現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用2 > 1040.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: パレスティーナ他について、みなさまへ 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 8 月 22 日 18:30:06)
ぷち熟女さん、こんにちわ。
お久しぶりです。
実は、日米英の合作と共に、パレスティーナの方も重点的に拝見しておりました。
この二つのツリーは、以前議論板でエンセンさんに対して返したレス(「良き事のために」)に通じるものがあり、ずっと引っかかっています。
原理主義という言葉がとても気になってそわそわしているのですが、定義できず、
なぜ気になるのかを言い表す事ができず、書きこみを躊躇しております。
さて、キリスト教原理主義 をネットで検索したところ
イスラムに関するページで下記のような記述を見つけました。
参考までに。
イスラムについて
http://www1.ttcn.ne.jp/~trade-food.cars/islam.htmより
以下転載
イスラムとは
『イスラーム』という言葉は、アラビア語の『平和、従順、服従』を意味する 『サラーム』から派生しています。『神に帰依する』ということです。
イスラム教徒は約12億人と推定され、世界の人口の約20%、 5人に1人がムスリム(イスラム教徒)といわれています。 世界で一番イスラム教徒の多い国はインドネシアで、 1億9千万人以上の信者がいます。これは、アラブ諸国の全人口に匹敵します。 中国にも約1億4千万人、インドにも約1億人のイスラム教徒がいます。 イスラム教徒がアラブ諸国の人々とは限らないのです。
キリスト教世界とイスラム教世界は、長年、対立、抗争、確執を続けてきました。 19世紀以降近年まで、多くのイスラム諸国は、 ヨーロッパ列強の植民地、保護国になっていました。 日本にとって、イスラム世界は遠い存在だったため、 日本人のイスラム観は、欧米の偏見によるところが大きいようです。
イスラムでは、次のように考えます。
ひとりひとりの人間には天使が二人ずつついていて、 常に行いを監視し記録しています。
人間は皆死にますが、 やがて「復活の日(最後の審判の日)」が訪れます。 このとき、すべての人間が復活し、神の審判を受けなければなりません。
ひとりひとりの人間の生前の行いは天使が記録していましたから、 行動の善と悪を秤にかけ、少しでも善が重ければ天国へ行けます。 悪が重ければ地獄におちることになります。
最後の審判の日にすべての人間は復活します。 そのため、イスラム教では死んだ人を火葬にせず、必ず土葬にします。
イスラム教では、信者が直接神と向き合いますから、 キリスト教の神父や牧師のような、神と人間を仲介する役割は不要です。 「イスラム法学者(ウラマー)」と呼ばれる人は、いろいろな解釈ができる 『コーラン』や『ハディーズ(ムハンマドの生前の発言や行動を記録したもの)』 などについての見解を示し、法を決める専門家です。
本来、イスラムは異なる宗教、文化を尊重する宗教です。 イスラム教徒の支配地域で、異教徒に改宗を強制することはなかった といわれています。伝道師、宣教師などの改宗を説く専門家もいません。
「右手にコーラン、左手に剣」という言葉は、 イスラム教が急速に広まったのを見たキリスト教徒が、 強制的に改宗させたに違いないと考え作り出したといわれています。
インドは1206年から1857年までイスラム政権の支配下に置かれました。 しかしヒンドゥー教徒は、他の地域では見られないほど宗教的にも社会的にも 自由であったといわれています。 事実、現在のインドでは、 ヒンドゥー教徒が約83% を占めています。 中東諸国にも多くのユダヤ教徒やキリスト教徒が住んでいます。
1492年にスペイン王国が 成立する以前、スペインを支配していたイスラム王朝は異教徒に寛大でした。 スペイン王国成立後、カトリックが国教となり、異教徒追放や宗教裁判による苛酷な 異端取り締まりが行われました。
エルサレムでもかつては、イスラム教徒とユダヤ教徒は共存していました。 ユダヤ人は、十字軍のキリスト教徒支配の時代よりもはるかに多くの宗教上の自由を ムスリム支配の下で享受していました。
エルサレムは、638年に第二代カリフのウマルにより征服されましたが、 ウマルは教会などの建物を壊さなかったといわれています。 その後もエルサレムはイスラム王朝に支配されましたが、キリスト教徒やユダヤ教徒の 巡礼者にも寛大だったため、世界各地から多くの巡礼者が集まるようになりました。
しかし、1099年にエルサレムは十字軍によって占領され、エルサレム王国が 建設されました。 これは、イスラム教徒やユダヤ教徒に対する大規模な殺戮を伴うものでした。 そしてイスラムの聖地である(ムハンマドが昇天したとされる) 岩のドームはキリスト教会に改修され、 アル・アクサー・モスクは十字軍の騎士団の宿泊施設となってしまいました。 このように、キリスト教徒によるエルサレム支配は異教徒の宗教活動を 認めるものではありませんでした。
エルサレム王国は、1187年にムスリムのサラディンによって占領され、崩壊しました。 サラディンはエルサレム入城に際し、十字軍とは違い虐殺や破壊などの蛮行は 行いませんでした。サラディンの支配の下、エルサレムでは各宗教の 共存のシステムができあがっていきました。
1917年にオスマン帝国軍がイギリス軍に破られるまで、エルサレムはイスラム王朝の 支配下にありました。 各宗教の共存システムが崩れたのは、オスマン帝国の衰退と、 ヨーロッパでのナショナリズム台頭が契機となりました。
イスラエル建国後ナショナリズムの概念が導入され、イスラエルはユダヤ人国家となり、 パレスチナ人のイスラエル国内への帰還を認めることはありませんでした。 一方、パレスチナ人の間ではイスラエルとの共存を認めないイスラム勢力が 台頭しました。
イスラム原理主義
「イスラム原理主義」とは、イスラムが成立した当初の 正義と平等の精神に立ち戻ろうという考えのことです。 政治の腐敗や貧富の格差など、現代社会の問題を 民主的かつ穏健な方法で解決し、 理想のイスラム社会を建設しようという運動です。 平和的な運動がほとんどです。貧しい人のために、 低額や無料で病気の治療をしたり、学校を建てたりしています。
「イスラム過激派」も、理想のイスラム社会建設を目指していますが、 目的のためには手段を選ばない人々です。
イスラム教徒の中には、「イスラム原理主義」の考えを持つ人がいて、 その中のごく一部がテロなどの暴力行為もいとわない過激派だということです。 「イスラム原理主義」と「イスラム過激派」の方法や手段はまったく異なります。
「原理主義」は、もともと進化論や聖書の批判的解釈学に対抗し、 二十世紀初めに米国で生まれた、キリスト教プロテスタントの 改革運動を指す言葉でした。 『聖書』の記述はすべて真実と考え、 『聖書』に忠実に生活しようという運動です。 欧米のキリスト教徒たちは、『聖書』とは異なる科学的成果を認め 受け入れてきました。「キリスト教原理主義」の人々にとって、 このような生き方は容認しがたいものです。
現代のイスラム社会を批判し、 イスラム成立当初の理想に戻ろう、という運動をみた欧米のキリスト教徒たちが、 キリスト教の原理主義と同じような考え方だとして、 「イスラム原理主義」と名づけました。
転載終わり
というわけで、英米寄りマスコミ報道で「イスラム過激派」と「イスラム原理主義」の同一視が私達にもかなり浸透している感じですね。
イスラム過激派より私の目に付くのは、イスラム側から見たキリスト教の蛮行です。何百年単位なのだと思うと、これはちょっと…。
ぷち熟女さん wrote
民族のアイデンティティー、魂、情緒、プライド、共同体意識、しきたり、
それらの、当の民族が最もノーブルなものと自負する部分に訴える最高度の『心理操作』、
それこそをあたくしは疑っているわけです。
「人道主義」という言葉自体疑っているものとしては、プライドに訴える『心理操作』は、同じ文化基盤を持つ共同体にとっての「善」をなすことに疑いを持たせない、マインドコントロールじゃないの、と思えて仕方ないですが。