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(回答先: Re: 2001年問題観察者さんの消息 投稿者 リンクフリー 日時 2003 年 8 月 25 日 22:17:24)
リンクフリーさん はじめまして
2001年問題観察者さんをご紹介いただいたこと、http://www.mumyouan.com/k/takenoma.html?
の掲示板を教えていただいたことを感謝いたしたく。。。ほんとです
氏の投稿にでてくる良い子の皆さんというとき、
それは青少年ではなく、社会的常識にとらわれたわれわれ大人のみなさんを
さしていて、これをパロってることがとてもナイスでした。
この世の中にこんなに性格の悪い人がいるということが驚きでした(笑)
とっても印象に残った氏の投稿を下記に引用します。
良い子の皆さんの一人としておもしろく感じました。
このBV氏というのは一体どんなかたなのでしょう
礼節、プロトコルの権化、孔子が老子をたずねたあと
弟子たちのところに戻ってきていったことは
あれ(老子)は竜だ。おーこわということだったらしい
なぜか思い出してしまいました。
リンクフリーさんありがとうございました
乗り物(Vehicle)を操縦する際のコツ by:bv 2003/05/14(Wed)04:12:05
乗り物とここで言うのは、自転車や自動車、船や飛行機だけでなく、
馬やロバ、介在者や媒体、そして、「自分という人間動物」などを含みます。
私の限られた個人的な経験から言うことなので、
「その程度」の重みでもって読んで貰えれば良いでしょう。
でも、上の例に挙げた乗り物は、全て乗った事があり、
自動車など幾つかの乗り物は、日本や外国に於いても
仕事として運転したり、操縦の仕方を教えたりもしてたので、
素人が想像で言ってるのではありません。
前置きの能書きはさておき、本題に入ると、
これらの乗り物を「乗りこなす」のには、
「Authority(オーソリティー)」という言葉がぴったり来るような、
そういう「姿勢(心理的な態度 Attitude)」が非常に重要です。
本当に大事です。
と言うか、それ無しでは、危険だったり、免許が取れなかったり、
学習効果が酷く低かったりするので、
「教える立場」になってしまった場合は、訓練過程の初期、と言うか
最初の実技講習で、このコツを植え付けてしまうと後が楽です。
逆に言うと、そうしないと、後が大変。
日本語で言うなら、この場合の「オーソリティー」とは、
「意志」のようなもので、
手綱を掴んだ腕や、ハンドルや操縦桿を「押さえる」手腕、
優先順位に従って適度に分配された視線や聴覚や他の感覚、
感情の鞍にどっかりと腰を降ろした意識、
必要な時に最小限の検討をする思考、
そういったところに現れるような、
柔軟なんだけどもビクともしないような、
一種の「押し」の強さ、といった感じのものです。
で、これが欠けていると、「翻弄」されます。
「乗りこなす」のでなくて、「弄ばれる」事になります。
「操縦する人」ではなくて、「お客さん」になってしまいます。
「操縦席」にいるのではなくて、「遙か後ろ」を追いかけることになります。
先手先手ではなくて、後手後手になります。
馬などの動物に乗る場合だと、その馬の人格、と言うか性格にもよりますが、
馬鹿にされて、あまり言うことを聞かなくなったり、
わざと「乗り手が怖がること」をされたりする事もあります。
ほとんどの人が乗ったことがある自転車を例にするなら、
ハンドルを持つ際、必要以上に硬く手を握りしめるのも多くの弊害がありますが、
あんまりにも軽く握っていると、石や段差などで前輪が揺れて、
ハンドルを取られ、バランスを崩す場合があるのは
大抵の人が経験的に知っている事でしょう。
で、端的にいうと、ハンドルや操縦桿などを持つ手は、
必要最小限の力で握っているのが、色々な意味で好ましいのですが、
しかし、同時に、必要とあれば、「何がどうなっても」微動だにしない程、
その「動き」を「規定する」事が出来ないと事故になることがあったり、
「正確に」「思った通りに」乗りこなすことができません。
そして、これは、スポーツや他の事においても同じでしょうし、
「自分の思考の流れ」や、自分が取り仕切っている「掲示板の状況」など
おおよそ人間などが自分でやることなすこと一般ついて
当てはまることだと思います。
つまり、何をやるにせよ、自分が何か「やる」場合には、
必要とあれば、「鉄の意志」のような、
そういう要素を発揮すると、上手くいく。
ただし、これが本当に重要になったり、あるいは、
この種の「意志」の重要性が身に浸みて感じられるのは、
「精度の高い技術やコントロール」が必要とされたり、
自分でそういう領域のことを好んで行う場合です。
逆に言うと、のんべんたらりんと、精度の低い作業をやってると、
このような事の重要性には気が付かないし、
それを身につける事もないので、
いつまでもフラフラとすることになる。
違う言い方で言うと、
ここでの「意志」とは、
いつもガチガチに硬くなっていることではなくて、
自分が目的とすることについて「必要」な時などに、
これだけは「どうしても絶対に譲らない」という
「強固な基準点」が明確になっていて、
それについては、誰が何を言おうが、どうなろうが
とにかく全く動じないし、びた一文譲らない
というようなことです。
これがはっきりしていると、乗り物の操縦であれ、
踊りやスポーツであれ、「動きの線」が綺麗になりますし、
動きの精度が「飛躍的」に向上します。
そして、それが進むと、
自分の好みや趣味がはっきりすることと「同義」になるので、
見る人が見れば、「あ、誰々さんの動きだな」と、わかるような、
様式美や特徴を醸し出しますし、
また、静かな雰囲気の芸風であっても
何かしら「強烈なもの」「強固なもの」を感じさせることにもなります。
そして、当然ながら、この様な「意志」を持つ者は、
何らかの点に関しては、決して「お人好し」には、なりません。
それどころか、子供の頃から、こういった「意志」の素質を持っていると、
「生意気」「傲慢」「協調性がない」という様なレッテルを貼られることも、
日本の様な「なあなあ社会」ではしばしばでしょう。
ただし、釘を刺しておきますが、「生意気なガキ」がみんな
この様な「意志」を備えているのでは、ありません。
もちろん、「素質」としては、誰にでもある程度備わっているのですが、
「嗜好」や「指向性」がハッキリしていて、何かを黙々とやるような、
そういう場合とかだけです。
(アホな子持ちのおばさんなどは、あらゆる意味で育ちの悪い
鈍くて生意気なだけの自分のガキを過大評価しがちですが、
そういう子供の事ではありません。)
話を元に戻すと、願望実現に興味を持ってしまうような、
「自分のやりたいこと」が現実化しない人達の多くは、
ここで言うような「意志」に欠けていたり、
同時に、各種の「恐怖や脅え」から、
「肩に力が入りすぎて、ガチガチになってる」からかもしれまん。
つまり、自分の恐怖や不安や苦しみや不満をきちんと感じ取って、
明確化したり消化してしまって、無駄な「力を抜く」のも
とても重要な場合が多いのですが、
やたらをいつでも力を抜いていればよい、というものではないのです。
子供に接する時も同じ事が言えるのですが、
やたらとあれこれ「小言を言う」「押さえつける」のも駄目ですが、
時には、全く譲らない一線がある、というのをはっきりと示すと
要らぬ誤解が減るものです。
ただし、その「譲らない一線」とは、
「自分自身の個人的な信条や好み」であって、
アホらしい古代文書の決まりとかでは効きません。
何故なら、子供であれ動物であれ、
妄想と「個人の経験的真実」の違いは
敏感に感じ取ったりするからです。
ま、もちろん、個人の経験だって、妄想の一種ですが、
通常人間が現実だということにしている「物理的世界」のレベルにおいては、
古文書などは遙かに妄想度、仮想性が高く、
個人の経験は、「物理的世界」と合致するような
この世において「現実的」な妄想レベルなのです。
ここで、「切り分ける」、「切り捨てる」というのを蒸し返すと、
みんな妄想なのだ
とか言って、わかったつもりになって妄想を続けるのではなく、
異なる事象や言説の「妄想度、仮想性」の違いをきちんと見極め、
そして、自分にとっては好みでない、つまり望ましくないものは
さっさと切り捨てる
というのに慣れると良いのでしょう。
あるいは、自分の好みでないもの、望まないものが近寄って来たら、
確固たる姿勢で断固として拒絶する。
という、
【明確な意志】
を持つことです。
これがないと、自分の思考でも、自分が管理してる掲示板でも、
乗り物でも、何であれ、
「要らないもの」「欲しくないもの」が寄ってきては、
エネルギーや時間やチャンスや運勢を【漏費】する。
ま、こういう「意志」に慣れてない人は、最初は「負けてばかり」ですが、
なんでも「失敗しながら」学ぶ面もあったりするので、
バランスを失いながら、バランスを学べばよいのでしょう。
もちろん、本当は自分の内奥の好みで言うと望んでいないものに取り囲まれ、
取り込まれて、「楽しい」かのような妄想の世界に留まりたい人は、
それを妨げる決まりも、仕組みも、この世にはないのだから
嫌になるまでそうしていれば良いし、それ以外に選択枝はないのでしょう。
逆に言うと、自分の不満や苦しみから目を背けず、
そして自分の趣味嗜好が明確であるなら、
願望実現などに興味を持つ必要性がなくなる。
なぜなら、それがどのような結果になるか?に関わらず、
やることなすこと、自分のやりたいこと、選んだことをやっているわけだし、
どんな結果になっても、それは自業自得が自明なので
被害者意識を持って狂信化する暇もないし、
学習効率が向上して希望通りの結果を得る確立も高まり、
その過程で、実は、元々、全ての願望は実現しているのだ、
という「側面」などを実感したりするからです。
「平和ぼけ」も、「お人好し」も、大いに結構なんですが、
自分の趣味嗜好については、誰がなんと言おうと
絶対に梃子でも動かない、というそういう「偏屈さ」は
携えておくと良いでしょうし、
揉み手を擦って近寄ってくる「要らないもの」は、
蹴りを入れて放り出すのが肝心。
もちろん、「確固とした意志」というのは、
粗暴にするとか暴力を振るうということではありませんが、
その時相手にしている事象や物事に見合った方法や力を
「全くためらいなく使用する」ということです。
で、「要らないもの」の特徴として、「甘ったるい」「寂しげ」
「優しげ」「亡霊的」「べとつく感じ」「もたれかかるような感じ」
などが挙げられます。
行きたくない飲み会を断ったり、欲しくない物のセールスを断るのと
同じ様な事だと言えばわかりやすいでしょうか。
その結果、あいつは付き合いが悪い、変わり者だ、誘わない方がよい、
などと思われたり、そういう評判が自分が好きでない人達の間で定着するなら、
「自分の時間」をもっと有効に持てるようになるでしょう。
そして、「自分」や「この世」などの乗り物を
もっと上手に乗りこなすことにも繋がるかもしれません。
お人好しで、要らないものに取り憑かれている自覚が少しでもある人は、
ちょっと、と言うか、かなり注意してみるとよいでしょう。
何故なら、要らないものを抱え込んでない人間など居ないと言って良いし、
無自覚な人間は好きでやってるのだからどうにもならんけど、
自覚が少しあるとするなら、実際には心の奥では
既に「ぜぇーぜぇー」喘いで苦しんでいる可能性が高いからです。
追加:
正確に乗り物を操縦しようとする際には、
もう一つ、当たり前ながら、なかなか難しい「コツ」があります。
それは、現状を静かに観察し、修正作業が必要な状況の変化を
早めに、修正が少なくて済むような時点でキャッチして、
そして、少な目の修正を加えてその「効果」を確認し、
必要に応じて修正の「さじ加減」を変える、というものです。
初心者が乗り物の操縦を覚える際に、ほとんど必ずやる間違いが、
上記の「コツ」の全く逆に、修正が必要な状況を見逃し、
慌てて大きすぎる修正(オーバーコントロール)を加え、
その効果が大きすぎるのについても発見が遅れ、
慌てて大きすぎる修正をする、という悪循環の連続です。
こうなると、移動の軌跡は「ぐちゃぐちゃ」「ぐねぐね」になりますし、
常に「後手後手」に回っているので、修正に追われて
他の事に気を配る余裕もないし、
「大きすぎる修正」を繰り返すので、手や足なども疲れたり、
おおよそ良いことがありません。
ですから、
【早めに、必要最小限の修正を加え、その効果を確認する】
という点を「最初から」気を付けると、操縦の基本となる
「安定した基本走行」を早くマスターし、
その上に、他の色々な技術や、補助操作を構築することが
出来るようになるのです。
そして、この「コツ」をマスターするのに重要なのが、
「力を入れすぎない」という点です。
なぜなら、力が入りすぎていると、微妙な修正をするのが難しくなり、
オーバーコントロールになりやすいし、
肉体が緊張しすぎていると観察力も鈍って、
修正が必要な状況を発見するのも遅れがちになりやすいからです。
ただし、飛行機や車とかでは、機種、車種によっては
ハンドルや操縦桿の操作が「重く」、かなりの力を入れないと、
正確な動きをさせたり、正確な位置を保つのが困難な場合があります。
この様な種類の乗り物は、「力」を入れつつ、且つ、「微妙な調整」を
しないとならないので、そうでないものよりも一層の練習が必要だったりします。
逆に、小型のヘリコプターなどでは、操縦桿が軽すぎて、
膝に手を乗せた状態、肘をアームレストや脇腹にあてがった状態にして、
意図しない揺れや動きをシャットアウトしないと、
最初のうちは、機体を安定させられないような場合もあります。
このような「コツ」は、なんであれ、精密に何かを制御したい場合には、
共通に使える原理ですので、覚えておくと損はしないでしょう。
ま、覚えておくだけでなく、実際に現場でそれを実行しないことには
意味がありませんが。