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(回答先: Re: 「あきらめない」という「意識」 投稿者 HAARP 日時 2003 年 7 月 22 日 04:29:25)
よおハーちゃん、こんちは。
俺もあんたと話すのは面白い。
「ラブ・バイト」の件は読ませてもらった。
俺の印象では「感情エネルギー」を“喰う”ヤツらは狭義の『奴ら』とは違う気もするが、どうも良く分からないな。
何にしても、それはまたスゴイ体験だ。
もしよければ、いずれ聞かせてもらいたいね。
まだ「毒物」でいたいってのはまったくかまわないよ。
タンジュンに「うん。赦す。」じゃ面白くねえし、「力」にならない。
「怨念」感じてるぐらいが丁度いいのさ。
それにしても、やっぱりあんたは十分に理解してたようだな。
俺も「空虚」だとか言ってちゃんと説明しきって無かったし。
まあ、それはまたいずれでいいが。
>そして、現在もそうではあるものの私は現在の軸は確定したいと思いますよ。
>「確実な今」を確定しないと私は世界が理解できないわけです。
ああ、そうだ。
「確実な今」が“無い”とした上で、それでも「今」を“確定させる”。
そうやって“背負って”いくことで、人は「力」をつけていくんだ。
「未来」も同じ。
“決まってない”からこそ、「自分」で“決める”。
そのためには、いつまでも「曖昧」にしとくわけにはいかない。
より具体的にハッキリと、「あるべき姿」を描き出す。
そうすれば、自然と「それ」を“択び取っていく”。
(悲観論者が「不運」を呼び込むのは、これの逆向きなやり方だからだ。)
>「あきらめる」かどうかが自由意志にかかっています。ただ、私は(も)諦めないほうを選択するだけです。この観点からは、「奴ら」が”救ってほしい”と言い出すまでは手を出すことはできない。そうでない場合は「自由意志の侵害」もしくは「余計なおせっかい」になるでしょう。
なるほど、ここがあんたを“抑えてる”ポイントか。
「自由意志の侵害」。
「余計なおせっかい」。
ああ、分かってる。
俺も誰かに「迷惑」をかけるのが嫌いだし、かけられるのも好きじゃねえ。
だが俺はどうしてもしたい、と思ったときは遠慮しないぜ。
たとえそれが「悪」だったとしても、かまわない。
俺はその「罪」を“背負う”さ。
「身勝手」。「わがまま」。「自己中心的」。
それらの非難・罵倒・嘲笑に、甘んじてこの身を晒そう。
それでも俺は「真実」を目指す。
うすらぼけた「光」なら、欲しかねえ。
俺が求めるのは本当の「輝き」だ。
俺を“彼岸”に駆り立てる「美しさ」だ。
俺には『奴ら』の、「救ってくれ!」と叫んでる声が聞こえる。
たとえそれが空耳・幻聴であったとしても、俺は行く。
『奴ら』は、“俺たち自身”だ。
その後何が始まろうが、知ったこっちゃねえ。
俺は“終わらせる”。
この「物語」を“終わらせる”。
これが広い宇宙の、ほんの「挿話」に過ぎなくても。
今は、“終わらせる”。
そして「物語の結末」は。
いつだって、「めでたしめでたし」以外、ありえない。