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(回答先: 「近代」とは何ものなのでしょうか 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 9 月 11 日 22:55:31)
マルハナバチさん、こんばんわ。
私が「近代」という言葉を使うとき、古代・中世に続くものといった歴史的区分性は希薄です。
自分自身が投げ入れられている現実世界のことを総括的に「近代」という言葉で表現しています。
そしてそれがどのようなものであると考えているかを、経済システム・政治制度・価値観といった切り口で不十分ながらあれこれ説明してきました。
他の用語でこの世界の特質を表現してもいいのですが、あまりエグイ用語を使うとその言葉だけが跳ね回ることになってしまうということから無機的なものにし、論理を受け止めてその理非や好悪を判断してもらう環境を整えているつもりです(笑)
世界観としての合理主義と進歩史観、政治思想としての自由主義と平等主義、経済価値観としての自由主義と個人主義といったイデオロギーで覆い隠されながら進む“寄生者の全世界宿主化過程”を「近代」としてイメージし、それを支える制度的総体を「近代システム」と考えています。
(この意味では古代より「近代」は存在し、歴史的近代において私をも巻き込むことになったと言えます)
マルハナバチさん:「しかし、私にとって「近代」という言葉が意味する事は、深い問題が蔵されてながら漠然としており、「近代」と指差した瞬間に、こちら側には排除された私自身の個体性の強い生体性、身体性や、個体の歴史性、理性の枠組みには乗せきれない思考などが残置され、時には抹殺される奇妙な見えないシステムとして感得されてきた程度なのです。そして、その限りでは切実な現実性を伴いながら、相変わらず不明確な言葉なのです。」
マルハナバチさんが持たれている世界意識が生じる根源がいかなるものであるかを対象的に捉え直すことが「近代」の意味であり「近代」をイメージすることだと思います。
違和感を抱いたりよそよそしいものと感じてしまうわけを探り、ひょっとしたら、それを払拭できる術があるのではないかと思うことで雑談も進んでいくでしょう。
(「近代」を終わらせても別種の違和やよそよそしさを感じることになるのでしょうが、それは人と世界の関係性が生み出す宿命だと思っています。マルクス主義のような楽観主義には違和感を持ちます)
「近代」は我々自身が能動的にも受動的にも関わる現実世界だと了解し、その意味は、各自が感応し思考しあれこれ言い合えばいいのではないでしょうか。
今を生きている人が感じ考えることが「近代」だと思っています。