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(回答先: はじめまして 投稿者 あるば 日時 2003 年 8 月 21 日 17:03:55)
あるばさん、皆さん、こんにちは(本来はあるばさんのRe: 西欧型資本主義は癒されるべき病として…の下にレスをつけるべきなのですが...ここへのレスお許し下さい。)
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/1098.html
私も、イエス・キリストの行為の中で、このユダヤ神殿で怒りを露にした箇所は非常に印象に残っており、常に気にかかっていたところでした。
キリスト教が始まる以前に一部の者だけが得をするシステム(自分だけが良ければいいシステム)が
存在しており、それは究極多くの者の苦につながるから、イエスは「そのことに気付きなさいよ」と
説いた人でもあると思います。
ただ、それこそ2000年もの間、そのシステムが廃れなかった事実もあるわけで、その要因としては、
ほとんどの人間が「下を向き、自分の周りの草しか食まなかった羊たち」であったことも
上げられるでしょう。
ですから、ここ阿修羅版で見られるような(いろいろな情報を出し合いながら、自分で食む草を選択する)羊→強いては、そこから賢い羊飼いが生まれてくること、は、一つの打開策だと信じています。
そして、2000年(もしくはもっと長く)続いてきたもう一つの要因があるように思えるのです。
人間には「楽になりたい」と思う本能のようなものがあり、それを強く求めるがゆえに、「苦」をいけないもの、存在してはいけないものと、必要以上に認識してしまう傾向があるのではないでしょうか?
先にあげたようなシステムの、時代に則した発案者は常に存在すると思いますが、そのシステムを動かしてきたのは、また私たちであったからこそ、2000年も続いてきたのでしょう。
「苦」は自分の中で抑えるだけのものではないし、かと言ってすぐに亡くそうとする類いのものではないと思います。「苦」は「楽」に向かう原動力にもなりうる側面を持っているからこそ、「苦」を知り、そこに人の知恵が働くのでしょう。「苦」と思える事柄の深さが深ければ深いほど、安易に「楽」を求めて
解決されるわけではないし、そういった思想に凝り固まった人たちのしてきたことが、今、私たちの多くが矛盾と感じられることとなって現われてきているのではないでしょうか。
そして、人には、人智を超えてどうしてもできないこと、受け入れるしかないことがあるのだと気付く
(忘れないこと)がとても大切なように思えるのです。