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(回答先: Re: こんなところに飛んでたんですな。しかし、↑なにをいうやら。話もどっかへ飛んでるよ。 投稿者 どぶさらい 日時 2003 年 7 月 20 日 05:17:33)
あのさ。
アルファンドさんは、たとえ、人間ヒロヒトが実は戦犯だったとしても、フリーメーソンであったとしても、売国奴であったとしても、そんなことは拘わりなく、ただ、「天皇」という「存在」に限りない敬意を感じていると言っていると思うわけ。「天皇」が「特定の誰か」にまつわる固有名詞というわけでもないんじゃないかな?
スメラギ、真柱というような、宇宙的霊的脈絡としての「天皇」ね。
ちょっと概念が抽象的、オカルティックで分かりづらいかも知れないけど。
そして、人間ヒロヒトという存在には、単にあらゆる生命存在に等しく感じるような、赦し、愛・・・まあ、哀れみとも違うんだけど、慈しみ、慈悲というんかな、そういう眼差しを向けていると思うんだ。
私も何かとても共感できるんだ。
それって、ヒロヒトに限らず、あらゆる過ちを犯した人間や、犯罪者に対しても、いわゆる立派な人間に対しても、等しく感じられるものだと思う。人殺しや犯罪の大小にもよらず。皇帝ネロであろうが、ヒトラーであろうが、ブッシュだろうがナンだろうが。たとえ、彼が被害者の側に立っていたとしても、彼らから傷を受けたとしても、多分深い悲しみは覚えるだろうけど、彼は赦し、愛せるという自信があるんじゃないかと思う。奇麗事みたいに聞こえるかもしれないけど、違うんだ。
私には分かる。
(当然彼は、ヒロヒトさんにも他のあらゆる人がそうなのと同じように、「彼の真実とその真実に対する責任」はあると考えていると思う。でも、ただそれだけだ。その責任を果たすということは、ただ自分を生きるということだけだ。たいていの人はそれを果たし切れずに死んでいくのだから、ヒロヒトとか他人ばかりを指して云々するのもお門違いかと思うけど。つまり彼になにがしかの責任の所在を認めるということと、彼にどうして欲しいのか、どういう態度を示したらあんたは救われるのか、それがはっきりしないなら、彼を赦せよ、という彼の提案に、私は矛盾を感じない)。
自分の人生をヒロヒトさんの責任意識云々に支配されるより、自分を生きた方がいい。あなたが彼を赦し手放して自分を生きられるようになることができたら、ヒロヒトさんの贖罪も責任も、放っておいても完成するだろう。逆に、あなたが彼に意識を支配され続ければ、彼は永遠に責任を果たすこともあがなうこともできないだろう(彼に限らず、本当は誰もあなたを支配することはできないのだけれど)。
だって既に死んじゃってるんだから。
(ま、感情的になかなか納得できない、というのも一般的な人間の心の凍結状況からすれば分かるんだけどね)。
アルファンドさんはね、多分、何がおこったとしても、彼らから何をもたらされたとしても、裏切られたとしても、憎しみや怒りや、プライドに固まってしまうのではなく、ただ静かに受容し、憎しみを溶解し、怒りを情熱や意思に変換し、どこまでも生命を謳歌できる人だと思うよ。
それじゃまるで仏様観音様みたいだって?そうかも知れないね・・・。
(買いかぶりすぎかな?どうよ、アルファンドさん・・・)
でも、私は彼は自分と人を愛することも、癒すこともできる、稀有で瑞々しいスピリットを持った人なんだろうと自信を持って言える。
文章の切り口に引っ掛かれば、誤解されやすいところのある人かも知れないけれど。
彼は左翼でも右翼でもない、そういうカテゴリーでは括れないような人間だ。ある意味では、究極の右翼、と言えるかもしれないし、別の目でみれば、本来の意味での左翼だ。偏らないで見た方が気持ちいいよ。
これって戦争責任云々を問題にすることが多い左翼の人も好きな人の多い、「愛と平和、Love & Peace」という言葉の偽りなき原点だよね?
左翼の人はさ、もっとこう、固まらないで、流れるってのはどうかしらん。そしたら、もっと素敵なんじゃないの?
ここのサイトでは、実は一般的には左翼的傾向が強いと思われるような女性にこそ、アルファンド氏のファンや支持者が多いのでは、と感じている。理性とか、固まった思考とかを超えた「直観」が強いからかも知れない。実はアルファンドさんは男っぽく書いているけど、女性かもしれないし、私も女として書いてるけど、実は男かも知れない。
だけど、右翼左翼と同じく、形とか立場とかそんなことはどうでもいい。
要は文章からほとばしる「エッセンス」みたいなものを感じるということだと思う。
それが「阿修羅」の醍醐味じゃないのかな?
(ちなみに、「阿修羅」というのも実にオカルティックで宗教的、形而上的な概念だよね)。