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Re: 岩住達郎氏他サイト投稿
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投稿者 コレクター 日時 2003 年 7 月 12 日 17:25:03:

(回答先: Re: 岩住達郎氏他サイト投稿 投稿者 コレクター 日時 2003 年 7 月 12 日 17:21:48)

555] Re[554]: 1960年 投稿者:岩住達郎 投稿日:2003/02/21(Fri) 08:29:55

言わせてくれさん、こんにちは。

私が渡米したのは1961年8月でした。東大電気工学からMITのAero-Astroにいき主に制御理論をやりました。丁度岸首相が日米安保条約を強行決議して大騒ぎしていた頃です。東大構内では毎日法学部の前で学生ががなっていましたが、工学部の連中は実験と講義で忙しく、抗議運動に参加している学生は少なかった様です。私自身は共産思想そのものに全く興味がありませんでしたのでロシア語の勉強はしたことはありません。しかしスプートニクの御陰でソ連のロケット・コントロールの学術誌は英語に翻訳された物を沢山読みました。しかし最も肝心な所は秘密ですから、役に立つ物は全くありませんでした。当時、制御理論の基礎は既に完成の域にあり、改良すべき物は機械の方でしたので、数年後私は当時始まったばかりの生物物理工学の方に移りました。アメリカの宇宙工学がその後急速にソ連を追い越しましたが、進歩の殆どが材料とか電子機器とかで理論面では何も目新しい物は出現しませんでした。

アメリカの科学技術が長足の進歩を遂げたのは1960年代と1970年代で正に世界無敵でした。それを支えたのは勿論潤沢な研究費です。当時既にアメリカの大学は半分近く外国人研究者によって支えられており、私の友人も外国生まれの人の方が多かったと思います。要するに、科学技術を促進するのは全く研究費の大きさに懸かっており、百の研究の内一つあたれば良しと言う気前の良い態度で無いと駄目です。私が学生をしていた頃は教授達は欲しいだけの研究費を貰い、10人以上の助手を抱えている人はいくらでもおりました。それで私も御陰で破格の奨学金を貰う事ができたのです。アメリカの犯した最大の誤りは、ベトナム戦争に莫大な出費をし財政赤字を拡大した事です。ベトナム戦争が終わってから段々研究費が出なくなり、レーガン大統領の頃には極めて厳しくなり、日本にどんどん追い越されてしまったわけです。

日本が限られた研究費でアメリカに追いつき追い越したという事実は極めて重要なのに日本では正当に評価されていません。それも政府の出す研究費でなく企業の限られた研究費でやったのです。もし日本政府が1960年代のアメリカ並に研究費を出して世界中から研究者を集めれば、アメリカを圧倒するのは簡単です。私の経験ではアメリカ人はあまり頭は良くありません。優れた研究者は殆ど外国人でした。中国人の研究者にも優れた人はおりましたが、理論に強いのはドイツ系、実験に強いのは日本系というのが私の印象です。
[554] 1960年 投稿者:言わせてくれ 投稿日:2003/02/20(Thu) 11:44:00

岩住さま、「再現性と予言性のある学問」というのは非常に的を得た表現だと思いました。

ところで、在米42年とおっしゃいました。とすると1960年くらいに渡米なされたはずです。

私は以前から1960年代の大学生の学生運動とか、当時の学生の間に広まっていたとされる社会主義運動とか、ロシア語ブーム(理科系の人がロシア語を勉強した-なぜかというとスプーとニックが打ちあがってロシアが進んで見えた)などという当時の興味深い現象?に興味を持っています。

正に、岩住さまは、そういう時期に渡米なされたわけですが、
その当時の、その、日本のロシア熱というようなのは、なんというか、どのようなものだったのか、個人的に非常に興味があるんです。

なぜかといえば、やはり、人間、誰かが偉業を成し遂げると、その方向に行きたいと思うと考えるからで、例えば最近は、日本では中国だ、中国だとかなり大勢の方々が騒いでいます。

しかし一方でやっぱりアメリカだ!と胸をはって、結局、アメリカが勝ったじゃないか(冷戦など)というような人もいます。

私は科学技術というのは、国のリーダーの資質、素質によって決まってくるところが大きいと考えております。そういう意味で、当時のフルシチョフ(だったか)が非常にオープンな人で、サイエンスもしくはテクノロジーにおいては「何でもやれ」という人だったというのと、ケネディが月にいくなら何でもやれ、といったのは同じようなことだったのではないかと考えます。

ただ、今日は、そういったソ連の冷静な分析はややタブーのようです。

当時、そういったブームの中におられたと考えられる岩住さまには「この問題」はどう写りましたでしょうか?また今振り返ってどう思われますでしょうか?

私だったら、想像しかできないんですが、もし私が当時の学生だったら、やっぱり、スプーとニックを打ち上げた国にあこがれるんじゃないかと思うんです。そして、ひょっとしたらロシア語も勉強していたかもしれません。当時の学生はわざわざロシア民謡などを歌ったこともあったと聞きます。

この今から見ると奇妙な現象の中、渡米されたような方に、この今考えると奇妙な現象をどう受け止められているか聞きとうございますです。

今度、中国が有人飛行したら、またそういう熱が出るんじゃないか、などとも思ってます。できれば中国についても。または、アメリカの中国人科学者についても、何か思うところあればインタビューを受けたようなつもりでおっしゃっていただければと思います。
[553] Re[552]: 副島さんの方法はサイエンスと言えるか? 投稿者:岩住達郎 投稿日:2003/02/20(Thu) 08:31:47

私は在米42年になる科学者です。私のサイエンスの定義は「再現性と予言性のある学問」ですので、政治学、経済学、社会学、等の人文系学問は全てサイエンスではありません。しかし、サイエンスという言葉が学問に権威を与える効果があるために上の定義に外れたあまり厳密でない学問にも付けられる様になったと考えています。その理由は私が未だ学生だった頃はサイエンスは理工系の学問に限られていたからです。しかし、何にでもサイエンスを付ける傾向は日本に限らず世界中で蔓延していますから、目くじら立てて騒ぐほどの事では無いと思っています。 [552] 副島さんの方法はサイエンスと言えるか? 投稿者:言わせてくれ 投稿日:2003/02/20(Thu) 06:10:10

私は副島さんがやっていることは、ご本人が自分はハゲタカなどの外敵に対して出てきた日本のプリオンのようなものなのだ、といわれているように、非常にまともな、真面目な、正しいことだと思っています。
ただ、属国論、というのを形成するにあたって、今度はシリーズになるらしいですが、それを副島先生はサイエンスであるとおっしゃる。
私が考えるに、サイエンスというのは、最大共通項を見つける作業です。しかし、また同時に、植物学などから来る分類学というのもあります。副島先生の書き方というのはサイエンスとするならば、いわば分類学の類いだと考えればサイエンスだと思えますが、物理学のような最大共通項を見つけるような部類のサイエンスからすると、いわば実験データを集めている段階で、まあ、それもサイエンスなんだろうと思いますが、物理学などで○○論という場合には、実験データから集められたデータに何らかの法則性を見つけて初めて○○論というところまで行くと思うのですが、何か、違う。まあでも、暴き系と自ら称される副島氏ですから、いわば、まだ、計測されていない何らかの現象の実験データを集めていて、実験結果とか、その実験結果を応用した結果起こった現象などを書いているのかとも思えなくもない。
ただ、副島先生が属国論がサイエンスであるというのには何か違和感がある。違和感というよりか、もっと簡単にいえばしっくりいかないところがある。
この辺を理科系の方々はどう思われるか聞いてみたい。
と思いました。

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