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(回答先: 「大いなる作業」 投稿者 アルファンド 日時 2003 年 8 月 02 日 04:36:41)
アルファンドさん、「アルケミスト」読まれたとの事、良かった。
そして、すばらしい詩をありがとう。
私の投稿で、どなたか一人でも読んでくれたら嬉しい、と思いつき
書いた。良かった。
「錬金術師」の語を目にしてからの思いつきは、「アルケミスト」
にもあり又、事あるごとに耳にするが、行く道を教えてくれる
サインというものだろうかと思った。
アルファンドさんの、敵をも、闇にいる彼らをも皆、赦して抱きしめ、
愛したい。という所が特に、好きである。
報復は報復を呼び、悪くエスカレ−トする事はあっても解決には
ならない。
まず、それを赦す事から始まり、互いの中にある善の部分で交わる
必要があると思う。
イエス·キリストの、右の頬を打たれたら左の頬も差し出す、
という行為の意も同様で、相手を赦し、愛のある行動へ移る
というものであろう。
なぜ、赦す事ができるのか。それは、彼が愚行を犯す相手を
相手として否定し、受け入れず、相手の真我を見て相手を扱い、
その者自身は、それに気づかず行っているとして、愚行を赦す。
左頬をも差し出す行為は、人は愚を行い失敗してはじめて
自分の過ちに気づく事が(唯一ではないが)一番の近道である事
を心得、頬をさし出す事で諭している、と解釈している。
いつもの事ながら、頭の中では理解しているつもりでも、
日頃、相手を感情にまかせて非難したり、批判したり
した後で、ああ、しまったと、ほとほと後悔する私である。
とりあえず、反省している自分を責めず、気づいただけでも
良しとしようと、まずは、慰めている。