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(回答先: 「政教分離」の意味 − 人類は進歩も退化もせず変化するのみ − 投稿者 あっしら 日時 2003 年 9 月 11 日 21:00:54)
あっしらさんとすみちゃんへ、途中から問いを出す事を許してください。
今、問わないとおそらく問いきれないままにずるずる機を失ってしまいそうな気がしてなりません。それで書き込みました。
よろしくお願いいたします。
私はこの板におずおずと書き込みを始め、少しずつ書く量を増やしてきましたが、実はあまり使っていないはずの言葉があります。
「近代」です。
今まで同時代的に共有性が高い問題のあるスレッドの中には、ほとんど「近代」という名称がどこからか挿入されており、これは
実のところ、私にとって問題の根源を共有的に指呼する便利な名詞でした。
しかし、私にとって「近代」という言葉が意味する事は、深い問題が蔵されてながら漠然としており、「近代」と指差した瞬間に、
こちら側には排除された私自身の個体性の強い生体性、身体性や、個体の歴史性、理性の枠組みには乗せきれない思考などが
残置され、時には抹殺される奇妙な見えないシステムとして感得されてきた程度なのです。そして、その限りでは切実な現実性を伴いながら、相変わらず不明確な言葉なのです。
計量化できる枠組みに乗り、そのゆえに共有に認識でき、そのために誤りが起きないコミュニケーションシステムとして信仰され、
むしろ、古来の宗教における信仰の位置を簒奪する契機にもなった人間の活動システムであると漠然とながら想われました。
そこからは共同体あるいは協働体としての活動にとって必須の心情、倫理的徳目と想われる「愛」とか「慈悲」といったあり方は
生まれて来ない。どうも奇妙な原理だ…。
(ちなみに共同体はcom・unityの訳語と想いますが「体」という言葉が使われており、かって護持されるべき対象の意味として使
われた「国体」にも「体」という言葉が使われている事には注目すべきかと想います…脱線です)
「近代」とは何かということをはっきりと対象化して認識し、それを、かなう事ならばこの板の皆さんの中でも共有してゆく事は、これからの論考にもとても重要な事ではないかと想うのです。よろしければ「近代」とは何か、あるいは「近代」という言葉を使うとき何を
イメージし、あるいはどのような定義、意味の広がりで使っておられるのか、教えて頂けませんか。
もし、すでに板のどこかにそれを示すスレッドがあるようでしたらご紹介頂けませんか。
〉私にできることは、9・11の構図を再度検証し「反テロの戦い」を見直すよう呼びかけたり、成功した近代国家における「近代」の
〉行き詰まりが不可避であることを「近代」が内在する価値観や論理から説明することくらいですが...
このように書かれたあっしらさん、「強欲」というキーワードをつかって近代のひとつの属性を捉えられたようなすみちゃん、そして
この板で「近代」を問題とされる投稿者の皆さん…ご教示いただけないでしょうか。
何ものか遮るものを越え、共有の問題を結像させてゆく知の光学系として、ぜひ教えてくださるようお願いいたします。