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(回答先: ベアリング家・ギネス家・エリザベス女王 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 19 日 16:30:45)
ジェイ・グルードがニューヨーク市の悪徳判事を利用してエリー鉄道の関連会社を乗っ取った時、それに対抗する判事と聡明な弁護士たちを引き連れて、巧妙にグルードに罠をかけてゆき、その鉄道会社の副社長に就任して暴力団一味を追い出した男がいた。
その人物こそ、まだ32歳という若き日のJ・P・モルガンであった。ロンドンで金融王ネイサン・ロスチャイルドがこの世を去った1836年7月28日からわずか9ヶ月足らずあとの37年4月17日、その生まれ変わりである金融王が誕生していたのだ。
鉄道と言えば話は古く聞こえるが、当時の鉄道は、鉄路に名を借りた金融資本であった。
1925年になって、モルガン商会が支配した主要な15鉄道の資産は、合計85億ドルに達し、1998年時価で7310億ドル(88兆円)にもなるのだから、今日のヘッジファンドでさえ足元にもおよばない。しかもモルガン商会にとっての鉄道資産は、シンジケート組織系統の頂点に立つ「持ち株会社」の部分だけであった。
ひとつの鉄道会社の傘下に、それぞれ数十の産業会社がタコの足のようにひしめいて、アメリカ国内の発行株のうち47パーセントが鉄道会社に所有され、総計1000社を超える企業がモルガン商会に支配されていたのである。したがって実質的なモルガン商会の資産総額は、数々の歴史家が計算しようと試みたが、誰にも不明であった。
一体その天文学的な資産は、今日、どこに生き続けているのか。
不思議なことに、1913年に死去したJ・P・モルガンの遺産は驚くほど少なかったと、すべての書物に記されている。美術品のコレクションが1億ドル、不動産が7000万ドル、そのほか現金や信託基金などの遺産が〆めて3000万ドル程度しかなかったという。98年時価で5兆円ぐらいだから、支配していた資産が数十億ドル(120兆円)と言われた金融王モルガンにして、投機屋ジェイ・グルード並みというのは妙である。
遺産が少ないのは当然で、この遺産の計算には、莫大な価値を持っていた有価証券が、ほとんど数えられていない。それにもうひとつ、J・P・モルガンが資産を国外に隠すことができる国際金融業者だったというトンネルが忘れられている。この事情を知るには、大西洋を股にかけたモルガン商会の成り立ちから見てゆかねばならない。
死の商人デュポン、鉄道王ヴァンダービルト、鉄道王ハリマン、鉄鋼王カーネギー、石油王ロックフェラー、穀物王カーギル、タバコ王デューク、鉱山王グッゲンハイム、石油王メロン、自動車王フォードたちは、たとえあくどいトラストを形成したとはいっても、いずれも大衆を相手に商品を売る産業家であった。銀行家のメロンでさえ、石油を掘り当てなければ大財閥にはなり得なかった。産業があって資産が生まれ、その資産(金)をもとにシティーとウォール街が繁栄した。これは現在も同じである。
しかしベアリングとロスチャイルドとJ・P・モルガンは、本質的に違っていた。本業が国際金融にあって、現代アメリカと同様、政府が乱発した巨額の債券を全世界に販売しながら、国家的な事業の鉄道建設や軍需産業を動かしたのである。
南北戦争がはじまる前に数百万ドルの大資産家だったジョセフ・モルガンの遺産は息子のジュニアス・モルガンに継承され、金融王J・P・モルガン、金融王ジャック・モルガン、へと4代にわたって続いた。そのあと5代目のジュニアスとヘンリーが、投資銀行として分離されたモルガン・スタンレーを設立し、USスチール、ゼネラル・モーターズ(GM)、ゼネラル・エレクトリック(GE)など、アメリカを代表する巨大企業の重役として君臨した。
さらにヘンリーの息子として、現代の第一線で活躍してきた6代目のジョン・アダムズ・モルガンは、投資銀行スミス・バーニーの副会長をつとめたあと、モルガン・グレンフェルの重役となって今日に至っている。スミス・バーニーはソロモン・ブラザーズと合併して、98年の全世界の企業買収M&Aで4000億ドル、実に50兆円を動かす仲介実績で、マーチャント・バンカーとして世界第4位になった。モルガン・グレンフェルは、彼の4代前のジュニアスが創業し、現在はドイツ銀行の強力な細胞となった老舗である。ドイツ銀行が98年11月にアメリカのバンカーズ・トラストを買収、推定資産8430億ドル(102兆円)で世界最大の金融機関に躍り出たのは、以下に述べるように1903年にモルガン商会がバンカーズ・トラストを分離設立した歴史に基づく回帰的動きであり、モルガン・グレンフェルが仕組んだ合併戦略であった。
そのほかモルガン家の女系家族は、多数のペンタゴン官僚をつくりだし、ソ連との核兵器削減交渉SALTのアメリカ代表のほか、89年からアメリカ輸出入銀行の会長に就任したジョン・マコンバーの妻キャロライン・モルガンが、J・P・モルガンの妹の直系であるとこなど、彼らがただの遺産相続人ではないことを示す生き証人が目の前で無数に動いている。
J・P・モルガンが国際金融業者となった歴史は、世界的金融家だったアメリカ人ジョージ・ピーボディーがロンドン金融界で大活躍した時代、1854年にJ・Pの父ジュニアス・モルガンを招いた日にはじまった。現在活躍するキダー・ピーボディー証券の一族が創業したジョージ・ピーボディー商会は、当時イギリス随一のアメリカ金融機関代表者であった。ヴィクトリア女王に拝謁したピーボディーが死んでからジュニアス・モルガン商会となり、ロスチャイルド商会のパートナーとなった。これが今日の投資銀行モルガン・グレンフェルである。
ジョージ・ソロスのクォンタム・ファンドと並んでヘッジファンドの横綱とされるタイガー・マネージメントを経営してきたのは、ジュリアン・ロバートソンである。若き日の彼を育てたのが、モルガン親子を育てた投資銀行キダー・ピーボディーであった。そのため、マーガレット・サッチャーがイギリス首相退任後にタイガー・マネージメントの顧問に迎えられ、98年6月にはロバートソンの号令で国際的な投機筋の大物が東京に結集し、以後は年末まで兜町の歴史的な大暴落の日々が続いたのである。
そのキダー・ピーボディーを86年に買収して、一躍金融業界に躍り出たのが、同じボストン出身ファミリーが支配するモルガン財閥のGEであった。ジョン・フランシス・ウェルチJr会長のGEは、「割に合わない買い物をした」と批判されたが、そうではなかった。94年にウェルチはキダー・ピーボディーをペイン・ウェバー証券に売却したが、後者もモルガン財閥の一族ランドルフ・グリューが古くから経営してきたGEの同胞であった。すでに新戦略で古い体質から脱皮した90年代のGEは、電気製品・核兵器・原子力産業ではなく、モルガン商会の金融機関に変貌した。
98年末の株式時価総額で、地球上の全企業のなかでマイクロソフトの2718億ドル(32兆円)に次ぐ第2位にランクされたのが、2588億ドル(31兆円)の金融業者GEであった。第3位エクソンの1723億ドル(20兆円)の1.5倍だから、驚異的な金額である。J・P・モルガン会長のルイス・プレストンがGE重役時代に育て、会長に抜擢したウェルチの戦略は、かつてのモルガン商会の金融哲学を体現していた。
「その分野の1位か2位にならなければ利益は得られない。3位以下ではだめだ」
このウェルチの言葉は、今世紀初頭にJ・P・モルガンが語った言葉そのままである。キダー・ピーボディー買収によって金融のノウハウを体得後、航空リース会社GPAグループと、放送界の巨人NBCの買収にもおよび、宝石商ティファニーの筆頭株主になるかと思えば、南アのダイヤモンド・カルテルと共謀してダイヤの国際市場価格を操作していた疑いがもたれ、FBIが調査に乗り出すほどであった。
子会社GEキャピタルの下に孫会社ファイナンシャル・アシュランスがある。モルガン一族であるプレストンが、91年9月から世界銀行総裁に就任し、若きローレンス・サマーズを幹部に据えたコンビで、日本のバブル崩壊を主導し、GEの3000億ドルを超える資産をもって、弱り切った日本の金融機関を次々と買収したのである。会長だった浜田武雄が98年度納税額で日本1位の長者となった消費者金融レイク、破綻した長銀系ノンバンクの日本リース、東邦生命などの買収で日本に乗り込むと、東邦生命は99年に破綻し、軒を借りて母屋をとったGEのエジソン生命が堂々と生き残った。
そして99年9月には、破綻した長銀がリップルウッド・ホールディングスに営業譲渡されることになり、この救済金融機関にGEキャピタル、トラヴェラーズ保険(シティ・グループ)、ペイン・ウェバー、メロン銀行、RIT(ロスチャイルド投資信託)グループなどがぞろぞろと出資者に名を連ねた。長銀救済という名目によって、日本国民の納めた税金5兆円が、ほどんど本書登場の人脈によって流用される運命にある。
そうした広大な資金力を持つ近代的なモルガン・グレンフェルとモルガン・スタンレーで、J・P・モルガンの曾孫ジョン・アダムズ・モルガンが活躍してきたことは、意外にもほとんど知られていない。
今日までのモルガン商会の沿革をまとめると、次のようになる。
◇モルガン商会=J・P・モルガン
◆イギリス〔モルガン・グレンフェル〕
1843年ジョージ・ピーボディー商会(ロンドン)設立→1854年ジュニアス・スペンサー・モルガンがパートナーとなる→1864年改組してJ・S・モルガン商会(ロンドン)→1900年ロスチャイルド一族のエドワード・グレンフェルが支配人となる→1910年改組してモルガン・グレンフェル→1980年代にJ・P・モルガン直系の曾孫ジョン・アダムズ・モルガンが重役室に復帰→1989年11月ドイツ銀行が買収
◆アメリカ〔J・P・モルガン〕
1861年J・P・モルガン商会設立(ニューヨーク)→1871年改組してドレクセル・モルガン商会→1895年改組してJ・P・モルガン商会→1903年バンカーズ・トラストを分離設立→1935年モルガン・スタンレー(投資銀行)を分離設立→1959年ギャランティー・トラスト(1864年創業)と合併、モルガン・ギャランティー・トラストとなる→1969年持ち株会社J・P・モルガン設立→1979年ロンドンにモルガン・ギャランティー・トラスト設立(1988年J・P・モルガン・セキュリティーズと改名)→1988年持ち株会社J・P・モルガンとアメリカのモルガン・ギャランティー・トラストとイギリスのJ・P・モルガンセキュリティーズすべてを合併→全世界でJ・P・モルガンに社名統一(98年ヨーロッパ企業のM&A仲介実績で世界第7位。1998年バンカーズ・トラストをドイツ銀行が買収)
◆フランス・モルガン商会〔モルガン・エ・シー〕
1926年設立→1975年以後モルガン・スタンレーの子会社となる。
◇モルガン・スタンレー
1935年J・P・モルガン商会から投資銀行として分離設立→1975年以後フランスのモルガン商会を完全子会社とする→1977年ロンドンにモルガン・スタンレー・インターナショナル設立→1997年シアーズ・ローバックの子会社だったディーン・ウィッターと合併し、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターとなる(92年に莫大な利益をあげて日本市場を破壊し、通称マック・ザ・ナイフと呼ばれる社長ジョン・マックのもとで厳しいコスト削減命令が出され、98年の全世界M&A仲介実績では、ゴールドマン・サックス、メリル・リンチに次いでモルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターが世界第3位、ヨーロッパ企業のM&A仲介実績では世界第1位となる。
◇ドイツ銀行
1870年ゲオルク・ジーメンスが設立→1990年代までにドイツの全産業を支配→1980年モルガン・グレンフェルを買収→1998年バンカーズ・トラストを買収(実質的なロスチャイルド・モルガン連合に変貌)
J・P・モルガンが投機屋ではなかったことを示す有名な事件は、金本位制が公布される前の1893年〜95年にかけて発生した。クリーヴランド大統領の時代に経済危機が訪れ、金と銀の頻繁な交換によって財務省から金が流出して金準備が底をつき、国家の非常事態となった。この時、オーガスト・ベルモントとロンドンのロスチャイルド家が動き、J・P・モルガンがホワイトハウスまで自ら出向いて閣僚たちに指示を与え、三者の連携プレーで金を手当てしてアメリカを救ったのである。
こうして大統領さえ動かすようになった親子2代のJ・P・モルガンは、証券投資を独占化して金融トラストを形成した。当時ロックフェラーの石油トラストに倣って、タバコ・トラスト、塩トラスト、酒トラストなどが続々とつくられるなか、J・Pはトラストのトラストと呼ばれるモルガン商会を築き上げた。すでに1892年に発明王エジソンを籠絡してGEを設立し、電気事業に乗り出したモルガンは、1901年に鉄鋼王カーネギーを買収して鉄のトラストと呼ばれるUSスチールを設立し、1907年に全米の電話を独占するAT&Tの買収を完了、1920年には死の商人デュポンと組んでGMを支配した。
「紀元前4004年に、神様がこの世を創られた。しかし西暦1901年に至って、J・P・モルガンとジョン・D・ロックフェラーが地球をつくり変えてしまった」と言われたものである。
ダウ工業株30種のモルガン株は、GE、GM、デュポン、テキサコ、USスチール、AT&T、IBM、J・P・モルガン、シティバンクを数え、証券引受け業務で全米トップに立ち、ニューヨークの大手銀行がロンドン5大銀行と肩を並べられるまでにアメリカ金融機関を育て上げた。
この古い話が気がかりなのは、われわれの時代の1980年〜90年代に、全世界で巨大銀行・証券会社の合併の嵐が吹き荒れてきたからである。チェース・マンハッタン銀行、ケミカル銀行、マニュファクチャラーズ・ハノーヴァー・トラスト、ドイツ銀行、バンカーズ・トラスト、ドレスナー銀行、スイス銀行、スイス・ユニオン銀行、トラヴェラーズ、シティバンク、メリル・リンチ、バンカメリカ(BOA)、セキュリティー・パシフィック、香港上海銀行、ミッドランド銀行など、無数の合併を見てきたが、ちょうどモルガン全盛期の1919年〜28年にかけて、同じような銀行合併の嵐が吹きまくったのである。アメリカではその十年間で、驚くべきことに1358の銀行が、合併、合同の渦に巻きこまれた。
その結果、当時のウォール街に何が訪れたか。
これがメロン財務長官の時代であり、ウォール街が空前の景気にわき、数にしてわずか1パーセントの大銀行に、全米の預貯金の3分の1が集中する結果となった。
10月24日にウォール街に暗黒の木曜日≠ェ訪れる前年、28年当時のモルガン・グレンフェルの資産合計は89社の200億ドルにおよび、126社で重役の席を占めていた。歴史上これほど資産の集中が起こったことはないが、原因は27年に政府が投機買いに走り、28年にフーヴァー景気でUSスチール株、スタンダード石油株をあおったことにあった。モルガン商会パートナーのボーナスは100万ドル(99億円)に達し、暴落したあと、資金潤沢なモルガンとロックフェラー・グループだけが、恐慌のなかで莫大な利権を独占した。翌30年にチェースが全米1となるなか、6年間で4000の銀行が倒産したのである。
モルガン家が大暴落でますます独占状態を強め、その融資活動が全世界の金融、軍事、原子力におよんだ謎の答を明かさなければならない。
ヴァンダービルト、カーネギー、ロックフェラーたちには、「大した資金もないところから莫大な財産を築いた」という美談≠ェあったのに対して、J・P・モルガンは初めから資産家だった、つまりアメリカ上流社会の正統派だったというところに、答がある。
モルガン家とペリー提督の姻戚関係については、述べたが、モルガン家は、ピーボディー家とも姻戚関係を持っていた。また、第2代大統領ジョン・アダムズの息子が第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズで、その直系のキャサリン・アダムズと結婚したのが、J・P・モルガンの孫ヘンリーであった。
モルガン・グレンフェル重役の名前がジョン・アダムズ・モルガンだったのは、両家のあいだに生まれた子供だったからである。この銀行家の名は体を表わし、大統領とJ・P・モルガンの両方の血が流れている。
一方、ワシントン大統領の副官として活躍し、初代の財務長官に就任して、アメリカ経済の基礎を築いたのが、アレグザンダー・ハミルトンであった。その曾孫をウィリアムといい、彼の妻がJ・P・モルガンの愛娘ジュリエットである。この夫婦のあいだにできた子供は、財務長官と金融王の名をとってピアポント・モルガン・ハミルトンと命名され、彼は、ウォール街の投資銀行ブレア商会の経営者C・レドヤード・ブレアの娘マリーと結婚した。レドヤードの祖父ジョン・ブレアは歴代第22位に数えられる富豪で、一族はホワイトハウス迎賓館ブレア・ハウスの元の所有者であった。この投資銀行が、バンカメリカ・ブレアとして活動してきた。
歴代大統領は、こうした財閥の取り巻きに翻弄されながら、ホワイトハウスに坐る人形である。
「モルガン商会は銀行ではない。アメリカの国家であり、アメリカの法律であり、アメリカの制度である」と言われたのは、こうした理由からであった。昔の言葉は、死後ではない。最近のマスメディアがこうした脈絡を指摘しないだけである。
モルガン商会は、内部に特権者リスト≠ニいうものを用意した。このリストに選ばれた権力者の政治家、官僚、企業人たちは、市場よりずっと安値で株を買うことができた。日本のVIPリストと同じである。
☆財閥シリーズは以上です。
次は何を投稿しようかな。考え中です。
それにしてもこの財閥という性質の悪いものは、どうにかならないものなんですかねえ。
敵は強大過ぎますな。困った困った。
問題はこいつらが支配して動かす軍需産業なんだよな。ってことはやっぱりこいつらが癌ですね。
この軍事支配とか金融支配とかの、支配、これは何とかならないもんなのかなあ。
これを考えると眠れぬ夜が続いてしまいます。