所性のようにして成り立っている現象になるのだろう。
いい方にお会いできました。
では…